まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

西海岸で訪れた美術館など

しばらく時間が空いてしまったが、サンフランシスコ、シアトル、ポートランドで訪れた美術館などについて書いていく。

SFMOMA (San Francisco)
サンフランシスコにもMoMaがある。肝心のNYのMoMaはまだ訪れたことがない(入場列が多すぎて断念してしまった)のだが、こちらのMoMaは最近Snøhettaが増築を担当して新しく生まれ変わった。

展示階は7階までで、5階にカフェと中庭がある。周りの高層ビルに囲まれる低層のオアシスのようなところだ。丁度に中庭があり、そこでカフェや軽食が楽しめるスペースが併設されている。もちろん、利用しない人にも解放されていて、柔らかなファサードを見ることができる。

移動はエレベーターと階段があるが、階段の部分は2階以上は吹き抜けになっており開放感がある。また、休憩用の椅子と大きい窓が組み合わされているため、サンフランシスコの高層ビル群を見ながら物思いにふけることもできる。

企画展はムンクをしていたが、2月にノルウェーで見たものとそれほど変わらなかったので、常設展だけを見た。訪れた日は土曜日で夜間開館日だったので普段よりも混雑を予想していたのだが、そうでもなかった。日本と圧倒的に違うのは老若男女が思い思いにアートを楽しんでいる風景だ。もちろん騒ぐのとはまた別なのだが。(日本だと静寂が重んじられどこかいつも窮屈に感じてしまう)

肝心のコレクションについては満遍なく楽しめた。美術館に訪れたときの出会いでよいのは、自分が知らなかったが現地で好きになる作家や作品に出会うことだ。常設展の範囲だが企画展として展開されていたのがイサム・ノグチで、名前はもちろん知っているが彼の本来の仕事(インテリアデザインや彫刻ではなく建築家やランドスケープデザイン)についてはほとんど知らなかったので、よい機会となった。公園に配置されていた遊具も彼自身が考えていたのだが、はじめて遊具を見た子供が興味を持ってそこに向かうにはどういうデザインのものがいいのかを考えた結果として得られた形になっていた。もちろん後援全体としてのプロポーションも考慮されている。

上層はインスタレーションが多く、下の階は階が中心だったが、特にフリーダ・カーロの自分と夫を描いた夫婦像がなかなかよかった。フリーダの多くは彼女自身の自画像を思い浮かべてしまい、依然見た自伝的映画でもあったような顔そのものが生き様を表している絵そのものは嫌いではない。彼女の夫は背が高く恰幅のよい男で、夫婦の絵として描くと彼女の姿は夫に比べて小さくなる。あえて背伸びして対等な大きさで描いてしまうのもひとつの手だとは思うものの、それをせず正直に二人の姿を描いていたのが印象的だった。

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○De Young (San Francisco)
デヤング美術館は主にアフリカやオセアニアのコレクションをしている美術館だ。設計はTate Modernでも有名なHerzog&de Meuron 。青山にあるPRADAやMIUMIUなども彼らの設計だ。美術館の形は事前に知っていたものの、スケール感や空間の使われ方は訪れてみないとわからない。Parkの中にある美術館だが、日本のParkと同じ意味合いで捉えてしまうとそのスケールの大きさに圧倒されてしまう。原宿の代々木公園や世田谷の砧公園がParkといってもいいだろうが、それでもその美術館の大きさに驚く。遠目からは銅を切り出した塊のように重々しいのだが、近づいてみると規則的に(一部不規則に)銅板に穴があけられており、軽快さも感じられる。正面にはキース・へリングの作品がある。

こちらも常設展だけにした。De Youngはキルト作家のようだ。キルト自体これまで注目してこなかったが、細長く切られたキルトを微妙なずれを含めて大きな正方形に作り上げた作品は錯視図形の用でもあったが、見るものの視線を飽きさせるものではなく、刺激的だったので思わず写真をたくさん撮ってしまった。

