まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

3年前

その時は家にいて、出かける準備をしていた。

丁度1週間ほど前に引っ越しを済ませて4月から新しい環境を迎えるための休暇期間だった。

 

それまで幾度となく遭遇していたが、いつも通り、何とかしばらくしたら静まるだろうと思っていた。しかし、中々揺れは収まらず、倒れてきそうになる本棚を抑えながら「ちくしょう」とつぶやいていた。

 

自然現象の前に茫然と立ち尽くすだけであり、ようやく揺れが終わった後はひたすらテレビの前で津波と火災の姿を見ていた。

 

その頃すでにTwitterを始めていたが、テレビで映しだされてはいない情報があふれかえっており、長く見るのはやめようと思ったし、見えないものに対する不安に怯え、正常な判断ができていないつぶやきをしたり、そのようなつぶやきをRTしている人をそっとリムーブした。それでもなかなかおさまらなかったのでしばらく見る時間を減らしていた。今までどこかゆるやかなコミュニケーションツールとして使われていたTwitterがいつの間にか「不謹慎」というキーワードが横行し、気軽に使えなくなってしまったように思う。

 

3月の終わりにNYに数日観光に行く予定を立てていた。災害が起こった時にどうするかを考えたが今となっては行ってよかったと思っている。震源地からは離れていたものの、毎日のように余震が起こり、寝ていても起きていても頭の中が揺れているような状態で、気分が落ち着かなかった。日本よりも寒い町をひたすら歩き、美術館に足を運び、初めての全編英語のミュージカルをみた。ほとんど影もなくなってしまったWTCの跡地に建設されている建物の周りを歩きながら、いずれあの街もこうなっていくのだろうかと複雑な思いがありつつも、求心力のある場所はこういうものなのかと思ったりもした。

 

以前、孤独になるために旅をする - まいにち。まいにち。という内容の文章を書いたが、少しの間日本から離れ、インターネットが通じない環境(当時持っていた携帯電話ではアメリカでは接続できなかった。出発前に携帯業者に通じるか確認していたのだが、アメリカだから通じるだろうと甘く見ていた。が結果として良かった。孤独になることができたからだ。)当時持っていたkindleをホテルから接続できるWifiにつなぎ、解像度の低いkindleの画面で日本を見ていた。

 

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あの日から3年目、私の好きな作家の木内昇さんがエッセイを寄せていた。

3.11を心に刻んで(2014年3月11日)

「「人間のたった一つの務め」という一文は深遠であると同時に、シンプルな潔さを抱いている。いつでも前向きに明るく頑張って、といった意味合いとは違う。喪失を受け止め、悲しむべきは悲しみ、転んだり、挫けたり、しゃがみ込んだりしながらも、ありのままに生きていくということである。この大震災で命を落とした方々が、亡くなる間際まで個を生きていたように、残された私たちもまた、さまざまなものを背負って個を生き続けるべきなのだ。」

 

「風化させてはいけない」、と声高に叫ぶ人もいるが、少なくとも身近に体験した人はそれほどすぐに忘れられるものではない。言われなくても分かっている。見えないものを背負いながら何らかの形で後に続く人達に伝えて続けていく、それが体験した人だからこそできることなのかもしれない。