まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

グランドツアー報告会(ミュンスター、ドクメンタ)

松戸のParadise airにて2つの国際アート展の長谷川新さんによる報告会があったので聞いてきた。

以下ざっくりとしたまとめ

 
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ミュンスター(Skulptur Projekte)
●成り立ち
10年に一度開かれる。1977年が最初 始まりは、George Rickeyが動く彫刻をMunsterに作ったところ、市民の反発が起きた。公共の妥当性を確かめるために彫刻の展示を行うこととなった。
 
今回の展覧会のCurator Kasper König  art itの記事が好きでなんでも読んでいる。
PublicとScluputureの意味を問う。10年経つとECからEUになったり、彫刻自体の動きの変化も見られて丁度良い。Documentaが5年で、同時期に開催されたときにとても観客が多かったので、こちらも5年周期にしたい、という申し出があったが、裁判すると訴えて、立ち消えとなった。
ミュンスターという町はWW2にイギリスの爆撃を受けほとんど無の状態から立ち上がった。しかし下水道はそのまま残っていたので元の街並みが複製されている。
 
●Curator: Marianne Wagnerとの対話
・パンフレットを15€にするのに市議会と戦った。
・パンフレットに作品の写真を入れることが大事だったので、オープンの二日前に一斉に撮りに行かせた。きちんと配置されているかは関係ない。きちんとした写真は後でアーティストが雇ったプロの写真家がやってくれるでしょうから。
 
パンフレットは会場になかったが、手に持った感じだと週刊少年ジャンプほどの分厚さがあるが、それと同じくらいの軽さで持ち運びやすい。カタログをめくっているとインクが手につくが、それがまたよい。
ネガティブなことをポジティブに言い換えることが大事(1回目)
展示は近くで見られるものと、遠くで見られるものの動線を分けられている。遠くで見られるものによい作品を置いておく。遠くの作品は自転車で回ることができる。
 
●印象に残った展示
・Ayşe Erkmen    On Water
島と島のあいだを底上げして少しの水につかりながら歩けるようにした、参加者に人気。シンプルなものを作るのに多大な手続きが必要になった。(Curator: Marianne の話 )
 
・Pierre Huyghe   After Alive Ahead

www.youtube.com

各アーティストの予算は400万だが、まったく足りない。たとえ赤字になってもそこで展示することに意義がある。1億円集めてプロジェクトを作る。
廃墟となったスケートリンクビオトープにする。ミツバチの巣や魚たちが住む。 天井は遠隔開放し、そこからミツバチが外に出る。VRも利用したイメージも見ることができる。
 
・Jeremy Deller   Speak to the Earth and it will tell you
10年前に招待された時のMunsterで庭を造った。近所の50組の家族に10年間の日記をつけてしまう。
淡々とつけるもの、途中で止めるもの、途中放置されていたが今回の展示に向けて再度付け始める家族などそれぞれの家族の模様が見える。
 
・荒川医 (Ai Arakawa)
展示早々に作品が盗まれてしまったが、ポジティブな言葉に直して共感を得る。
ネガティブなことをポジティブに言い換えるのが大事(2回目)
 
田中功起(Koki Tanaka) How to live together and live unknown
Munsterに住む出身は各々別々の8人の移民と少しの時間、時を共有しその断片を記す。最終的に車の前方に移民二人が座り、後ろに田中が座る。空間構成がよい。
Production notes
 
・Michael Smith Not quite underground
Tatooの展示とその場で体験。会場にはPVが流れており、老人の集団がMunsterを回ってこの会場でTatoo を入れて帰っていく。感動してその場にいるスタッフに伝えたが、スタッフはそう思っておらず、議論は平行線のままだった。解説との落差がある。
 
・その他
歌舞伎をモチーフにしたイベントもあった。内容はまったく関係なく、くだらなかったが何か少し面白い出し物をすることで、その場の雰囲気を良くする効果があるのかもしれない。
 
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●Documenta 14(ドイツ・Kasselおよびギリシャ・Anthem
5年おきに開催される。キーワード人物 Arnold Bode/Harald Szeemann/Jan Hoet
WWII中に自分の大切なアーティストが弾圧されたことへの反抗から始まっている。
「人類について本気で考える」 反商業主義
 
前回のdocumenta13では「人間を排除する」をテーマにした部屋があった。また、国内にとどまらず巡回する展覧会を行った。24時間ぶっ続けで出展アーティストの紹介を行った。
今回Tour guideがあるものの、作品紹介はせず、参加者を作品をcriticするというスタイ
ル。好みは分かれそう。
learning from Anthem アテネとカッセルほぼ同じ作品が置かれているが、違う構成で見ることができ、remixされていることがわかる。
 
