まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

めくるめく写真展

普段展覧会やギャラリーに行くときには、それほど意識して行きたい展示を選別することはないのだが、今年に入って写真展や関連のイベントに行くことが多いことに気付いた。
 
ざっと上げると
1.快楽の館 (篠山紀信原美術館
 
2.ジェイコブ・リース展 @Ribe Kunstmuseum Denmark
 
3.ヨハン・レンペルト展 @IZU Photo museum
 
 
5.君の住む街 (奥山由之) @表参道ヒルズ
 
6.Your choice knows your light(奥山由之)  @千駄木
 
7.うつくしい日々(蜷川実花) @原美術館
 
 
9.フィガロ2017年4月号 川上未映子の連載
 
10.ソール・ライター展@ Bunkamura
 
快楽の館は原美術館をキャンバスにしたヌードを中心にした展示だったのだが、写真で撮られているものと、もうそこにモデルはいないがらんとした空間がほぼ同じ場所に展示しているので、篠山氏の空間のとらえ方、解釈の仕方に驚く。そこに人がいるだけでこれほどまでに人の熱を感じるものなのか、と。
 
デンマークのジェイコブ・リースはもともと新聞記者だったが、世界恐慌当たりのニューヨークで貧困にあえぐ市民、特にそのころは労働者の権利もなく安い賃金で劣悪な環境で働かされていた子供たちや青年たちを撮った。彼が出版した写真集は当時の生々しさを伝え、時のルーズベルト大統領にまで伝わったが、有名になった後の彼のキャリアは写真から離れてしまった。
 
ジェイコブ・リースから20年ほど経過したのちにソール・ライターは生活者をガラスを隔てて撮っている。クールジャパンのように自分で自分をほめるのは常々かっこよくないと思っているのだが、この展覧会でもなぜか「伝説の写真家」とタイトルが付けられており、よい作品とそうでないものが混在しているのが残念だった。(特に後半)。雑多な情報も時には必要だが、それを一品のものと同レベルに並べてしまうことに不満があったのでキュレーターの力は感じづらいものがあった。
 
原美術館の10日間だけの蜷川実花の写真展は父幸雄との別れがテーマになっている。1階は避けられない死に動揺しながらも父親に同化して過ごしているような美しい写真があふれていた。一方二階に行くと、自身に子供が生まれ、ちょうど父、娘、子の年齢が均等感覚に並び、死にゆく父への同化から少しづつ離れていったように見えた(結果的にそれはよかったのだと思う)父親の仕事場であった演劇という一瞬の虚構を取り込んだような写真は新たなステージへの餞のようにも感じられた。
 
***
 
ソールライターを見る前、5/14 (日)に梅佳代さんと川内倫子さんの対談を聞いたときに印象に残ったやり取りがいくつかあった。
 
梅「10年前に撮れていたものが、今では撮れなくなっている。(家族を撮った写真を見ながら) これ以上近づいたり、超えたりするとヤバいという察知力が動き、そこを超えてしまいたくない。」
川内「写真家であるよりも前に、人間として生きていくときに写真がある
超えてはならないものは特に今は見えなくなっていて、というよりもそれこそ個人の裁量に任されているが、それをあえて超えていくものもある。それは一時期注目される。それをあえてしなくても、生々しさを感じたり、胸がざわつくような写真は二人は撮る。
 
奥山由之展は表参道ヒルズの展示が圧倒的な人気だったものの、千駄木の小さいスペースで見た展示には野田凪のテレビの環境(しばらくの間白黒テレビだけしか見させてもらえなかった)を後追いする形で脳の中のスイッチが切り替わる感じが面白かった。表参道ヒルズの展示では被写体の女優が住んでいるだろう街を仮想して写真を撮っているのだが、モデルと風景がはまっている感じはあまりしなかったように感じたのは写真が少なかったからなのか。(ちなみに一番風景に溶け込んでいるように感じたのは多部未華子だった) 一方の千駄木では近所に住む人に最初は煙たがられながらも二年間密着し、撮影している。 そのためなのか写真にも動きが感じられ、背景にも違和感がない。
 
ヨハン・レンペルトはもともと生物学者だったので、学者の目から自然や動物を見たときに感じる視線は動物が見ている視線に近いものになるだろう。木の実が動物の目の擬態に見えるとは隣り合わせに並べないと気づかない。けれど私たちも少ない情報からでもこのようになっているのだろうという余白を埋める補正をしているので、時間とは別の順番で並べられた写真を見るとあたかもそのように動いてしまう。ただ見せるものに新たな視点/切り口を追加したことは大きかった。
 
***
川内倫子梅佳代の対談に戻るけれども、作品の意図について二人はこんな風に話す。写真集を作ると必ず新聞社の人に、この作品で伝えたいことは何かを聞かれてしまう。けれど、「私たちにはそんなものはない」。新聞における写真は報道を伝達する要素として使われるのだから、確実に意図をもって写真を撮るし、選ぶだろう。「こんないいもの撮れました、いいでしょう、と自慢するような感じなんですよね。パッケージにして見せびらかすような」(梅) 当然写真集として出すのだから、価格帯によって、入れられる数が限られるし、どのような順番で見せたらよいのか、構成も求められる。けれどもう一つの物として世に出た後はmessage in a bottleのように拾った人が自由に解釈してよいものになる。
 
