まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

Pretend

2020年の4月に書いたブログから半年以上経過した。世界はまだこの感染症から脱しきれてはいない。とはいえ、予想をはずれてよいことがあった。それは有効性のあるワクチンが開発され、承認を受け(これも驚き)、スケールアップされ(ここが一番の驚き。これだけで数か月単位の時間がかかることが予想されていたため)接種が始まっているということだ。創薬の開発にかかる時間と検証(いくつものPhase)を経てようやく完成するという背景を知っている身としてはいまだに信じられないのが正直なところである。
 
もちろん世界の優秀な人たちは慎重に検証し、決断をした。残念ながらワクチンという言葉に拒否反応があり、すでにある有効なもの受け入れられにくい土壌がある我が国ではベンチャーによる参入はあったものの開発は遅れている。幸いなことにいくつかの国で接種が始まった後に配布されようとしているので他の国である程度の副反応が明らかになってから導入されるので「不安」という何に恐れるのか対象もわからないで動けなくなりがちな我が国においてはこの優先順位は悪くないのかもしれない。
 
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今年の9月に新型コロナ民間臨時調査会・検査調査報告書(コロナ民調)が出版された。
限られた時間の中でこの感染症にまつわる多くの決断がなされ、実行に移されてきた。この無数の決断の中ですでにもう最初の出来事は忘れかけているし、圧倒いう間に忘れさられるだろう。まだこの感染症の危機は去っていないものの、今後の危機管理対応へにつながる資料として有志ができる限り決断を行った人物に直接ヒヤリングを行い、どのような状況を経て意思決定が行われたのかを論じている貴重な資料である。粗削りな部分は否めない。それでもこの報告書を読んで、起こってきた出来事をなぞっていくとあまりにも多くの出来事が一度に起こったために自分の中で順番があいまいになっていることに気付かされることがしばしばあった。
 
春には緊急事態宣言を出し、気温が高くなって陽性者の数も少なくなったのでこのまま収束に向かうという希望は無残にも打ち砕かれた。
ようやくいわゆる先進国が気づき始めたことは、感染を封じ込めない限り経済は回復はしない(新しい生活様式、という提案はされたものの、基本的にマスクをするくらいしか対応できていない)ので、まずは感染者を抑え込むことが大事なのである。対策をしているというレインボーのステッカーを店の前に出してはいても感染が広まってしまうことがわかるとステッカーは剥奪される。このステッカーは店側の感染対策の意思表示であるが、その店を訪れる客は個人のグラデーションのある危機意識に基づく感染対策になっている。
 
これまでの感染対策を振り返ると、飲食店に一方的に努力を強いているものが多いように感じる。営業時間の短縮や休業要請、感染対策をしているという意思表示などである。この策はすでに第一波だけではなく、第二波と同じような対策をとっていて効力はあまりないように感じる。
一方で個人単位での感染対策はマスク(wear mask)、消毒(disinfection)、距離をとる(social distancing)、三蜜(密接、密集、密閉)それ以外にも多くの標語が生まれた。とはいえ、マスクをつけることは習慣になったものの、飛沫感染が発生する状況が一度でも起これば感染の可能性がある気の休まらない状況が続いている。こういう状況が長引くと疲弊し、いい加減なものになってしまう。特に人によって感染しても症状が出なかったり、かといって急激に悪化する人もいるので、長期的な感染対策に応じたメリットが得られにくい。それに加えて一度感染したら再度感染しないものでもないのでどこまで対策し続けなくてはならないのか終わりが見えない。
 
とはいえ、大勢の人に行動変容を促すのは容易なことではない。緊急事態宣言の人の移動を8割削減と提言した西浦氏の言葉は強烈であったし、数字として根拠があるものだった。けれども、恐怖だけで人の動きを変えてもらうのは僅かな時間でしかない。それに、何度も同じことを言っていても人は段々慣れてしまうし、聞いているふりをしてしまう。分科会の会長である尾身氏は最近の会見では”急所を押えた対策”、という言い方に変えている。それでも感染者の数の推移に減少が見られないとより強い措置を取らなくてはならないだろう。
 
ちなみにコロナ民調では現総理の菅氏は官房長官の時期に最後まで経済の先行きを懸念して緊急事態宣言の発出に懸念を表明していたという。そのため彼が総理になった今はよほどのことがない限り発出することはないだろう。そう考えると、前総理の安倍氏のほうがまだ国民の感情に対してセンシティブであったように思える。(それでも安倍氏も勢い余って大鉈を振るった結果、本当に必要な時に強力な措置がとれないこともあった。例;学校の休校を行った後の大きな批判の後での卒業旅行への制限措置)
 
〇経済との両立の困難さ
 
感染症と経済の両立は果たしてできるのか。 Go Toキャンペーンに振り回される旅行業界や飲食店などは突然のキャンセルに伴う返金手続きに時間を費やした。夏の間はたまたまウイルスの動きが悪かったという理由もあり、気持ちのゆるみもあったのかもしれない。それでも陽性者を0にはできなかったためにまた広がりを見せている。感染症を克服するまでのモデルでは拡大と縮小をはさみながら次第に減少していく様子が描かれている。残念ながら現実には何が感染を広げているのか、もしくは抑えられるのかを明確にせずにGoをかけてしまった。
このまま気温が下がったとしても感染は増えないだろう、という見立てが甘かったのかもしれない。すでに分かってように、現在の状況はおおむね2週間後に結果が出るので一時停止にしても先手先手で対応しなければならないのにそれができずに、時期が熟してから決断するという後手になりがちである。その分効果が出るのも後にずれ込む。
 
〇一枚岩ではない中枢
 
省庁も決して感染拡大が第一優先だとせずに一枚岩ではなく感染拡大よりも経済回復を優先させたいと考えているのは言うまでもない。
例えば電車に乗っていると毎度のように「国土交通省からの感染防止対策のお願いです・・・」というアナウンスがなされる。これはなぜ日本政府からのお願いにならないのか。政府一丸となって対策をしていないのではないか、と思われるような印象を与えはしないか。もちろん交通については管轄は国交省なのだろうが…ある路線では国交省、厚生省と併用してアナウンスがあったが、これも聞く人にとってはそれほど大差ない。些細なことではあるが東京問題同様、政府が一丸となって対応しなければならないはずなのだが、そうはなっていないように見える。
 
秋ごろ全国の感染者は小康状態だったが東京都がいつまでも感染者が減らないことを揶揄してか、「東京問題」という言葉が生まれた。この言葉は東京都のみに感染者が減らないことの責任を押し付けているに過ぎない。Gotoも一時期東京都だけが外されてスタートしたものの、東京への一極集中の結果が、周辺の県への感染を招いているし、現段階では明確に感染がしみだしているという話もあった。埼玉、千葉、神奈川はセットで一時中止や再開を行わなければならないのではないか。経済対策を優先するあまりに回復を優先させた結果が今にある。
 