アフリカ出身のアーティストの作品もこれまで注意してみていなかったのだが彼らの作品もまた興味深いものだった。フリーだと同じく夫婦像を描いている作品があったが(Mose Tolliver 「Me & Willie Mae」) 、色遣いが見慣れた西洋画とは全く異なっていた。とはいえ、見ているうちにデフォルメされた顔と作品に引き込まれていくようだった。また、彼はピカソの泣く女をモチーフにした作品を描いており、これもまた目に残る色合いだった。

二階には絵画作品もあったが、アメリカにも印象派の風は届いていたようだ。中南米の祈祷に用いられたお面は人と動物のものがあったが、圧倒的に動物のものが面白かった。

離れに展望台もあったが、高所から眺めてみるとサンフランシスコはあらためて坂の多い場所であることがよくわかる。

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○Seattle Art Museum(Seattle)

Yayoi Kusama: Infinity Mirrors at Seattle Art Museum - SAM

企画展は草間禰生の鏡を使ったアートが中心だ。もともとはワシントンの美術館で最初に開催されたものの巡回展なのだが、instagramの拡散も手伝ってか人気の多い展覧会になっている。すでにどのようなものが見られるのかわかっていながらも、体験するのにいとわないのはアメリカの力なのだろうか。どの展示も行列だったので一人当たり20秒程度しか見られない高速回転だったのが残念だったが致し方ないだろう。
ガラスの箱の展示以外にも何点か作品はあったが、空間を色で埋め尽くす作品(鑑賞者はカラフルなシールをもらい、部屋の中のどこかに貼り付ける)は長い目で見ると展示空間の色が変わっていくのだろうし、その変化を見せても面白いのではないかとも思った。

草間さんのインタビューが見られる部分もあったのだが、齢80を超えてもなお、愛と平和について語る姿は長い活動を超えてもなお彼女の活動に終わりはないことを表している。理想を語る口調は年相応だったかもしれないが、目の輝きはまだ現役そのものだった。

常設展では絵画中心だったように思う。空間はSFMOMAのほうがよかったが、オスロでも見たけれどもKifer Anselmの作品にはやはり圧倒される。また、Morris Gravesの作品はゴッホのとモディリアーニが入り混じったような存在感があり、よい出会いになった。

 ここにもアボリジニの作品が展示されていたが、先ほど見た草間さんの作品を髣髴とさせるものだった。色が爆発している。また、ここでもアフリカの祈祷の展示があり、これがまたよかった。日本にもひょっとこがあるが、近いものを感じる。

 

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○Maison Pittock(Portland)

ピトック邸はポートランドの丘の上にある過去に複数の家族が住んでいた邸宅である。誰も住まなくなった後に倒壊の危機に陥り一時は取り壊しも検討されたが、地元の方の協力もあって、改修され今に至る。すばらしいのは、邸宅の小物類が近所のアンティークショップなどの協力もあり進んでこの建物の保存に動いた。

丘の上からの景色はここはアメリカなのか?と思うほどの富士山を望む遠景からの風景と似ていたのだった。眼下に見える街と遠くにそびえる山。ポートランドを丘から見下ろすと、自然が多い町なのだな、とわかる。ピトック邸の庭はバラ園になっており、芝生の日陰では人々が思い思いにすごしていた。眺めのよい場所には桂がうわっており、京都の貴船神社で見た風景を思い出しながらしばしぼんやりした。

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○日本庭園(Portland)
隈研吾によるデザイン。週末に訪れたが混んでいた。けれども、意匠や施工の調整がうまくいっていないのか、全体的な精度は根津美術館に劣る。雨が多い気候というのもあるかもしれない。竣工して間もないが木にはカビが生えていた。材質や塗装は果たして適切だったのだろうか。
根津美術館と同じく飲食ができる離れがあるが、味の素によるものだった。歩いていると日本庭園といいながらも、日本にある庭園をそのまま移植したのではないのだという違和感を感じ始める。たとえば枯山水は高台から見下ろすものだったか、であったり、池は鯉と触れ合うためのものだったか、である。けれども私達がいろいろな国に対する憧れもこのようなものであって、断片的で違和感のあるものなのだろう。

 

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