写真を撮る行為はすでにスマートフォンや携帯電話を持っていれば誰でもシャッターを切ることができるし、SNSを開けば、整った写真を見つけるのはたやすい。
けれども、上にあげられたもの以外に、何冊か写真集を購入して漠然と思ったのは、整っているものほど、見た後に残るものとは限らない、のだった。色が特徴的なことはあるが、それだけだった。川上未映子の連載ではSNSのphotogenicな写真に胸躍らせて実物を見に行ったのに、そこに気分が上がらなかったので結局買わなかったことが続いた、とあった。
必要以上に情報過多の今だからこそ、むしろ残らないものが圧倒的で刹那的によさげなものが通過してはいくものの、見てしばらくたった後も最初見たあのもやもやとした気持ちというものが残っている。それを言葉で何というのか。それがプロの写真家と呼ばれている人の仕事なのだろう。
 

ナスカイ

 

みずのき美術館と凧揚げ

京都からJR山陰線で半時間ほど行ったところに亀岡駅がある。
そこから徒歩で10分ほど歩いた道と道が交差する、その場所にこの美術館がある。

f:id:schol_e:20170528145756j:plain

日曜なのである程度の人の入りは覚悟していたのだが、行ってみると私一人だった。係の方に美術館の説明を受け、早速見て回る。
1階には床から10㎝ほどのところに展示があり、床にも何やらチョークで描かれた何かがある。2階にいくには靴を脱いで行く。すると1階とはまた違って、凧の形になった作品が天井(といってもよくある美術館のように平らではなく、昔の住宅のように勾配の天井がある)に括り付けられている。また、1階の真ん中にある階段で降りた先には床に置かれた作品がある。
あまりの自由な展示に驚いてしまった。自由な、と思わず書いてしまったが、どのように展示するかはどうやってみられることを望んでいることにつながっているとするならば、ありきたりのものではなかった。しかしたいてい誰もこのようなことはしてこなかった。オスロムンク美術館では大作について1階と同じように床から数センチのところに展示していたが、それはやはり大作だからであって、何らかの別の意図をもっていたのではないだろうと思う。それでも展示にも自由があることに気付かされショックだった。
 
2階に上がると入口の道路側は正面から車が建物側に向かってくる。間違ってぶつかりはしないかと少しヒヤッとするのはそれほどこの場所が交差する場所にあるからだろう。普段なかなかこんな風景は目にしない。反対側は山並みや隣家の畑に育てられた果樹の木を眺めることができる。すぐ隣が普通の一軒家でベランダが見えてしまうのだが、住人のプライバシーには注意を払っているようだ。
 
入口には昔の理髪店を思わせる字面と理髪店のトレードマークである青と赤と白が来るぐるぐるまわっているポールがある。理髪店だったころの骨組みは残し、さらに鉄骨で補強しているため、新しい建物にもかかわらず、昔の建物の残像が確かに残っている。何より作品の保存と展示という目的に対して閉鎖的になりがちな美術館の展示空間が全面と後面の大きな開口部で筒抜けになっており、窓は開けてはいないのに、そこに身を置くだけで気持ちが良い。2階の凧が天井に浮いている姿は風が流れ込んでいるかのように錯覚した。どうやら京都の原風景である町屋の姿を骨組みで体現しているようだ。ふと隣地の環境を建物の内に取り込んだ青森県立美術館を思い出して、係の方に感想を伝えると、サイン計画に菊地敦己さんに、建築設計を乾久美子さんにお願いしたとのことだった。照明について、美術館でなかなか目にしない蛍光灯がぶら下がっているのも興味深いが、展示作品に適した照明として蛍光灯と色を乾さんが選択したようだ。
 
(乾さんによる解説)みずのき美術館 

http:// http://www.inuiuni.com/projects/1046/

1F

f:id:schol_e:20170528142333j:plain

f:id:schol_e:20170528141559j:plain

2F
ちょうどこの日は凧揚げのイベントもあった。二部構成で前半は凧作り、後半は河川敷で凧揚げをする。私は後半だけの参加だった。おそらく前半は家族ずれがおおいのだろうと予想してはいたが、実際は家族連れできているのは3組だけで、後は大人だった。しかもすべて女性で彼らのたくましさを想った。
 
当日は晴天に恵まれ、大体徒歩で30分ほど歩いたかもしれない。ただ、途中で引率をしてくれた係の方が程よく街の説明をしてくれたので特に長いとは思わなかった。美術館とは反対側の山側には造成地があった。どうやらもうすぐサッカースタジアムや関連施設の建設が始まるらしい。初めて来た街並みはとても落ち着いており、そのままでもいいのではないかと思いつつも、現状は厳しいのだろう。歩いていると普段東京では見られない鳥にも遭遇するので、この自然は保たれていてほしいと思う。近くに川が流れているが、氾濫することがよくあり、スタジアムの造成が始まる前にもあったので、盛土をしたのちに始めるという。美術館からみられる山の景色も大きく変わることだろう。
 