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これまでの危機に対して、国がどのような対応をしてきたかを振り返ると、何かが起きてから対応するという後手後手に甘んじており、コロナ民調でも泥縄であっても結果オーライとなんとも言い難い結論になっている。たまたまうまくいったことの検証をしないのは平成の経済でも述べられていたことであった。(確かに何度となく語られた瀬戸際、という言葉もあまりに陳腐化しているのでいつまでも同じ言葉であれば、身の危険に感じることも少なくなってしまう)結果的に感染が落ち着いたのはウイルスの動きが鈍くなった時期に重なるので、初めての冬と二度目の春をどのように迎えるのかを、冷ややかな目で見守っている。皮肉をこめて言うとこれも自助の一環であるのではないか、と。表題のPretendはふりをする、という意味だが改めて日本語が本来持つニュアンスにもどかしさを感じながら年の瀬を迎えている。
 

新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書

平成の経済 (日本経済新聞出版)

 
 

内藤礼 うつしあう創造 @金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館内藤礼展を見に行った。
 
レビューを書いておいてなんですが、あらかじめほとんど情報は入れなかったのが正解だった気がするので、これから見に行く予定の人は事前に情報を入れないで見に行くことをお勧めします。
 

内藤礼 うつしあう創造」キュレーターインタビュー

 
チケットは現在COVID19の影響で事前予約制となっているのであらかじめ予約することをお勧めします。私が訪れた際には当日券には余裕はありましたが、金額も若干高くなります。
 
以下内容に触れますのでこれから行く予定の方は注意してください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
内藤礼展を訪れたのは暑い日だった。長かった梅雨も明け、まだ午前中にもかかわらず、外にいるとじわじわと体力を奪われる。
美術館の入り口では検温と消毒を促される。検温はモニターでリアルタイムに変わっていくものであるが、帽子をかぶっていた私たちはこの時点で規定の体温を超えていた。
監視の方によるとすでに何度も同じ状況を見ているのか、帽子を脱いでくださいね。と言われるがままに脱いでみると、あっという間に2,3度下がった。
 
展覧会の会場は大きな展示が二か所開催されており、内藤展はスイミングプール側であった。反対側の「芸術によるスポーツの解体と再構築」展では開場前から多くの人が並んでおり、目玉の展示があるのか、当日はカメラが入っているようで人気のほどがうかがえた。一方の内藤展はそれほど混雑しておらず、静かに開場していった。
 
入口では撮影は認められていない旨が伝えられる。多くの展示が鑑賞者が宣伝してくれることを目的に撮影は認められるようになってきた。このような展示はどちらかというとこれからはマイノリティになるのかもしれない。けれども最初の部屋に入って間もなく合点がいく。通常の美術館ではここから先は入っていけない、というような指示がまったくと言って見当たらないのだ。もちろん監視員はいるのだが。最初に入った部屋ではどこに何があるのかわからずうろうろする。会場の展示リストの番号と照らし合わせてその場所に近いところをうろうろしてようやく見つける。もちろん、そこにあることを知っている監視員の方々は制作物が触れないように声掛けをしてくれる。
 
展示室に訪れた順に感想を書いていく。本来ならば順番に訪れていくのが筋ではあろうが、COVIDの影響もあり、人数制限をしていたので順番ではなく、待たずに入れる場所から見ていくことにした。
 
<展示室8>
最初に見たのは天井から釣り下がっている細い糸だ。会場には照明はついていないので天井から降り注ぐ日の光だけが頼りだ。そうだったとしても、普段何気なく訪れている美術館の理想の照度にしてみれば全く足りない。とはいえヒトの目は順応するので、少しづつ環境に目が慣れていくと、そして自身の感覚を少しづつ研ぎ澄ませていくと見えてくる。細い糸なので、上のほうに行くと見えなくなる。けれどもそうであるだろうことは自然と補完する。それでいい、と。絵画などの展示があるとつい隅々まで見てしまうのだが、この展示はそれとは対極にある。
 
内藤礼の展示は直島で見たきりだったが、少しづつそこでどのように見えないものが見えていったのかを思い出しながら足を進める。
 
同じ部屋には床に水の球が密集している。それを静かに見守っていると時々音もなく球ははじける。頃合いを見て水の球は追加されているのだろうか、時間をおいて見に行くと球がくっついて大きな水滴になっている。
 
<展示室7>
隣の部屋は中には入れないので、最初の部屋か、通路から見守るしかない。それでもそこに展示はあり、数点は確認できる。視線の奥に天井からぶら下がった電球がある。これは太陽という作品で、おおむねどの部屋にも備え付けられていることがわかる。同じく太陽の子という作品は各展示室の入り口に二つの照明がぶら下がっている。
 
<展示室14>
入場前に鑑賞できる範囲を教えてもらい入室する。大小さまざまの水球が浮いている。水の中に入ったような感覚もする。中にあるベンチに座り、目を凝らしていると、反対側はプールのある庭とチケット売り場につながっており、その中空を鈴が緩やかな弧を描いて設置されている。まるで何かの通り道のようである(あるインタビューでは外と中が通じる場所と書かれていた。確かに展示会場はチケット売り場という日常から切り離されているところがほとんどだ。非日常から日常が見えてしまうと興ざめしてしまう。けれども展示会場の偶然もあり、チケット売り場に通じている空間があるの「うつしあう」という題名にはぴったり合うものになった。ちなみにチケット売り場は見えるとはいっても絶妙に床からのせり上がりでおおわれているので、ベンチに座っている限りではふんわりとしか感じない)。もし、親切な作り手であれば扇風機でも使って鈴を鳴らしたのかもしれない。けれどあえてそれをせず、ただ見る人に意図を気付かせる方法をとっているので静寂に満ちた空間ではありながらも鑑賞者の頭の中ではハッとする瞬間があったのではないか。
 
<光庭2>
庭の上部に細いひもが南北、東西の二箇所に分かれて掛けられている。二つの紐はひたすら風になすがままになっているが、見ているとまるで波を見ているようにおおらかな気分になってくる。二つのひもは同じ長さではないのだろう、風によって絡まることもなく、ねじれの状態でふわふわと漂う。光庭をただぼーっと眺めるだけの椅子も配置されている。
 
<展示12>
奥に行くとドロップをきれいに磨いたようなガラスが備え付けてある。そこから出口側を見ると万華鏡のような姿が見える。ただ風景で試すよりも二人で試すのがいい。
ここまで見てきた展示を見て思ったことは展示はさりげなく、そして鑑賞者に感覚を研ぎ澄ますことを促すものなので各人が独りで楽しむものばかりなのかと思いきやそうでもないのだった。<展示室14>が外に向けられていたように、独りであっても、孤立しているものではない。
壁にかけられている精霊と名づけられた作品は細い色のついた糸でできているが、ある程度近づかないとみることができないし、<太陽>がともってしまうと探すのが難しいほどの繊細さを持っている。
 
