まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

The Wind Rises

風立ちぬを見てきた。

 
これまでいくつものジブリ作品を見ているけれど、これまでは嫌いではないけれども、全体を通して特別に思い入れのある作品はなかったけれど、今回の作品は初めて観終わった時に今までのジブリ作品とは違うことにまず驚き、今日改めて2回目を見たときには既にあらすじは知っているにもかかわらず、1度目よりも2回目の方が体感的には短く感じた。つまり、それだけ物語に入り込んでいたのだろう。
 
以下内容に触れているのでまだ見ていない方はお気を付けください。
 
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生きねば、がこの映画のコピーだけど、見るまではそれが何を意味しているのか分からなかった。
見終えて初めて、”生きねば"、がこの映画をあらわすコピーだということに気づかされる。
 
作中では主人公:堀越二郎は敬愛するイタリア人の航空技士であるカプローニと夢の中で出会い、彼の背中を追うように航空技士として働き始める。
 
夢の中でカプローニはピラミッドがある世界とない世界どちらを選ぶか、と尋ねる。
技術がある世界とない世界。
飛行機には長距離の地点に物を運ぶことができるが、そこに何を載せるかによって役割が変わってくる。
爆弾や銃であれば戦争の道具として、人であれば移動手段というように。
 
二郎は美しい飛行機を作ることを選んだ。妻菜穂子との短いが充実した生活を経て高性能の飛行機を作り上げた。しかし、それはカプローニ同様戦争の道具として使われることになる。
 
ラストで二郎はカプローニと再会する。
二郎は作り上げた美しい飛行機が一機も帰ってこなかったことを自嘲気味に語る。
しかし、そこで妻は最後に二郎に「生きて」と告げ、カプローニも「君は生きねばならん」という。
 
これはただ単純に、妻の生きられなかった未来も含めて生きろ、とは別に、戦争が終わって
ようやく二郎が作りたかった飛行機が作れる時代が来たのだから、生きて銃器や爆弾を載せる必要のない美しい飛行機作りを追求するために生きろ。
 
それが”生きねば”につながってくるのだと思っている。
 
映画の中では戦争後に二郎がどのような生き方をしたのかは描かれていない。
ただ、実在していた堀越二郎は戦後初の国産旅客機の設計に携わっている。
 
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映画の中の堀越二郎は恵まれた環境で育っており、時折描かれる交通手段などに見て取れる。
技師として働いている時代にたまたま見かけた貧しい子供に食べ物を恵もうと試みるシーンがあるが、
同僚の本庄に一喝される。
 
本庄は貧しく技術の遅れている日本が最先端の飛行機を作るのは、馬鹿げているとはいうものの、
彼と同様、二郎もまた最先端の技術を盗んで自国の技術の向上に努めようという向上心はとても強い。
 
彼らが自らの技術が戦争に加担している事への罪悪感や葛藤は描かれていなかった。
宮崎監督は純粋に技術者としてのまっすぐな彼らの姿勢を描いていた。(あえて描かなかったのかもしれない)
 
内容をそのまま読み取れば戦闘機という戦争の兵器を作った技術者の半生、という視点で語られることになるのだろう。しかし、この映画で宮崎監督が書きたかったのは飛行機の技術を高めた一人の人間として紹介したかったのだと思う。
 
カプローニの問いかけ(ピラミッドのある世界を選ぶか?ない世界を選ぶか?)のように、新しい技術が生まれると良い面ばかりではなく、悪いことも起こる。
最近の例でいえば、LINEがきっかけで起こった殺人事件もあれば、逆にLINEがあったおかげで自殺しないで済んだ、という人もいる。
 
新しい技術がどのような側面を持っているのか、開発した技術者だけではなく、使う側によってどちら側にでも転がってしまう。しかし、どちらかというと負の側面が強調されることが多いのもまた事実である。特に、負の側面が第二次大戦ならなおさらである。
 
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技術の内容と技術が持つ表裏の側面、これは分けて考えものだと考えている。技術の内容は開発する側である技術者が中心だけど、それをどう使うのかは私達の手にかかっている。
 
カプローニのいう創造的な仕事ができる10年間のうち、あと自分に残されているのは何年だろう、と考えるきっかけにもなった。