目的地につくとさっそくみな荷物を置いて凧を上げ始めるのだが、なかなかうまくいかない。私も正月に数回やったくらいでもうだいぶそのころの間隔は忘れている。今回の展示を企画した菊地敦己さんと大原大次郎さんも自作の凧を作って河川敷に来ていた。私たち以外にも施設の方が凧揚げに参加しており、先生と呼ばれる凧を揚げるのがうまい方が順次凧を上げていく。前半の凧作りには参加していないので私は遠目から最初は見ていたものの、皆それぞれ微妙に凧の重さやバランスが異なるためか、すぐには揚げることはできず、最初の30分くらいは安定しない飛行だった。風にもよるが10mくらい揚げればあとは自然と揚がっていくようだった。1時間くらい経つとぽつぽつと揚がる人が出始め、揚がった人はまだ揚がっていな人に凧のつくりを教えていく。菊地さんや大原さんも名前を知らない人が見たら人のいい兄さんのような格好だったことがあったかもしれない。私も自然と揚がらない人の手伝いなどをしていた。

f:id:schol_e:20170528161147j:plain

 
いつの間にか予定の時刻が近づいてきて、大方の人は凧を揚げていた。休憩がてらテントに戻ったら母娘で参加していた方と話すことになった。話していくと6次の隔たりと感じさせるような共通点があることに驚くなどした。バランスが悪いのか凧が揚がらないので試してみてくれないかという誘いにのり、凧を揚げることになる。たしかにバランスが悪いのか上がっても滞空時間が持たない。菊地さんに見てもらったものの、形は悪くないようだ。夕方になると陸よりも川のほうが気温が高くなるから、川沿いに上昇気流が生まれ、凧は揚がりやすくなるだろう。その前に凪の時間が来る。
 
うまくいくとき、とそうでないときに何があったのかはわからない。今まで通り同じことを何度も繰り返してきたが、あきらめずに凧を持ってくれた母親は娘に自信をつけてあげたかったのだろう。何回目かは忘れてしまったがついに安定した高さで凧を上げることができた。揚がっている凧を持ってもらおうと呼びかけたが、彼らはそれをせず、ただ凧を見てはしゃいでいた。10分ほど空に滞留して撤収した。時計を見ると予定時刻を過ぎていたが、久しぶりに時間を忘れて外で遊ぶという体験をした。私以外の参加者の方も、係りの人が呼びかけなけらいつまでも凧に向き合っていたのでそれだけ熱中していたのだろう。最後に菊地さんから最後まで残っていた参加者の方に「仕事でつらいことがあったらまた凧を上げましょう」と締めの言葉をもらって解散となった。
 
日が落ちる空を歩きながらずっと見ていた。

f:id:schol_e:20170528182959j:plain

 

「破壊しに、と彼女たちはいう」トーク 長谷川祐子×エリイ(Chim↑Pom)×スプツニ子!

キュレーターの長谷川祐子さんが最近出版した女性アーティストへの批評をまとめたトークショーに参加してきた。
 

破壊しに、と彼女たちは言う―柔らかに境界を横断する女性アーティストたち

ゲストはChim↑Pomのエリイさんとスプツニ子!さんだった。
 
トークショーなので、3人の対談形式で始まるのかと思いきや、長谷川さんが本を解説するという流れで進んだので、ある種講義のような緊迫感があったものの、途中からゲストの二人が茶々を入れることによって内容の雰囲気も変わってきた。
 
以下印象に残っているものを以下
 
●長谷川さん
 
・アーティストの性差による傾向
男性は時代精神を持ち、今の時代にどう反応しようかを考える傾向にあるため歴史という文脈で語られやすい。一方で女性は、時代精神よりも自己の内なる反応に正直である傾向があり、結果、時代を超越する存在になる傾向がある。
 
・リアリティという言葉の使われ方について(草間彌生
リアリティという言葉が誰にとっても共通するもののようにいわれているが、草間彌生にとってのリアリティはドットに覆われていることだった。自分にとってのリアリティが他人と同じであるとは限らない。
 
再春館製薬女子寮、21世紀美術館スイス連邦工科大学ローザンヌ校のプロジェクト(妹島和代)
妹島さんは嫌なものは嫌とはっきりいうタイプ。女子寮では朝起きたときにみんながひとつのエリアにしかないトイレに行く光景が嫌だったので分散させた。
21世紀美術館は開館前は様々な批判や懸念があった。「(このような先進的な美術館が金沢に生まれたのは)金沢は新しいものを受け入れる土壌があるのか」、という問いかけには、大部分が保守的であるが、当時の市長が危機感を感じており、このようなプランになることを受け止めてくれた。(買い物帰りのお母さんでも気軽に立ち寄れる美術館を、との依頼だった)
ローザンヌのプロジェクトでも、同じく同業者から批判が渦巻いたが、いざオープンしてみると、学校の関係者だけではなく、外部からも人が大勢訪れており、受け入れられている。建築としての正しさよりも建物として機能しているかに重きを置いている。
 
 
●エリイさん
ギリシャの展示から帰ってきた。ギリシャは政情不安なのは知っていた。今回一か月ほど現地に滞在したが、普通に生活する分には少し貧しい国だなとは感じたものの、政情不安さはわからなかった。けれども今回の展示場所が一日にしてもぬけの殻になったホテルで、時が止まったかのような感覚に陥った(カレンダーの日付はもちろんそのまま、朝食も用意されていたまま)。その場所に赴いて作品にかかわる過程でその国の両面について知ることができたのは貴重だった。
 