<展示室11>
多角形の台に多数の人形がいる。台の中心には太陽がある。しかし、その周りの人形は太陽を背にして鑑賞者のほうを向いている。よく見ると、別の方向を向いている人形もある。無数の人形の中で誰に感情移入するのか。そこには最初の部屋でも見た水の球の集まり<母型>があり、太陽に照らされて初めてその存在に気付く。しかし、太陽を見ている人形はいなかったように記憶している。その周囲にはcolor begenningという白地にところどころ色が塗られた小さいキャンバスが置かれている。ベンチも置かれている(座ることができる) この展示室は長細い展示で、最も広いものであったが、台を取り囲むように椅子が並べられていると、たとえそこに人が座っていなくても、何かが見張っているような感覚がある。そして、台の多くの人が外を向いているのが、見えない何かと向き合っているような錯覚にとらわれる。
 
<展示室9、10>
隣どおしの部屋は鏡像の関係にある。電熱線に熱せられた空気の上で踊る霊のような柔らかい動きをする糸。熱せられた温かい空気が漂うように動いているだけ、といえばそれだけなのだが、その一つとして同じ動きをしないものに目を奪われずにはいられない。温まった空気は奥の壁につるされた展示物に影響を与えて、時たま動き出す。風船は鏡との鏡像の中で生き、影がぼんやりと映る。この部屋が一番暗いこともあり、どことなく死を感じさせるもののようだった。 すべての展示を見終わり、この太陽という作品が17時になって点灯されるという話を監視員の方に聞いて、またここに来なければならないな、という思いを胸に展示室を後にした。
 
<光庭3>
水の入った瓶が散らばっている。向かい側にはうっそうと草が生えた作品がありその中の通路は温室さながらであった。雨の日に見るとこの庭は楽しいのかもしれない。
 
ほとんどの部屋に<世界に秘密を送り返す>という小さい鏡でできた作品が向かい合わせに配置されている。あまりに小さいので一つの鏡から向かいの鏡の様子を見ることはできないが、向かい合わせて配置することで色々な想像(結界など)ができる。
 
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<太陽>がついた後
 
太陽という作品を見るために夕方になって戻ってきた。こういう時期もあり、美術館は午前中に比べて混雑している、という様子は見られなかった。どこで太陽がともる瞬間を迎えたいのかを考えてみたが、やはり遠巻きからでしか見られない<展示室7>だった。太陽をみつめる2人の人形さながらに私たちはその瞬間を待った。先に太陽がともり、天井の照明も一部ついた。午前中とは全く違う風景だった。見えなかった水の球の集まりがこれほど近くにあったとは。そして、この部屋には遠くに糸の作品があったようだが(それはインタビューを読んだからわかったことではあるが)、特に残念な気持ちはわかなかった。そこに作者が意図して配置したということに意味があるが、それを見られなくてもいい。存在があれば。という気持ちはなかなかわかないものではないだろうか。
 
満たされた気分で美術館を出る。ミュージアムショップを出た後で展覧会のカタログが置いてあったので眺めてみるが何も印刷されていない。もしやこれも作家の意図か、と思いきや、これはまだ印刷前のものだったので思わず笑みがこぼれる。
 
美術館によってはオンラインで見ることのできる展示もあり、それはそれで生き残るための選択肢としてアリとは思うのだが、この時期に生身で美術館を訪れる機会は何物にも代えがたいのだった。会期がそこまで長くできないのは自然の光の見え方も作品の一部として考えているからだろう。機会がある方はぜひ訪れてほしい。
 
以下は鑑賞後に読むことをお勧めします。
 
 タカイシイギャラリー
 

空を見てよかった

 
 
 
 
 
 

原田マハ×高橋瑞木

5/10のインスタグラム上で行われた小説家の原田マハさんと香港のCHATのキュレーターを務める高橋瑞木さんの2時間のトークを聞く。
今後アーカイブとして残してほしいと思うほど充実した時間だったのだが、このあと残るかわからないので記録のために印象に残った部分を残しておく。
 
インスタグラムのライブが基本1時間のようで、休憩をはさみ二回に分けて行われた。もともとは最近刊行された共著の新書「現代アートをたのしむ 人生を豊かに変える5つの扉」の紹介の予定だったが、あまり中身を話しすぎると買ってくれなくなってしまうかもしれないということで、前半はふたりの出会いのなれそめや今までの仕事の経緯などを説明があった。
 
原田さんが一念発起して早稲田の二文(今はない)を受験して一度は面接で落ちた(アンディーウォーホルをテーマ)ときの話や高橋さんが漫画を基にした論文を書くための留学費用の工面や結果として二人が仕事仲間として再会することになる経緯など印象に残る。
 
・美術館の楽しみ方の変化
スマートフォンの普及が圧倒的に影響を与えている。作品とともに一緒に映った写真を記録する美術館を訪れる一つの楽しみになっている。また、お目当ての作品をいの一番に見に行くことも一つの見方ではあるが、会場全体の作品の配置や空間も含めて作品も見ることはその場に訪れることならではである。
 
・2019年のContact展
2019年に原田さんが企画した清水寺のContact展では作品の配置をあえていつもよりも近く鑑賞できるような配置にしたという。作品にもしものことがあったときの責任は原田さん自身が負うとして監視員としてもその場にいたようなのだが、参加した人は適切な距離を取って鑑賞してくれたことにとても感銘を受けた。
美術館の中に作品が配置されているだけで美術館として完成しているのではなく、人々と作品とのinteractionが行われている空間こそが美術館であると感じた
 
 
Conact展を行うに際して念頭に置いていたのはドイツ、デュッセルドルフのインゼル・ホンブロイッヒ美術館( https://www.inselhombroich.de/de)だという。
美術館の成り立ちは 以下が詳しい
 
この美術館は原田さんが森美術館準備室に在籍していた際に世界の美術館を訪れて構想を練っていたときに森ビルの森稔氏と共にこの美術館を訪れた。リンク先の紹介にあるようにこの美術館は森氏と同じくディベロッパーでコレクターの カール・ハインリヒ・ミュラー氏によって作られたのだが、作品の展示が独特で空調の環境には置かれていない。驚いた森氏が理由を尋ねると、この作品が作られた時代にはそのようなものはなかったでしょう、と答えたという。(もちろんこれはコレクターとして所有している作品だからできるものである)
 
・コロナが美術館に与える影響
ブロックバスターと呼ばれる展示はやりにくくなるだろうし、海外から作品を借りてくるにも制限がかかるだろう。しかし、これは作品の貸し借りだけではなく、人と人との交流も含まれているのが重要な点でもある。
一方で日本の美術館では、各々が持つションに焦点を当てた展示や、展示内容で独特なものが出てくるのではないか、という期待もある。
 
・アートは無言の友人
現代アートを楽しむ、のあとがきで高橋さんがアートを見た後に感想を話していくうちにお互いの人生や悩みについて話している。アートが各々の心の中にMediumとなって新たな視点を提供する、無言の友人だ、という一節を朗読。
 
