まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

優生学と人間社会

優生学というと直ぐにナチス民族浄化政策を思い浮かべるようになったのはいつのことだろうか。
恐らく最初にナチスという存在を知ったのは手塚治のアドルフに告ぐという漫画を読んだ時だが、その時の強烈な印象が、優生学が彼らによって引き起こされたものだとばかりと思っていた。しかし、その前から優生学という学問はあり、形を変えて今も残っていることを本書は語りかける。
 
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優生学のもとになる考えは進化論を提唱したダーウィンの「逆淘汰」という考えが基本にある。
逆淘汰とは力の強いものが生き残る淘汰とは逆に、強いものが訳があって淘汰されることにより弱いものが生き残ることにより、変質(退化)してしまう概念をいう。
 
例えば、戦争が起きると若くて体の丈夫な男性が徴兵され、その多くが命を落とすと、戦争には参加できなかった者たちは戦争がなかった時に比べてより丈夫ではないヒトが生き長らえることになる。
そのため、優生学者の多くは戦争を反対する立場をとっている。
 また、医学の発展は人間の平均年齢を高め、過去に不治の病とされた病気にかかっても、治療を施すことで生きながらえることができる。したがって医学の発展も逆淘汰に寄与している、ということができる。
 
優生学はもともと社会学の一つとして貧困層を救うためのソーシャルワーク学派および都市計画学派とならび、イギリスの社会学の柱の一つとして提唱された。
優生学を裏付ける学問としてメンデルをはじめとする遺伝学の研究が重要な役割を果たしていた。
しかし、遺伝と病気の関係はまだ明らかにされておらず、精神病も遺伝によるものと考えられていた。
 
本書ではイギリス、アメリカ、ドイツ、北欧、フランス、そして日本において、優生政策がどのような形で行われたのかを記しているが、特に印象に残ったのはドイツの優生学の祖といわれるヴィルヘルム・シャルマイヤーとアルフレート・プレッツの存在である。
 
シャルマイヤーはダーウィンの逆淘汰に基づく優生学を提唱した。逆淘汰を防ぐために彼が提唱したのは「病歴記録証」である。その名の通りこれまでどのような病気にかかったのかを覚えておく限り記録しておくパスポートを基に考案されたものである。この記録証は国が管理し、婚姻時に結婚相手の病歴を確認することができ、場合によっては賢明な判断が下せるというものだ。多くの病気が遺伝と考えられていたため、全てを書き出しても今では無用とも考えられるが、個人の病名を記録して将来に役立てようとする考えは電子カルテと共通する。
 
 また彼は医者が病気の治療よりも予防に力を注ぐために医師の国有化を提唱した。患者の報酬により医療を行うのでは予防に力を注ぐことは出来ず、ただ患者が病気を他人に移すのを黙って見ているだけの存在を批判した。この考えは病気が遺伝によるものゆえに、できるだけ早い段階で手を打たざるを得ない、という根拠に基づいている。その根拠は後の学問によって否定はされるものの、社会保障という観点から考えると、病気になる前に予防することで患者個人だけでなく国の医療負担を抑えられるシステムを考えていた。
 
アルフレート・プリッツは「種」と「社会」という概念の違いを強調し、その上で、どちらも個体の集合でありながらも「種」の観点から「社会」の再編成を提唱した。(種と社会の概念については省略)
具体的には自然淘汰を性的なものに転換すること(これにより劣った資質の個人が子孫を持つこと、そして自らの欠陥を遺伝させることを防ぐ)、そして最終的な措置として淘汰の過程を有機体としての個人の段階から、細胞、とりわけ生殖細胞の段階に移行させる(言いかえれば淘汰の過程を遺伝の操作、あるいは低価値であることを観察もしくは推定できる無能力な生殖細胞の除去へと切り替える)ことを提唱した。
 
後者の考えは医療で現在行われている出生前診断に通じるものがある。優生学的な見地からとは異なるという意見もあるが、そうともいい難いのは、精神疾患などが遺伝が直接関係するものとは決めつけにくくなったにもかかららず、社会の側はそうした疾患や障害を持つ子供を産むのを望まない。ゆえに
優生学的な理由がそのまま医学的理由にシフトしたと考えられる、と筆者は指摘する。
 
学問としての優生学の当初は至極まっとうなものと思われた。しかし、病気を遺伝のみ帰属する判断を進めた結果、不妊治療などの断種法が進められるようになった。(その他、このような粗治療は医師の判断に全権の信頼を置いたことなどがあげられる)
 
 ここでまた一つ重要な問題として多くは「本人の同意のもとで行われた」とされている。一見同意が必要なら拡大はしないと思われるが、現実には同意のもとで優生政策は拡大した(北欧)。というのも、実際には優生政策の同意が様々な場面で取引の代償として扱われたからである。別のたとえで言うとアプリケーションのダウンロードや更新時に提示される同意書である。更新をしたければ同意しなければない。同意しなければ更新できない。専門用語でいえば付合契約の形で導入されていった。
 
その後優生学は1970年ころになりようやく否定的に再発見される。
これは、1960年代のうちに
公民権運動、社会的マイノリティの権利確立運動
分子生物学による遺伝の基本原理が分子レベルに明らかになった
・反公害、ベトナム戦争への反対による科学技術、研究への厳しい目
があったためだという。
 
病気と遺伝という曖昧な関係性が分子生物学の誕生により高度な存在になったのに対して、当初の考えは顧みられずにただ現実として行われた不妊治療をはじめとする断種が残った。これとわかりやすいナチス民族浄化政策が結びついた結果が安易に優生学ナチス=危険という考えをもたらした。
 
しかしながら、プリッツが提唱した淘汰を生殖細胞の段階に移行させるという究極な目標は出生前診断へと形を変えて残っており、最近では手軽なキットを使えば自分のかかりやすい病気などを知ることができる遺伝子診断が流行の兆しを迎えている。
 遺伝子の大半はまだその役割ははっきりとわかっていない。ヒトゲノムの構成のうち約半数は未知となっており、タンパク質合成の際の情報を保持するいわゆる遺伝子は全体の1.5%しかない。(破壊する創造者:フランク・ライアンより) 今の遺伝子診断はかかりやすい病気の傾向が示されであるが、例えばそれが遺伝子の解明が進み、個人の性格と結びつくようになれば、優生学が途中で過ちを犯した病気と遺伝の因果関係と変わらない。
 
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優生学、というと拒否反応を起こす人も一定数いると思われるが、優生学という学問がどのように生まれ、そしてどこで行き過ぎたか。単に危険だ、というのはたやすいが、形を変えてそれは今も身近に存在する。
 
Knowledge is powerという格言がある。これはただ単純に知識を大量にインプットするだけではなく、必要に応じて使いこなすことも含まれていると思う。みんながいいね、というものに同じく諸手を挙げて賛成するのはたやすいが、そこであえて批判的にとらえるための知識。新書ではあるがたちどまって考えるための知識がこの本には詰まっている。
 

優生学と人間社会 (講談社現代新書)