長谷川さんによるChim pomの解説で、「アイムボカン(セレブの慈悲事業で地雷撤去の補助を行うことにあこがれを抱き、自身のブランド品などをカンボジアの地雷で爆発させる。それらをオークションで売り、収益を現地に寄付する)」をセレブリティの「オマージュ」と書かれていたが、これはオマージュではないとして訂正を要求。
 
自身が最も好きなアーティスト、ルイズ・ブルジョワが本の中で言及されていないが、本に入れる入れないの取捨選択はどのように行ったのか。
→長谷川「この本は何作か続けようとしているが、まずはこれまで自分が書いてきた批評をもとにしている。次回に取り上げたい作家はあとがきで取り上げている(がルイズ・ブルジョワはなかった)」
 
「アーティストとして女性を意識することはあるか」、という問いには「私が何かその問いに答えられるとしたらChim↑Pomというユニットの存在がそうなのではないか。」
 
 
●スプツニ子!さん
 
ロンドンで活動していたときは当初音楽を作っていた。「生理マシーン、タカシの場合」は、長谷川さんのアシスタントがスプツニ子!さんの存在に気づき、長谷川さんやPaola Antonelli(Momaのシニアキュレーター)等からアプローチを受けたので思い出深い。けれどアプローチを受けた時はまだ作品は完成していなかった。
生理マシーンの動画が話題になってNASAから女性が宇宙に興味を持ってくれるようなアイデアを提供してほしいと依頼があり、ムーンウォークという作品を作った。火星探査機Curiosityの車輪にはJPL(Jet Propulsion Laboratory)という文字が埋め込まれているため、Curiosityの後にはJPLが火星の土に残るが、それを女性の象徴であるハイヒールにしようと試みをしようと企む話
 
 
 
MITは男性が多いが、自身が所属するメディアラボは女性が多い。MITの昇進システム(論文投稿で評価)は自身の成果とは異なるため、あまり長くここにはいられないかもしれないが、魔女集団としてやれることはやっていこうと思う。
 
ブルゾンちえみの「キャリア・ウーマン」について長谷川さんに批評してほしい(この場で見てもらう)。この動画を日本人の女性が見ると笑ってしまうが、いざ自分がこの動画のブルゾンちえみと同じことをやるととても気持ちが良いことに気付く。しかし、それを言い出せないために笑いでごまかしてしまう。
 

1時間30分という限られた時間でこの3人の話を聞くには短すぎるだろうな、と最初は思っていたがまさにそうだった。
トークの最初に何らかの衝突が予想されたものの、実際はそのようなことはなく、けれども長谷川さんの冴えわたる分析をかき乱すようにゲストの二人が今感じていることを投げかけてくれたので願わくばもう少し長く見ていたかった。会場にはChim↑Pomの他のメンバーや、長谷川愛さんも参加していたようなので、別の会場で延長戦を聞きたかった。
ゲストの二人の存在を長谷川さんは広く知られる前から長く見ていて、頼もしさを感じているようだった。ゲストの二人は活躍の場はインターネット空間とその場と対極的な部分はあるものの、アーティストとして活動するためには他者を巻き込んでいく力強さが求められ、目に見える形で成果を出す以上その部分は共通している。
長谷川さんのいう時代精神性という枠で考えれば、スプツニ子!さんは時代性もさることながら女性であることを意識した作品が目につく。一方のChim↑Pomは女性らしさよりも時代精神性を押し出しているようにも見えるが、アイムボカンはエリイさんの個人的な願望がスタートにあり、区別してとらえることはできないように思う。
 
日本ではアートそのものより、アーティストの雰囲気に重きが置かれている(特に女性の場合)が、私の見ている範囲内では、外見のイメージにこだわり作品に重きを置いているアーティストは時間がたてばいずれ淘汰されていくものであり、さらに海外に出ると、自身の作品の必然性や社会との接続を語らざるをえないのだろう(パッと見だけでは勝負できない)。あっという間の二時間弱のイベントだった。
 
 

街を歩くと、物語が立ち上がる(多和田葉子 新作刊行イベント)

神楽坂で多和田葉子さんの新作「百年の散歩」の刊行記念イベントに参加してきた。
 
以下メモの書き起こし。
 
***
 
ドイツではハンブルクとベルリンに住んできた。
ハンブルグは生活感があるが、ベルリンは常に小さいイベントがあり、劇場のような場所のようだ。
 
●新作「百年の散歩」について
 
今回の作品はベルリン市内の通りを歩いてみて店並びや感じたことをその場で書き出したものがもとになっている。
実際の通りを歩いて書くのだから、取材になるのだけど、ドキュメンタリーではないので、その場でインスピレーションがわいたら物語を取り入れるようにして、
閉鎖的にならないように心掛けた。カメラのように目に見えるものをすべて書き出すことはできない。いつの間にか情報を取捨選択しているし、それがアイデンティティになる。
 