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感染症の広まりによる美術館をはじめとする多くの公共施設の閉鎖は今年の初めには全く想像もつかなかった。当初は事前予約制で運営していたアーティゾン美術館も閉館され、終わりが閉塞感がありながらも、以前とは同じ状態には戻れないことは薄々わかりつつある。対談で言及された影響や今後の美術館で作品を見ることがどうなっていくのか、そのヒントはWeb版美術手帖でも書かれている。
 
見せ方はいろいろあるだろうけれども、やはり体験しないことは意味はない。
 
今回の対談のアーカイブが公開されるのかはわからないが、もしされるとしたこちらのアドレスになるだろう。
また好きな時に好きな美術館を訪れる日を待ちわびている。
 
 
 

Before/After

1月の初旬に新型肺炎のニュースを初めて見たとき、ここまで世界中に広まることを考えてはいなかった。どこか対岸の火事。それがアジア、ヨーロッパそしてアメリカと広まるにつれて、事の重大さが改めて浮き彫りになった。
 
日本はアジアからの水際対策に成功したかのように見えた。花粉症シーズンということもあり、マスクは一般的に普及している。それにもともと相対的にきれい好きな国民性もある。この時から既にリモートワークとしていた企業もあったが、ちょうど桜の時期と気候が温かくなってきたことも重なり、ようやく日常に戻れるかと思ったが、甘かった。
 
花見は既に自粛されていたが、連休を利用して行楽に出かける人達はそれまでの反動もあり、多かった。週末に開放される銀座の歩行者天国は、海外からの観光客を見つけるのが難しいが、インバウンドで騒がれる前の銀座に戻ってしまったかのようだった。ユーフォリア、という言葉はこういう時のことを言うのかもしれない、今思えば。
 
勿論ウイルスは生き残るためにこのタイミングを逃さなかった。その時から約二週間たち、間もなく非常事態宣言が発令されようとしている。
 
宣言が発令されたとしても強制力は限られる。のような罰則付きでできないのかは我々が試されている。しかし、もはや性善説が成り立たない事件は所々で起きている。ある程度抑えられても、劇的に減らすのはなかなか難しいのではないだろうか。国は違えど人間の本性は変わらない。イタリアでは地域が封鎖される前に移動して、より感染が広がった。これはすでに日本でも起きていることでもある。
 
感染症は社会の在り方そのものを変えることが良くも悪くも明らかになりつつあるが、これを乗り越えるためには先人の知恵、つまりは読書してその考えを適度に取り入れて使っていくのが有効だと思う。
 
幸か不幸か年度が切り替わるタイミングでもあり、新しい立場になる学生などに向けて既にいろいろなところで本の紹介がされているが、ここでもこれまで読んで来た本の中で改めて読み直したいという本を紹介したい。
 
1.確率思考 by アニー・デューク
 
確率思考 不確かな未来から利益を生みだす

確率思考 不確かな未来から利益を生みだす

 

 

最初に自粛要請が始まり、経済に影響が出ている中、政府は様々な取り組みを提言したが、多くの批判を浴びたのが一つのプランしか考えられていないという状況である。著者は心理学の大学院を中退してプロのポーカーにとして活躍したが、彼女がポーカーという不確実性の高いゲームに対してどのような取り組みを経て強くなったのかが書かれている。ちなみにポーカーの知識は事前に仕入れていて損はないが不要である。
賭け、については日本では正直あまり良いイメージを持たれないが、不確実な未来に対して、今ある状況から予測されることを適切に判断し、行動に移す。そしてフィードバッグすることは不確実性が高まっている今だからこそ注目されてもいい事だと思う。
 
本書で印象に残った部分をかいつまんで挙げると、
・意思決定の手順と結果は分けて考える。
・後知恵バイアス(結果が出た後に、そもそもその結果は避けられなかったものとしてみる)に注意せよ。
・自分の主観に対して幅を持たせる(0か1かで考えない、例えば自分の考えの正しさは60%など)。それにより謙虚になり、他の情報を受け入れる余地ができる
・過去、現在、未来の自分と頭の中で対話する(意思決定の時間割引を考慮する)
などなど。
 
2.自滅する選択 by 池田新介
 

 

自分で選んでいるのに、自分の利益に反する矛盾した行動のことを筆者は「自滅する選択」と呼ぶ。例えばダイエットをしたいのに誘惑に勝てないで食べてしまう、など。超今の時期はできるだけ自宅で生活することを強いられている。これに関して、首長やアナウンサーなどは、ひたすら頑張る、耐えるなどの根性論を引用し、前時代的な掛け声ばかりだが、この本で書かれている学問に根差した考え方を有効活用すれば、活動が制限される状況であっても、比較的快適に過ごすことが出来るのではないか。
 
本書で気になったのは以下
・意志力は枯渇する(3連休の賑わいによる感染の拡大を招いた)。枯渇した意志力を再生するにはつらい選択が困難になる。
・計画や活動は短く、段階的に。本能や衝動性の影響が弱い環境で行う。
・ルールや計画には守れば守るほど自己強化的な性質があり、これが行き過ぎると教条的なものとなり、長期的な大きな損失になる。これを避けるために、ルールは意図的に破ってリセットし、相対化することも必要
 
 
3.ネットワーク科学
 
ネットワーク科学 (サイエンス・パレット)

ネットワーク科学 (サイエンス・パレット)

  • 発売日: 2014/04/25
  • メディア: 新書
 

 

このところクラスターという言葉が頻繁に聞かれるようになったが、これを明らかにすることによって、今まで不明だった感染が広まったネットワークが明らかになった。
本書はネットワークそのものが持つ性質を比較的平易に説明している。監修者の増田直紀氏による「私たちはどうつながっているのか」もおすすめである。
 
ちなみに、アメリカで感染が広まり始めたとき、6次の隔たりで有名なケビン・ベーコン(別名ベーコン数とも呼ばれる)が家にいることを呼び掛けている投稿が印象的であった。

 本書では感染症についての記述もあり、ワクチンを優先的に接種させるにはどうすればよいかを書いた論文を取り上げている。

 
Efficient Immunization Strategies for Computer Networks and Populations 
Reuven Cohen et al.
 
