まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

fakeイベントとの付き合い方

最近立て続けにフェイクイベントが起こった。具体的にはfbやTwitterなどで盛り上がりを見せており、実際に見に行くとそれなりに人はいるものの、中身が伴っていない展示やサービスだ。
これらに共通して行われていたことは、fbやTwitterなどでの感想があふれると同時に、Webメディアでも取り上げられている。会場は何かと盛り上がってはいるものの、そこには何もないし、さらにはそこに行ったことで逆に損失を被る事件も出てきている。
 
***
●秘境の東京、そこで生えている
 
入場料を取った割には何もない展示だった。確かに労力はかかっていることはわかるが、それを必然性がまったくと言っていいほど感じられなかったのだった。写真を撮ってシェアすることも推奨されていたが、私はカメラを持ちつつも何も取ることがなかった。ただ空っぽな空間に墨で植物が書かれていた。これらの植物を書くことについての無数の時間については思いを巡らせるものの、果たしてこれが作品としてよいものかと問われるとそれは別問題だ。丁度それは長時間労働で出した成果物だから無条件にそれはよいものである、のと同等である。だから、私はこの展示を見おわったあと、「よくもわるくも日本的」とつぶやいた。
 
その時に改めて思ったのは、自分が選んでいるかのように見えて、誰かの意見を参考にしているし、この人がいいというのであれば、間違いはないだろう、と判断をしているということだった。
私自身も3331の展示に訪れたのは原研哉さんが劇押ししていたのでその場所に行った。(もちろんそこに行かないと見えないものもある)とはいえ、他に行っていたアノニマスな方々の感想を見てもそれほど食指を動かされることはなかったので、もしかしたら、という気持ちにはなっていた。ただ、こればかりは現実に見てみないとわからないので行ってみたが、結果的には決して安くはない入場料が無駄になってしまった。入場料の問題ではないけれども無料で入れるggg(銀座グラフィックギャラリー)の展示のほうが圧倒的に密度は高かったことを付け加えておく。
 
私が見た限りでは菊地敦己さんだけがはっきりとこれは広報の勝利だと言っていたが、他の多くの方は原研哉さんに気を使ってなのか「熱量」という言葉を使って誉めているような印象を持った。

 

***
 
引き続いて行われたブラックボックス展も感想はあふれていた。しかし、これも先の3331展と同じようにほとんど中身のない感想でにあふれていた。アートに敏感なアカウントの方で実際に行かれた方もいたようだけれども、それでも3331の展示で学んでいたことは間違ってはいなかった。また、女性を狙った犯罪まで起こっており、予見できなかった事態だとしてもこの責任者は主催者にある。
また、参加者に嘘の感想を書くことを奨励されたが、この場合自分が嘘をつくことは主催者にとっての関係は保たれるかもしれないが、主催者ー参加者以外の外部との関係に対して嘘をつくことは果たして許されるのか?おそらく参加者はジレンマに陥ったために可もなく不可もなく曖昧な感想をつぶやいていたのだとおもわれるが、このジレンマを作ってしまうことも含めて悪質である。
 
***
●CASH
 
CASHという高利貸しアプリについては私自身も一目でこれはアウトだと思ったのですぐにつぶやいたし、詳細については専門家等で語られている通りだ。
こちらについてはサービスの開始の際にfashion snapやTwitterモーメントで取り上げられていた。残念ながらこれらのメディアはこのサービスが高利貸しではないことに気付かずに依頼があったから受けたのだろう。他人の視点が入ることで抑止力も期待できるはずであるだろうとは思っていたが、そうはならなかったのが残念である。
 
規約を読めばわかるように、利用者の立場は圧倒的に弱く、利用すればその規約に同意したとみなされる符号契約で、しかもこの規約の背後に顧問法律事務所の存在があった。(今は消えている)
 
クレジットカードも分割支払いをして金利をはらっている人が一定数いるために成り立っている。貧テックという言葉がもう広まってしまったが、金の知識がない人にとってこれらのサービスは弱者をより弱い立場にする悪質なサービスそのものだった。彼らのニーズにこたえているかもしれないが、正しい知識を持たない人をさらに弱い立場にしてしまう。幸い多くの人がこのサービスの悪質な部分を追求したおかげで今は提供を中断している。
 
特にお金のサービスについては弁護士の方のブログにもあったように、目には見えていない線から先に入ってはいけないものがある。それは誰もやりたいのにやらないのではなく、やってしまったら人間の良心が欠落しているのであった。しかしBANKはボーダーを越えた。(彼らがもうすぐ始めようとしていた別のサービス;ペイデイローンは、返済能力がないのに返済能力以上の貸し付けをして結果的に金融危機の引き金となった)
 
***
 
こうしたイベントやサービスに近づかなくていいようにするためにはどうすべきか。トランプ氏は名指ししてfake newsと言っているが、CASHの時のようにWebニュース媒体は真偽の判断までできる能力はないと言ってしまうことしかできないだろう。これは数年前にごたごたしたオリンピックの会場問題や豊洲と築地問題とも近いものを感じている。これらについては大手新聞媒体でも専門記者を社内に抱えていないためなのか、政治の情報と技術的な確からしさを正しく伝えていないように思える。(日経新聞は以前データの読み方の入門講座と称して相関関係を因果関係と堂々と間違えていたが、人手不足もこのような場面に出てきているのかもしれない)
 
少し前にフェイクニュースとの付き合い方というテーマにそって海外と日本の有識者が意見を述べていた。日本は正しい情報を発信し続けるべきだ、というのに対して、フェイクニュースがあふれているロシアとの国境に近い国では、CASHの時のようにひたすら間違っていることを言い続けることだそうだ。また、別のメディアでは独立の機関がそのサイトが発信する信頼性を評価しているという。
アメリカの選挙戦でも無数のフェイクニュースがにぎわった一方、フェイクニュースやイベントが増えてきている日本でもこれらの対処をする必要が出てきていると改めて感じた最近の出来事だった。
 

火車 (新潮文庫)

クレジットカードの多重債務を題材にした宮部みゆきの小説、発売は1992年だが改めて読み直したい。