通りによっては近くに休めるところがなく、ベルリンの冬は厳しいので、そういう場所に行くのは長時間外にいても気にならない時期にして、冬は家の近所の通りを選んだ。
3か月に1回のペースで書き進めていったが、常にそこにいるわけではなく、かといってこの小説はベルリンにいないと書けないのでこのペースはぎりぎりだった。
 
どうしても入れたかったけど入れられなかった名前として、ベンヤミンがいる。
彼はパリのブティックが立ち並んできた様子を目にして、街をあてもなく彷徨う「散歩者」という文章を書いた。
ゲーテ通りはもともとたくさんあるので入れられなかった。
(新作を読んでいる途中ではあるけれども、作品全体として書こうとして書ききれなかったベンヤミンの気配がする仕上がりになっているような気がする)
 
●戦争の記憶(ベルリンと東京)
・ベルリンの通りにはすべて名前が付けられているが、ナチスに抵抗した人の名前が大通りにつけられていることが多い。
・道路には「躓きの石」と呼ばれる、亡くなったユダヤ人の名前が刻まれている場所がある。日本では踏みつける行為を侮辱ととらえるが、ドイツにはそのような意味はない。
・どれだけの人が亡くなったかを数で示されても漠然としてしまうが、名前を見るとそれだけでそこに確かにいた人を感じることができる。
・東京の街を歩くと、江戸を感じさせる場所はあるが、戦争があったことを感じさせる場所はあまりない。
 
●首都としてのベルリン
多くの首都は経済的に発展している場所と首都の位置が一致しているが、ベルリンはそうではない。かつて市長が「ベルリンは貧しいがセクシーだ」、といったように、東京に比べると物価や住宅費も安価である。ただし、最近は他国から投機目的で住宅を購入しているしている人もおり、全体的に上昇傾向にある。
 
ベルリンはロシアとフランスにとって重要な場所であり、ロシアという男がベルリンという少女をナチスから救った、という大きな像がある。また、フランスはベルリンの街を作った、という気概がある。
 
ドイツは最近移民の受け入れに積極的な姿勢を示したが、地方とは異なり、元々多くの移民がいるために、それほど見かける人の構成に大きな変化があったようには感じない。ただし、同じ場所に何世代も住んでいるという人はおらず、「常に変化の中心にいる」という感じがする。
 
街を歩いていると、躓きの石以外にも、地面に「引用文」が記されている。引用文に沿って歩くと車にひかれかねないのだが、「引用によって私の時間が切断される」
そういうところも「劇場」な街なのかもしれない。

いとしいものにさよならをいう

思えば5年ほど前のクリスマスに当時好きだった人に啖呵を切ったことが始まりだった。言葉に出せば、その通りになるものだ。
その啖呵が自分のこれまでを決定付けたのかもしれない。
 
漠然ながらこの国を出る、ということを決めていたのは、自分が空気というものに敏感に反応しやすいからだったのかもしれない。
ぼんやりとした境界がはっきりとした輪郭になったのは、やはりここ2年ほどの混迷が大きい。見えないものが大きい割合を占める時ほど、決断力が試されているはずなのだけれど。多くの人の意見を聞かねばならない時ほどその決断は重要になる。そして、その決断は上にあるものがしなくてはならない。
 
組織に出来ること、と個人にできることは圧倒的に組織で出来るものの方が大きい。当然ながら、それを変えようと思ったら、組織そのものを変えるよりも、自分に合う水を探すことの方が容易い。当然動かないことは楽ではあるし、水を変えるのは負荷がかかるし、ことあるごとに自分の声を聞く。年をとれば保守的になり、変化への対応力が鈍くなるのは目に見えている。けれどそれすらも自覚的ではないと動けない。
 
チャンスはいつ来るかわからない。けれども来た時に手を伸ばす張力は鍛えておけなければならない。経験値という筋力強化が得られたのはよい機会だった。
思わぬところから降ってきたボールを振り切ってけったらあっけなくゴールが決まってしまった。夢というものが現実になった高揚感が過ぎたあと、単にスタート地点に立ったにすぎないのだった、と気づく。
 
置かれた場所で咲きなさい、とはいうものの、自ら死を選んだあとにはもう動けない。
楽な道に希望はない。
 
もうこの国の企業では働くことはないだろう。
 
少し遠いところからこの国の行く末を静かに見守っている。

ストックホルムとヘルシンキにて

オスロから1時間足らずでストックホルムへ。ここには3時間くらいのトランジットがある。
3時間で市内観光などほとんど難しいだろうな、とあきらめていたが、中央駅と空港を30分弱で結んでいる特急列車Arlanda Expressがある。
 
ストックホルムで訪れたい場所は2か所あって、一つ目が@suzunaさんがおすすめしていたKonditori Valand、もう一つはNaturkompaniet(アウトドア用品店)だった。
Konditoriはスウェーデン語でcafeのこと。
 
 
Valandはドイツから来たオーナー夫妻が始めたものでスウェーデンの環境変化によって、営業時間に変更は出たものの、今は息子さんが主体となって継続している。
 
平日の昼過ぎに降り立った中央駅は静寂に包まれていて、降り立ったレーンがあまりに静かだったので人通り少ないのかな、と一瞬不安になったがなんてことはない、
特急列車と在来線は分かれており、中心部に行くにしたがって人の流れは増えていった。駅でチケットを買うのにカードが使えなくて困ったが、隣の人がそっち壊れてるからこっち使いなよ、と声をかけてくれて助かった。さすがにノルウェーの二の舞はこりごりだ。
 