ハブ(ネットワークで多数のつながりを持っている人)の選び方は、まず人をでたらめに選び、選ばれた人にネットワークで隣接する人の名前を尋ねる。
これを繰り返すとあげられた名前の一覧に最もよく表れる人は、社会ネットワークにけるハブである可能性が最も高い
しかし、実際の社会においてはハブを迂回する余分な経路が存在する等により、その効果が損なわれる場合もあることも検討しなければならない。
 
ワクチンが開発されたら、まず優先されるのは医療従事者と、生活維持に必要な仕事を行っている小売業や食品、運送業の方になるだろう。
日本での広がりを見ても、まず最初に感染が広がったのはサービス業などの不特定多数の人と接触する立場の人から広まった。一般的に彼らの社会的立場は決して強くはないものの、投与の優先順位としては高いものであるし、これが後回しにされると再度感染が広がる可能性もあるため、専門家の判断が優先されることを祈っている。
 
おまけ.グローバリゼーションパラドクス by ダニ・ロドリック
イギリスのBrexitが騒がれ始めたころの本ではあるが、グローバリゼーションの行き過ぎに事例を挙げて警鐘を鳴らす。今回は特に感染拡大を防ぐために欧州は国境を閉鎖することとなった。さらに、EUとそれ以外の国とで援助に差が出るとともに、それをみた中露が支援を差し伸べるなどこの感染症問題が下火になったときには新たな問題が勃発することは予想できるものである。
著者は、グローバリズム・国家主権・民主主義 この全ては同時に満たすことはできないトリレンマの状態にあるという。例えば、現在の中国では民主主義を犠牲にして国家主権とグローバリズムを拡大させているし、ロシアもそれを倣っている。また、純粋な理想としては国家主権を犠牲としてグローバリズムと民主主義を取ることはできないことはないが、それ自体は国連のような組織のようなものであり、国としては存在し得ないのではないか。とするならば、グローバリズムを犠牲にして、国家主権と民主主義に注力する国が増えてくるのだろうか。今回の感染症ではサプライチェーンがあまりに多岐にわたるためにリスク管理を再考させる事態になった。かといって、国内回帰をすれば、コストで海外製品に対抗できるだろうか、など考えは尽きない。
 
 

あいちトリエンナーレにて

8月と10月の2回あいちトリエンナーレに行った。始めに訪れたのはこのトリエンナーレを最初から最後までにぎわした不自由展が中止になった後(8月10,11日)、それから抽選という限定的ではあるものの、再開した後(10月13、14日)だった。
 
これまで芸術祭という形で各地方で定期的に開催されている場所に行ったのは、越後妻有、茨城県北(残念ながら二度目は開催されないようだが)、そしてこのあいちである。これまで訪れた2つの芸術祭では、自然の中にアート作品を配置するものが多かったが今回は都市型の祭典だった。前2回の芸術祭に訪れた感想を読むと、自然こそが一番の芸術なのだ、と書いていた。アーティストがどの場所に展示するか、を考えたときに、その作品はsite specific(その場所だからそこ成立する)なものになるはずだが、周囲の自然(展示を開始する前からずっとそこにあるもの)が圧倒的に存在感があるため、作家はそこでなんとか別の文脈を残せないか格闘する。その場と格闘したけれども、記憶に残らないものであったり、そこで展示する必要性が感じられないものもあった。
それでもきちんと展示された場所に呼応する展示には、はじめてその作家を知って調べてみても、強度のある作品を作っている。
 
今回の芸術祭は2010年から3年ごとに行われており、これまで3回行われているが、参加したのは初めてだった。正直に言うと、この芸術祭に行こうと思ったのは、開始直後から中止に追い込まれた状況になりそうだということをツイッターで知った後に、展示内容がこれまで参加してきた自然型のものとは全く別の、挑戦的なものだったことを知ったからだ。8月に参加を決めたときは、まだ参加アーティストのうち中止を表明していたのは不自由展と数名に限っていたのでまだ全体の展示がどのようなものであるかを知る由があった。これが9月に入ってからでは、全く違った景色になっていただろう。
 
都市型の芸術祭でよいところは、交通手段が限られていない、場所によっては徒歩で回れるのが大きい。地方開催であれば、車は必須であり、これまで参加したものでは、臨時で運行しているバスに乗ったり、現地ツアーに参加するなどして雰囲気はつかむことはできる。それでも徒歩で移動するのと車で移動するのでは展示場所に対する印象が残るのが、点として残るのか、それとも移動中の風景も含めた線として残るのかの情報量に差が大きくなってしまう。それでもどの芸術祭でも、いわゆる美術館のようなアートが当たり前に置かれている場所だけではなく、通常それがないところにでも一定の期間置かれることにより、アートの居場所は白い箱の中だけではないことを教えてくれる。
 

一度目に訪れたあいちは、物々しい雰囲気であることを多少は覚悟はしていたものの、幸いなことに私が見た限りではそのような出来事に出会わなかった。どちらも会場に混雑は見られず、ゆったりとみることが出来た。
 
会場は大きく分けて3つあり、円頓寺商店街エリア、美術館エリア、豊田市エリア(駅及び美術館)だった。豊田市のみが中心部から小一時間ほど離れた場所にあるものの、それ以外の会場は地下鉄を乗り継いで行ける距離にあった。とは言え、この芸術祭は動画の割合も多かったので全てを一日で体験するのは難しく、2,3日は必要だったとは思う。
 
今回の芸術祭のテーマは「情の時代」だった。 
 
 
テーマに沿うように、展示されるものの多くは、これまで見た芸術祭と比較すると、世界が抱える課題(難民、戦争など)から個人の問題まで多岐にわたりながらもどこかで見聞きしたことのあるニュースを前提にしているものもあり、作者そのものを知らなくても、作品に向きあうことができるものが多かった。現代美術というと、どうしても見る前に予備知識や解説が必要なものもあり、それがとっつきにくさを感じてしまうこともあるが、今回の芸術祭についてはそれは少なかったように思う。
 
印象に残った展示は2つあった。
 

 

・弓指寛治「輝けるこども」

車の事故で失った子供たち、彼らが生きた時間、世界をどのように見ていたのか。彼らの遺した詩や景色を鮮やかに紡ぎだす。
 

 

こういうテーマで作品を作るとき、匙加減によってはいくらでも同情を誘う、悲劇的なつくりにもできたはずだった。けれども、作者は子供たちがどのように時を過ごしたか、その輝きを遺しながら、加害者が乗っていた車(事故を起こすたびに何度も買い替えていたという)にも焦点を当てる。愛知はいうまでもなくトヨタが代表的な企業ではあるものの、車の事故が全国でトップクラスである負の側面も持つ。そして車を運転している限り、事故はだれにでも起こしうる。作者はあえてこの展示を豊田市では行わずに、円頓寺で行った。それは作者の意図でもわかるように、単なるトヨタや車批判ではなく、作品を見て車を運転する人自身に考えるきっかけを提示したかったのだろう。
 
 
・ホーツーニェン「旅館アポリア
 
豊田市駅の近くに位置する喜楽亭を使ったインスタレーション。喜楽亭という食事を提供するお店が戦時中には草薙隊が出奔する前に祝賀が開かれた場所であり、戦後は残された遺族が語り合う場所として用いられたという場所が持つ特別性を踏まえながら、作者が以前から関心を持っていた京都学派、小津安二郎そして横山隆二を織り交ぜながら物語を紡ぎだす。詳細な内容としては既にいくつかのところで上がっている 。
 