キャプションアーティストの名前が大理石の上に書かれている(本物の大理石ではないのかもしれない)国籍が書いていないのは大きい。
Whispering Campain 至るところに無数の声が聞こえる。xxxxhours
 
・Neue Galerie
 
・Whispering Campaign
スピーカーから無数の声が聞こえてくる。
 
・Maria Eichhorn
 
グリム童話のマイノリティー
アクロポリス宮殿 ギリシャを理想化+政治利用している。
 
ドクメンタでもミュンスター同様展示会場の配置をばらばらに散らしている。わざと移民が多い場所を通るように組まれている。地図は見にくい。
 
Issei Sagawa ガルバニズムで死刑を免れた人物のインタビュー。
豆腐工場で今それをやる意味はあるのか。いや、ないだろう。
タイトルに込められた意味も生理的に良いものではなかった。Commensal
(An association between two organism in which one benefits and the other derives nether benefit nor harm 意味はoxford dictionary から引用)
 
・Pnathenon of books
発禁本を集めて塔にする。検閲に反対するという意図が込められており、 ハリーポッター(ムスリムでは禁止されている)やcatcher in the ryeが多い。
しかし残念なことにアジアの本がない。(東南アジアで終わっている)Divideされている。
 
●全体の感想
当初やろうとしていたCornelius Gurlittのコレクションを展示することが本来の目的だったが事前交渉が決裂してしまったために方向転換を迫られた。
Cornelius Gurlitt ナチスに美術作品を流した悪人として当初は認識されていた。彼の妹も悲観して自殺しまったが、実は彼は多くの作品を守っていたのだった。しかし彼の死去、作品は元の持ち主のところに戻されている。
 
方向転換を迫られた結果、5人のキュレーターで分担してやっている。それがこの展示を中途半端なものにしてしまった。アテネのアーティストが6割を占めており、クオリティを下げている部分もあるが、それは特に重きを置いていないという。(Adam Szymczykがぶっちゃけている美術手帖を見よ)
 
音楽、テキスタイルの展示が多い。中南米の文字がない場所では結び目で意味を伝えているらしいのだが展示はみただけで何かよくわからない。「そうですか」
 
個々の作品を見るのではなく、全体的な構成を見るのがいいのかもしれない。
 
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以下参加した感想。報告会という形ではあったが、それほど堅苦しいものではなく、即興的に会場で撮った写真を見ながら限られた時間で全体的な雰囲気を説明するものだった。
海外の芸術祭は見たことがないが国内で開かれたものは越後妻有、茨城県北に行った。
話を聞いただけで単純な比較はできないが、大きな違いは芸術祭をやる意義がまったく異なるのだった。国内で開かれているもののパンフレットなどを見ても、その違いは大きく、スタンプラリーや食事処の紹介があると、何が主体なのかを考えたときに動員数にのみ目を奪われてしまう。もちろんそれがわかりやすい成果の指標になりうるのだが。当然開催するには地元住民や行政の協力は必要であるが、上記の二つは過去にあった負の歴史や事象への抵抗として始まっている。開催のインターバルは日本のものよりも長いが、意思は脈々と受け継がれている。(多和田葉子の最新作「百年の散歩」はベルリンの通りを舞台にした小説だが、ドイツにはもう同じ過ちをしないための努力がそこかしこにみられる)
一方、私がこれまで見てきた展示で過去の歴史に基づいた作品を見ることは少ない。越後妻有であれば土石流が起きた現場であったり、茨城県北であれば鯨が丘の窓を利用した住人の声をポップに展示した作品位だ。決して歴史がないわけではない。例えばかつて岡倉天心が設計した六角堂は東日本大震災津波に巻き込まれて再建されたばかりだった。どちらかというとつらいものはなるべく触れないようにしておくことが和を好む国民性に即しているのだろうか、それでも声を上げない限り沈黙が長くなればなるほど確実に忘れていく。( 広島をテーマにしたChim↑Pom作品が多くの批判にさらされたことがあったが、日常を不安定化するものに対する恐れは大きいようだ。けれども、波風が立てないと忘れ去られていく「芸術実行犯」)
Munsterの展示を見る前に長谷川さんはMarianneと話して、この芸術祭の期待値が上がったと話していたが、おそらくそういうことなのだろう。存在意義がある芸術祭は強い。

美術手帖 2017年7月号

百年の散歩