スウェーデンデンマークと同じく、どちらかというと人種は少ないほうなのかな、と思いきや、周りを見る限りでは多様な人がいる。

f:id:schol_e:20170220142441j:plain

f:id:schol_e:20170220142004j:plain

ようやく訪れたValandは静かな空間だったけれども、大方の席は埋まっていた。奥の席から店内を見渡すと、静かにおしゃべりしたり、パソコンで作業したり、子供連れの人がいたりと多くの人に好かれている店なのだな、とすぐにわかったし、私もそのうちの一人になった。壁の色と赤色の照明のコントラストが空間に落ち着きを与えていて、オーナーさんが手がけた家具も違和感なくそこに収まっている。いつまでもここにいられるな、と思いながらも、いられる時間は限られている。(とはいえ、30分ほどぼーっとこのカフェにいた)
 
 
名残惜し見ながらも外に出て、すぐ近くの Naturkompaniet へ行く。
もう少しで旅も終わりだが、寒さに備えて帽子をようやく買い、セールにはなっていたけどあったかそうなソックスを買った。カードで決済すると、店員の方が「レシートはいるかい?」と聞く。日本では当たり前のようにもらえるレシートも、こちらでは受け取らない人が多いのだろうか。「もちろん」と答えると、「お守りだからね」と気の利いた言葉で返される。そういうニュアンスも好きなところだ。
 
帰りも特急列車を使ってあっという間に空港に戻ってきた。次回はちゃんといろんなところを回ってみたい。
 
***
ストックホルムからまた1時間ほど空を飛び、ヘルシンキにやってきた。しかし、ここでlost baggageしてしまう。おそらくトランジットの間でどこかへ行ってしまったのだろう。仕方なく手続きをして宿へ向かう。6時間以内に荷物が戻ってきたら補償は効かないが、もう夜なので朝になっても連絡がなかったら身の回りの最低限の品を買うしかない。降り立ったヘルシンキはこれまでのどの国よりも寒かったけれども、宿に着いた後は倒れるようにして眠った。(荷物は無事次の日の夜に戻ってきた)
 
北欧といえども日の出時間は東京と変わらないか少し遅いくらいだ。白夜のイメージがあったけれどもそれは夏だった。荷物がなくなって、かなり気分は落ち込んでいたけれども、せっかく旅行に来たのに楽しまないと意味はないなと考えを変えた。近くのマックを食べながら、行き先を検討した。その結果、Aaltoの建物を見る一日となった。
 
Studio Aalto
一日に1回だけガイドツアーを開催するこの家は以前Aaltoの事務所があった場所だ。今でもここで働いている方々がいて、ちょうど昼休みの時を利用してガイドツアーが開かれている。
Artekを立ち上げる前に検討していた曲木の組み合わせの検討やレンガの意匠だったり、実現はしなかった都市計画の模型などが展示されていた。事務所としての機能がメインゆえに白でほとんどが統一されていたが、共用スペースは居心地がよさそうな木を前面に押し出していた。個人的には自邸よりも好みだ。
 

f:id:schol_e:20170221182757j:plain

f:id:schol_e:20170221190900j:plain

Aalto house(自邸)
ひとつ前の事務所は3人しかいなかったのでここもあまり人は来ないのだろうか、と思っていたがそんなことはなく、10人ほどに増えた。事務所とは異なり、Aaltoが普段生活をしている空間は彼の興味分野が前面に押し出された空間だった。日本のすだれをイメージしたカーテンであったり、大量生産できなかったプロトタイプだったり、ヴェネチアで買ってきたダイニングチェアなど、フィン・ユールの自邸に比べると明らかに統一感はないけれども、それでも自分の好きなものを集めました、というプライベートな空間にあふれていてその人となりを垣間見える気がした。
外に抜けられる隠し扉があったが、ガイドの方も設置した目的なのかはわからないようだった。冷戦の時期でもあったから、優秀な頭脳を持つ彼は拉致の危険を感じていたのだろうか。
 

f:id:schol_e:20170221201143j:plain

f:id:schol_e:20170221205311j:plain

Finlandia Hall
会議とホールの両方の目的を兼ね備えた施設。45分の予定なのに、2倍近くの時間をかけて説明してくれた。大ホールや小ホール、カンファレンスルームなど多様な目的に対応した施設で、どこを見ても素晴らしい以外の言葉が見つからなかった。冷戦のさなかで完成したこの建物は、ロシアと欧州の中立国として対応し、そのため、監視できる施設も整っていた(今はその名残が残っている)大ホールでは機材の調整をしており、いつかここで生演奏を聴いてみたいという気持ちになった。空間のスケールは普段見慣れているスケールでないとその感覚を肌で感じるのは慣れが必要だな、とも思った。
 

f:id:schol_e:20170221222801j:plain

f:id:schol_e:20170221223650j:plain

Kampii Chapel
オランダのゴッホ美術館を彷彿とさせる楕円形の小さな教会。遠くから見るとスピーカーのようにも見える。天井や壁の緩やかな勾配が訪れるものを優しく包み込む
 

f:id:schol_e:20170221084525j:plain

f:id:schol_e:20170221155331j:plain

 