 
会期終了直前に行われた批評家の浅田彰氏と作者の対談はとても有益な時間だった。作者からは見えない部分でもこだわり、例えば、ストーリーのみならず鑑賞するための設計として小津が撮影した環境(畳の目線で撮影した)で合わせたり、日本家屋の中で装置を目立たせなくする工夫等を聞く機会があった。また、作者はこのインスタレーションを通じて何らかテーマやポイントを残したくない、と言っていた。とはいえ、戦争に対する小津と横山のスタンスの違いははっきりしている。もし戦争がもう一度起きたとしても、政府に協力して作品を作るとして横山と、小さな反抗を小道具に仕込ませる小津。ここで、作者は横山に対して糾弾はせず、事実を淡々に伝えるにとどめる。とは言え、これを見る私たちが、次このような事態に巻き込まれそうになったときに、彼らを排除すべき悪なのか、は疑問である。個人的にはアーレントアイヒマンを「凡庸な悪」と呼んだように、ただ彼らは上からの命令に粛々と答えただけの存在かもしれない。対談の最後に浅田氏から作者に、リサーチの結果をインスタレーションとは別の形で残してほしい、という要望が伝えられたが、これについての回答は得られなかった。会期が終われば個々も元の喜楽亭に戻るが、個人的にも何らかの形でこの展示を作るにあたってリサーチして得られた結果を何らかの媒体で残してほしいと切に願う。
 
二回目には会期終了間際、最終日前日と当日に訪れた。
 
混んでいる展示もあったけれどもそれでもゆったりとみることが出来た。
既に再開された後ではあったものの、一度展示を中止した時のステートメントが生々しい。一度閉鎖された展示には「展示 再開」のサインがある。
 

 

テーマがテーマだけに外部の圧力に敏感に応答していくスタイルだった。これだけ流動的に形を変えるのもある程度の長期の展示だからこそできたのではなかったか。
 
一度目に回るのを忘れてしまった小田原のどかの作品を見る。豊田市駅のスペースに設けられたネオンの矢を見ただけでは何を意味しているのかは分からない。それでも存在感のある矢は隣の部屋に意味するものを紹介する。長崎に原爆が落ちた爆心地に刺さった矢をモチーフにしていたのだった。誰が何のために作ったのかはわからない。詳細な説明が書かれたパンフレットを読むと同じ被爆地の広島との対比が記されており、地域による考え方の違いに触れる。彫刻家でもある作者による分析は作品を見るだけではないその背景と文脈が作品を理解する手助けとなる。(新豊田駅の近くに配置された作品もしかり)
 
夕方には会場を離れてしまったので最後まで会場にはいられなかったが、最終的には知事をはじめとする暴力に行政が屈しない形を見せたことには意義があった。
会期は終了したが、この芸術祭が提起した問題、そもそもアートとは何か、芸術祭の立ち位置、行政との関係、批判への対応、など考えることはまだ山積みである。
 
***
 
今回の芸術祭ではアートとは一体何なのかを改めて考えるきっかけになった。
個人的には、アートを体験することで、自分の中にあった考えや見解を拡張させる媒体の一つだと考えている。ただ素敵な気分や気持ちがよいものにさせてくれるものだけがアートではない。文学に浸るのも、作者が綴った物語の中に視覚から入り込み頭の中でそれを目撃し、体験している想像力の必要なアートの一つである。読み進めながら作者と頭の中で対話をする。
 
〇状況
不自由展が中止に追いやられた状況として、コンテクストから切り離され、キーワードでしか見ることが出来ないことにある。キーワードが単純であり、かつ悲惨なものであるほど拡散されやすい、という状況もあった。今回の不自由展の展示の一部には天皇の写真を踏みつけるという動画があったという。この状況だけを書きだすと、侮辱している行為と受け止めてしまうかもしれない。しかし、全体の文脈はそこにはない。
 
ところで、私たちはいくら理性的な動物とはいえ、感情的に判断してしまう動物のようだ。差別だと思っていないとしても、差別は埋め込まれているし、刷り込まれてもいる。「社会はなぜ左と右に分かれるのか」の作者であるハイトによると、道徳的な判断には「情動」が大きな役割を果たしているという。
  
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

  

「道徳的な判断において、人間はまず直観に従って判断し、そのあとに論理的に思考を働かせ、自分の判断を正当化させる。不快、という感情(あくまで主観的であり、難癖やいちゃもんと取られてしまうもの)こそが、道徳的な判断の根拠であり、直観による道徳的判断は、人類が共同体を形成し維持する中で進化的に獲得された。

また、内集団バイアス(自分が所属する集団のほうが所属しない集団よりも優れているというバイアス)や公正世界信念(世界が不条理ではなく、構成であると考える認知バイアス)といった認知バイアスもこれらの主張に拍車をかける。
 
しかしこういった状況にただ流されるだけでは人間としてではなく、動物としてのヒトとして情報にただ反応する機械と同等になってしまう。それに抗うために以下が助けになるかもしれない。
 
〇自分の気持ちから分析へ
渡辺雅子は「納得の科学」のなかで学生時代の文章作成の授業を比較しながら日本とアメリカの思考表現のスタイルの違いについて書いている。著者はどちらの教え方が良いかは指摘はしていない。アメリカは様式に従って書くことで形式は制限がかかるが、その分、何を言うかに重きが置かれるため、技術の成熟度が高まる。その結果として文章の多様性が生まれるという。しかし、日本の教育では人の気持ちになったことばかりを考えるために、技術は磨かれない傾向にある。
 
納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル

納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル

 

 

日本での作文では感情や気持ちが伝わるように詳しく状況を描くことが重んじられる。一方でアメリカの文のつくり方は、様式によって異なり、それらは既に形式化されている。そのために、その中で出される違いは、主張のめあたらしさや根拠となる事実の選び方、あるいは両者の組み合わせによって勝負せざるをえない。
  

 

したがって、事前準備という大げさの言葉で書いてしまうが、まず作品を目の前にして不快な感情が沸き上がったら、まずなぜこれがアートなのか?とまず疑問を持つことが必要なのではないか。なぜこれを評価する人がいるのか。どうして展示されているのか、その意図は何なのか。そういう疑問を持ちながらキャプションを読む。
そして自分の中に沸き上がった感情を修正する、しかし、どうしても生理的、心理的に耐えられない展示もあるかもしれない。その場合は速やかにその場から離れる。
 
見る権利は尊重されるべきである一方で、見たくないものには選択の余地を提供する。それは動線の分離によって解消でき、例えば岡田美術館の春画のスペースは既に分離されている。今回の不自由展についても、そこを通らなければならない動線上にあり、見たくなくても目に入ってしまう、という状態ではなかった。(見る側の選択権にゆだねられているにもかかわらず、ただ存在することだけで非難が起きたことには毅然として反論するほかない。)
 