Temppeliaukion Church
岩で囲まれた教会は気づかなければ見逃してしまいそうだ。上の岩山は公園にもなっている。中に入っても切り立った山脈のような上層席だったり、光を取り入れるためのコンクリートのスリットだったりと、都会にいながらも山(自然)に囲まれた環境が体験できる。
f:id:schol_e:20170221101700j:plain 
 
日本に帰る間際にArtekによってDomus chairを買う。日本人の方がいて、丁寧に対応してもらえた。
 
 
書ききれなかったことはまた別の日記としますが、北欧の治安はおおむね安全で、長距離電車でなければジプシーに出会うこともなかったので久しぶりの海外だったけれども充実した2週間だった。
飛行機は6回乗った。北欧とひとくくりにしてしまいがちだけども、その国ごとにカラーはやはり異なり、次回の旅ではもう少し掘り下げてみたい。

オスロにて

オスロ空港のホテルで洗濯をしながら、さて、ここでは何をしようか、と考える。
ノルウェーの4泊5日の時点ですでにやりたいことをやりつくした感があり、オスロではムンクを見る以外のことを考えていなかった。
 
初めて海外旅行をしたときは大学の卒業旅行だったけれども、それでも高速列車で3か国を大陸横断したのだった。まだgooglemapもあってないようなものだったけれども
それでもフランスの詐欺のパターンを頭に入れて、終わりのほうではあえて引っかかってから撃退するという無茶なことをやったりしたけれども、あの経験があったから
それから何度か旅行していても変なものに引っかからないでいられるのだな、と思う。それでも、体の調子に合わせて行動しないと体を崩してしまう。
 
以前あるミュージシャンが、しばらく活動休止すると発表した後のインタビューで、あらかじめ予定を入れて休むのではなく、朝起きて今日は何をしようかな、という休みのほうが贅沢な休み、と言っていたのを思い出す。最低限押さえておきたいところだけにして、後は身にまかせよう。
 
チェックアウトまでに調べ物をして、旅行者用の交通パスを買おうとしたが、クレジットカードで決済できない。原因がわからず、別の会社で試してみてもうまくいかない。
不正利用されて止められたのかと思って慌ててカードの利用残高を確かめてみても特に問題はない。これまで10か国近くで使っても使えなかったことなかったんだけどなと思い、決済するシステムを検索してみたら、どうやら日本で作ったカードはこのシステムでは使えないという。しかし、昨日空港で使用したときは問題なく利用できた。ということは、インターネットの決済に気を付ければよいのだった。けれども、カードがあれば貨幣はいらないに比べると、何かと不都合ではある。
 
 
空港近くのホテルの外に出ると、デンマークよりも明らかに寒い。雪は降っていないけれど、何日か前に降った雪は東京の雪のそれとは違い、さらさらして固められない。なんだか空気も乾燥しているので、風邪には注意しなければ。バスを待っていると、日本人の方に声をかけられる。国際結婚をしてしばらく日本に住んでいたが、こちらに戻ってきたのだという。老犬を連れていたが、犬はめったに見ない雪をみて少しばかり瞳がキラキラしていたので実家の犬もこんな感じだったなと少しばかり感傷に浸っていた。
 
空港に到着して交通パスを買う。世話好きの方で、何かとアドバイスしてもらった。中央駅に着いて荷物を預けたのち、外に出てみると、デンマークのそれとは全く別物だった。幾分ごちゃごちゃとしているが、人の動きは活発で、後で周辺を歩いてみようと決めた。以下訪れた美術館の感想
 
ムンク美術館
地下鉄から外に出ると、中央駅の景色とは一変して雪だった。近くの斜面では子供たちがそり滑りを楽しんでいる。近所ではあまり目にしない光景を久々に見てしばし見入ってしまう。
ムンクの作品は大きく分けてこの美術館とナショナルギャラリーにあるのだが、後者のほうが大作の「叫び」などがあるものの、ムンクの名を冠しているために、さぞ重厚なアーカイブ美術館なのだろう、と予想していたもののそれは良い意味で裏切られる。
中に入ると、ムンクの人生のテーマとともに、現代の映像作家が制作した映像が同じ空間にある。絵のキャプションは数字だけが絵の存在を妨げない場所に移動されて、気になったものは館内で見られる冊子の説明を読む。日本だと作品の解説もオーディオギャラリーの貸し出しも行っているし、理解を深められるのでそれも一つの見方だと思うが、あまりにも一度に入る情報が多すぎて、終わりのほうには疲弊してくることがある。なので私は、ほとんどキャプションを読まずに、絵を見ることにまず集中して、気になったものだけ後で調べるようにしていた。この美術館の展示方法は作品そのものに見るものを集中させる作りになっていた。また、ムンクの作品はかなり大きいものもあり、床から15㎝くらいしか離れていないものもあったが、そういう作品の近くにはソファが置かれており、車いすで鑑賞する人が誤って作品を傷つけないように、さりげない配慮がされていた。また、ともすればアーカイブとしての美術館となりがちなものに、今の作家の血を入れることで、これまでになかった切り口で作品が楽しめるようになっている。人生は短し、芸術は長し、とはいうが、作家本人がなくなったとしても残された作品に別の切り口を入れて見るものに提供することで、名前だけの作家にならず、これからも生き続けられるのだろう。
ムンクは同じモチーフで複数の作品を作っているけれども、大作の習作であっても心を打つ作品は多数あり、カメラをロッカーに預けてきたことが悔やまれた。
 
National Gallery
ムンクの大作が収められている美術館だが、美術館としては古代から現代までの幅広いアーカイブ美術館。順番に見ていくと次第に現代に近づいてゆくが、ムンクだけは特別に一番良い中央の部屋に展示されている。以前ロンドンオリンピックが開かれた年にTate modernで開催されたムンク展で見た作品も久しぶりに見直すことができた。
展示されているものは多いので一つ一つじっくり見てくことはできなかったけれども、エル・グレコやハーマンスホイの作品を見ることができたし、ドガとカミーユ・クローデルの彫刻には特に感銘を受けた。ドガの作品はひなたぼっこをしているものと、踊り子の2つがあったが、天井からはそれぞれ別々にライトが当てられ、この彫刻がどの時を表しているのかを把握するのに気を配ったライティングがされていた。カミーユ・クローデルは少女の頭部の作品だが、成人にはなり切れていないけれども子供ではない微妙な年齢の女性を、少し顔に張り詰めたものを感じさせる(近寄るなサイン)ので、ロダンがその才能に嫉妬したのも納得である(結果カミーユは精神を病み、ロダンの下敷きになってしまった)。ちなみに、カミーユの作品と向き合うようにしてロダンの彫刻があるのだが、これも力強い作品で、これ以上近づけたら火花が散るだろうから少し遠ざけたのだろうと買いかぶってしまいそうな絶妙な距離にあった。
順番の終わりのほうにあるムンクの部屋でようやく何度も見た「叫び」と対面するが、すでにムンク美術館で見ていた展覧会を通して表現されていたdepressionと目の前の作品を比べるとどうしても割り引いてみてしまうところがある。けれどもそれでいいのかもしれない。「叫び」よりも倫理の教科書で見た思春期の不安を表した作品であったり、まもなく訪れるであろう死を陰で表したりと、どうしても影のイメージが強いものの、それでもTate modernでみた陰と陽の関係は常に作家自体のなかにあったのだろうと思わせるし、まだまだいろんなキュレーターが解釈したムンクの展示を見てみたいと強く思ったのだった。
 
Astrup Fearnley museum
目の前が海の美術館で村上隆の展覧会が始まっていたので見る。展示の内容は森美術館横浜美術館を組み合わせて小ぶりにした内容ではあったけれども、展示空間を活かした内容だった。スカンジナビア諸国では初めての展示だという。オスロでの知名度はほとんど未知数だったけれども、大勢の人が足を運んでいた。彫刻も複数の時期にわたって作られたものが展示されていたが、初期には自立できなかったものが、今では重心が考慮されてつくられている。楠を素材にしてB-Boyのダンスの動きを彫刻にしている小畑多丘さんが以前ラジオに出演していた時に作品が自立することの重要性を語っていた。自立させることで見る者に、そこにみえないがあたりまえにあるはずの重心を意識させる、と。胸とおしりを突き出してポーズをとっている女性はあるアニメのキャラクターのようだけれども、上半身と下半身の体のバランスがとれていなさそうに見えても、彫刻ではうまくバランスが取れて安定している。いくら大きい胸であっても皮膚は人間のそれとは別物である一方、足にまとわりついたタイツとリボンが皮膚を圧迫しており、その部分だけがやけにリアルに見えた。足の表現に特に気を配ったわけではないだろうが、「視覚が注意を払うのは差異の部分」とあるデザイナーの方が話していたのを思い出し、なるほどこれが差異なのかもな、などとひとりごちた。
美術館は二艘の船のような形をしており、企画展の隣に常設展のコレクションがある。
 
***
 
オスロを歩いていると、ある程度時間の経過した(30年ほど?)建物がある一方で、比較的新しい建物もほとんど違和感なく生まれている。
駅の近くにはオペラハウスがあり、その近辺には各々名の知れたであろう建築家が設計したと思われる(MVRDVの銀行だけはわかった)、箱詰めされたチョコレートのように整然と並んでいる。
湾岸地域は着実に再開発が進んでいる。ムンク美術館の新館も現在進行中で2018年開館を予定しているという。
故郷は遠きにありて思うもの、ということで、TOKYOを少し思い出してみた。TOKYOが世界の注目を集めるのは新陳代謝良く古いものが新しいものに変わっていく飽きがこないぶぶんにあるとはおもうものの、その周辺に住む者にとっては、新しいものよりも、古いけれども新しく使い方を変えたものが目を引く。それほおそらく良い朽ち方をしているからなのだろう。さて、オスロはどう変わっていくのだろうか。人種の多様さからもデンマークのそれとは違って、もっとよく知りたいという気持ちになった。まずは海外口座でクレジットを作るところから始めないといけないが。