〇審問の語法から自己批判
 
内田樹は「ためらいの倫理学」の中で、自分の正当性を論証できる知性は持っているが、自分の意見が間違っている知性はない、と指摘する。 
 それでも自分の感情が不快に思えるものであっても、なぜそれが存在するのか、どのような評価を受けているのか、などと問いかけることはできる。
アーティストやキュレーターが芸術祭に対する意見を受け付けるコールセンターを会期後半に設けたことはこれに該当するかもしれない。
ある限定された時間だけ公開された電話対応の音声は全く対話を成していない脅迫であった。この状態では怒っているという状態がわかるものの、あとはヒトとしてしか相手を脅すことしかできないので対話は成り立たない。それよりも怒りの解像度を上げる必要があるだろう。何が自分の怒りに触れたのか。どうしてこの作品が美術館に展示される価値があるのか?、ならまだ相手も説明しがいがあるだろう。
 
〇補助について
芸術祭は税金を投入せずに、自助努力で何とかするべきだという意見については、である/でない、という事実命題から「べきである/ない」という価値命題は導き出せない、とするヒュームの説に抵触する。再配分という税金の特徴が失われれば税金はもはや存在する必要はなく、富の再分配は行われない、結果として生得的な差が解消されずに固定される。

 

道徳について: 人間本性論 3 (近代社会思想コレクション)

道徳について: 人間本性論 3 (近代社会思想コレクション)

 

 

 
残念ながら今回の芸術祭を発端に、主催者が明確な基準を持たないまま、補助金を支給しない状況が映画の分野でも報告されてしまった。
懸念材料への解消は予期せぬ負担を恐れる小規模な自治体から発生するが、今回の芸術祭で流動的に対応した警備などの対応は広く共有されていってほしいと願うばかりだ。
おそらく近いうちに知事の承認を得た「あいち宣言」が発表されるだろう。
 
今回のトリエンナーレで芸術監督を務めた津田は最初にビスマルクの「政治は可能性の芸術」という箴言を取り上げている。皮肉にも今回の芸術祭は政治の術にからめとられてしまった。今後の芸術祭やそれに準ずるイベントはこの芸術祭で起こったことを避けては通れない。
 

今回取り上げた引用の多くはこの本に依拠している。 気になる方はぜひ手に取ってほしい。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

 

 

2017年に読んだ本のこと

 2017年の振り返りと2018年についての展望について書き始めたものの、きりがなくなったため、これらはまた別の記事によるものとしてここでは読んだ中でも特に印象に残った本を紹介する。
 
高坂正尭「外交感覚」
本書は1977-1995年の約20年間を一月ごとに著者が直面した出来事の考察を記している。40年から20年程前の出来事にもかかわらず既視感にとらわれるのは、20年以上も本質的な問題は解決されていない、もしくは火種となり、今もくすぶり続けているからなのだろう。
解説でも書かれているように、著者は預言者ではない。にもかかわらず、今読んでいても古さを感じさせずに私の心に響くのは、人間の性質はすぐに変わらないからだのだろう。過去に起きた出来事も、今年起こった出来事と分けて考えることはできない。技術が進歩したからといって人間がバージョンアップできるわけではないことを痛感させられる。ボリュームはあるのでとっつきにくいと思われがちだが、手始めに巻頭と巻末の解説と3つの考察を読むことをおすすめする。
 

外交感覚 ― 時代の終わりと長い始まり

 
ある時期を境に少なくともこの国においては「民意」は政治家の権力執行の正当性を補う便利な道具として使われるようになったが、果たして国の違いはあるのだろうか。欧米、フィリピン、中国、そして都知事とそれぞれの民意を後ろ盾とした執行を丁寧に論考している。例えば米大統領選では二大政党の支持が保持されたまま草の根運動したトランプ氏が勝利をおさめており、欧州のポピュリズムとは分けて考える必要がある。ドゥテルテ氏は過去と現在の取り込みに成功した多様性を持つ。中国では絶対的な権力というよりも、市民の動向にところどころ気を配って国家の運営が脅かされないよう消火活動を徹底している。
小池都政についての論考は衆院選の前の段階になされたものだが、東京都は最も所得がが高いために政治から距離を置いていても自分で何とかできる故に遊興を提供する場所に甘んじていても問題ないのだろう、とあきらめの書き方をされている。(残念ながら現実になってしまったが、そのつけを払うのは都民である。)

アステイオン 86  【特集】権力としての民意

玄田有史編「人手不足なのになぜ賃金が上昇しないのか」
 
標題の疑問を様々な切り口で説明を試みた本。16章あるものの、いくつかの章ではともに引用している事柄が行動経済学プロスペクト理論 をふまえた「給与の下方硬直性が上方硬直性を導く」と一見矛盾した解釈である。被雇用者は現時点の給与水準から下がることには抵抗するが、上昇しないことにはあまり注意を払わない。一方雇用者は業績不振があっても、一時金で調整はするものの基本給の弾力性は弱い。これらの複数の要因が絡み合って上方の硬直性はもたらされる。また、人手不足と一億総活躍をふまえて、就業人口が増えたものの、就業体系はフルタイムのそれではない故に平均化すると賃金が下がっているように見えているだけ、という説も提示されている。
 

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

・国立社会保障人口問題研究所編 「日本の人口動向とこれからの社会;人口潮流が買える日本と世界」
 
本書では単なる人口だけにとどまらず、その前段階の結婚未婚の分析に始まり超高齢化社会への提言が含まれているなど、想像以上に幅広い問題を取り扱う。地方部では人口減少が顕著だと知識としてはわかってはいるものの、国内の人口ピラミッドで比較した都市部と地方部の人口の違いには驚くしかない。出生率を上げるよりも海外からの働き手が日本に定住し、彼らの子供が日本で子供を育てることで人口減少の推移を緩やかにできるという案に対しては、なるほど最もだとは思わされるが乗り越えるべきハードルは高いだろう。

日本の人口動向とこれからの社会: 人口潮流が変える日本と世界

國分功一郎 「中動態の世界」
 
「暇と退屈の倫理学」の後半に、医学に関連した話題が出てきた。物理学においては理論が実験に先駆けるように、原因がわからない症例も思考が突破口になる可能性を秘めていた。 本書は医学書院からでているぶん、そちらの話に近いかと思いきや、中動態という考えの導入部分をにとどまり、何らかの回答を期待していた人にとっては肩透かしを食らうかもしれない。けれども、ONかOFFかのどちらかしか選べない袋小路に陥っているのであれば、中動態という状態に自ら舵を取ることで、依存状態から遠ざけることができる。分野は異なるが土田健次郎「儒教入門」で目標となる状態になるのは難しいけれども追い求め続ける状態こそがよい、という部分を思い出すなどした。
 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

・三品輝起「すべての雑貨」
 
雑貨店を営む作者が雑貨や思い出をまとめたエッセイ。今年京都の北山に本と雑貨の店を開いたsuzunaさんが読んでいたことをきっかけに手に取った。雑貨について大体誰もがいいイメージとして持っているが、その境界はとても曖昧だ。●●系で括り始めれば語ることはできるが、際限なく置きだすとその店はただのガラクタ屋になり、客足は遠のいてゆく。道端の石ころを売り出したら無能の人の世界になってしまう。果たして雑貨店は専門職なのだろうか?売り手は昔の客だった。しかし売り手にならない客は一体何を求めているのだろうか。経済学部出身の店主は冷ややかに雑貨の世界を見る。こんな店と括られることを拒否しながらもがき続ける姿もあり、子供の頃の生々しい思い出も読み応えがある。

すべての雑貨

・ヒューバート・ドレイファス「コンピュータには何ができないか」
作者のドレイファスは今年に亡くなったが、この本は1972年に出版された。当時のAI研究に対する批判が中心であり、そのAIの盛り上がりを踏まえつつ、このままではAIが人間の領域に侵食することはないとしているが、その理由について述べている。人間は有機物であるし、外部刺激に対する人体の反応の変化は分子レベルでシミュレーションできるのあれば、人間の活動を数値化できるという還元主義的な考えがある。人間を数値やプログラムに置き換えることができるのであれば、機械と行っても差し支えないのだろう。しかし、一方でその身体に宿る各個人の性質の違いなども同じように還元されるものかというとそうではない。(行動経済学のような傾向としての学問はあるかもしれないが)。ドレイファスは、身体、状況、意図や欲求、といった伝統的哲学およびAI研究に欠けており、これこそが人間の知性を成立させるための不可欠な要素だと指摘する。 前回の人工知能ブームで明らかになったのは、人工知能について考えることによって、それでは人間は代替されない役割があるのかを考えるきっかけとなったのだが、今年はスマートスピーカも発売され、AIという言葉が紙面をにぎわせる機会も多かったものの、前回ほど哲学の分野から今のAIを考察する本はにぎわっていないようで残念でもある。
「もしもコンピュータ・パラダイムが強くなり、人々が自分たちを、人工知能研究をモデルとしたデジタル装置と考え始めるならば、人間は機械に似てくるだろう。われわれが危ぶまなければならないのは、優れた知能をもつコンピュータの出現ではなく、劣った知能をもつ人間の出現なのである。」(引用)

コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判

・Viet Thanh Nguyen「シンパサイザー」
昨年紹介した「ポーランドのボクサー」もそうだったが、直接戦争を体験してはいないけれども、それを体験した身近な存在から話を聞くなどして、今ある自分の存在のあり方を考える本が今年もあった。シンパサイザーを書いたのはアメリカの大学に籍を置きながらベトナムを研究するベトナム人というのも興味深い。本の中で生まれはアメリカだが名前が日本由来の名前が付けられている日系人女性が日本について思いをはせることはないのか?と問いただされる部分があるのだが、彼女にとっては想像できるものは名前だけしかなく、愛想笑いでその場をやりぬける、というのが印象的だった。無理もない事だろう。
翻って国内では、どうだろう。東日本大震災という事件を自分の人生の中でどう解釈するべきか、という本はいくつもあるが、半世紀前の出来事を自分ごとのように引き継いで書かれた作品というのはあるのだろうか。

シンパサイザー


時が過ぎるのではない、人が過ぎるのだ。

「Fall」
 
落ちる
水の音 木の葉
葉は土に 土の色に
やがては帰って行くだろう 鰯雲
旅人はコートのえりをたてて
ぼくらの戸口を通りすぎる

「時が過ぎるのではない
人が過ぎるのだ」

ぼくらの人生では
日は夜に
ぼくらの魂もまた夕焼けにふるえながら
地平線に落ちていくべきなのに

落ちる 人と鳥と小動物たちは
眠りの世界に
 
 
小物やインテリアが好きな人々にとって雑貨は身近なものではある一方で、特にこだわりがないのであればそれなりのものを手に入れることができる。一体雑貨はどこからきてどこへ行くのか。雑貨店のを営む店主が、雑貨を内側から見た世界の特殊性を著した本だ。そして、この詩はそのうちの一つのエッセイの中に引用されている。
 
雑貨に囲まれて続けて店番をしていると、空間の狭さを感じることがあるという。物理的な面積よりも、ものがそこに長くとどまっていることで新鮮さが失われ、営む者にとっても閉塞感が漂う。それを打破するために作者はがむしゃらに動き続けた。
予定調和に陥らないために動くなかで多くの人が彼の傍を通って行った。気づいたらいつの間にか長い時間がたっていた。
 
***
 
広島から小一時間ほど離れた場所で、屋台に入った。屋台にもいろいろな種類があり、お好み焼きやラーメン、焼き鳥などである。その中でも行きたかったのがおでんの屋台で、理由としては滞在したホテルの朝食で食べたものがおいしかったからだ。
 
多くの屋台が既に営業を開始している中、その屋台は1時間ほど遅れて営業を始める。おでん屋ではあるが、豚足と豚耳がおすすめだという。店主は切り盛りするだけではなく、様子を慎重に観察して客が居心地よく過ごせるよう気を遣う。当たり前のようでいて、これを客ごとに変えていくのはそうそうできるものではない。特に最初に出合った客に対しては。注文するメニューからどれくらいの時間滞在しそうなのか、何が目的で店に来ているのか(メインの食事なのか、つまみ程度なのか)。私も最初に訪れた店では厨房を観察するたちなので、酒は注文しなかった。(屋台なのに酒を頼まないのは確かに目的は限られるだろう)
しかし、注文した豚足が予想以上においしかったので、酒を注文した。店主もそこで私が少し長く滞在するだろうと見越して、話しかけてくる(これらは後で店主から説明を受けた)
 
私の後に二人組が入ってきて(彼らもこの店は初めてだったという)、彼らは最初のうちは二人の中で話が弾んでいたがやがて店主もそれにちょっかいを入れ、それが私のほうに飛び火し(悪い意味ではなく)、常連さんも加わってしばらく話が弾んだ。
この間、何人かの客が来たけれども、店主は理由をつけて断った。たとえ席が空いていたとしても、その場の雰囲気がこわれてしまうのであれば受け入れないという。短期的に見ればお客を断ることは回転数を下げることなので避けるべきなのかもしれないが、そこで出されるもの以上のものを求めてここに来る人たちには受け入れられるのだろう。物を売っているようで別のものを売っている。店主は客から色々な人生相談を受けているらしい。道理で実年齢よりも若く見えた。 
 
はじめてこの店に入った私たち3人は店を出た後に別の場所に移動して食事をして別れた。一晩寝ればあっさり忘れているさ、と一人は言った。確かに彼の名前は忘れてしまった。彼が連呼していた仲間のことは覚えているのだが。
 
朝になると昨日の屋台は跡形もなく消えていた。話した内容はとてつもなく下らなかったが、あの狭い場所で過ごした場所があっさりなくなっているのを見ると少し心細くなる。しかし、何もかも浄化するような神々しい朝の光を見ていると屋台はその対称にあるのだった。聞けばこの屋台はもう半世紀近くも続けているらしい。無数の人たちがあの10人も座れない場所にいたのだろう。時が過ぎるのではない、人が過ぎるのだ。
 

 

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