まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

世界報道写真展

 この季節になると毎年恵比寿の写美(東京都写真美術館)で行われる世界報道写真展を見に行く。

 
その名の通り、昨年世界で起きた出来事をテーマに撮られた報道写真を分野別に優れたものを見ることができる。
 
写美や報道写真展協賛の日本語のサイトでは一部しか掲載されていないが、英語の本家のサイトには展示されている写真だけではなく、スペースの都合上展示されなかった写真を見ることができる。
 
内容の充実度は正直なところ英語の公式サイトWorld PressPhotoの方が充実しているのだが、パソコン上で見るのとは異なり、一定の大きさで出力された写真を見ると、写真の持つ力をより強く感じることができる。
 
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ここ5年ほど訪れているが、毎年思うことは「知らないことばかり」だ。
もちろんニュースを見たり聞いたりして表面的な情報はあるけれども、その出来事の渦中にいる人々の写真をまざまざと見る機会は早々ない。新聞を読んだり、英語のニュースサイトで日本の新聞の記事にはならないことを追いかけていても、知らないことはたくさんある。
 
最初に訪れた5年前までは、いわゆる新聞でも目にするようなイベント(例えばバラク・オバマ氏のアメリカ大統領の選出)が中心だったが、ここ2,3年は世界で起こっている天変地異や武力衝突が中心になっているように思う。
 
写真に収められているのは渦中にいる無名の人々だ。写真によってはあまりにも今私が住んでいる日本とはかけ離れていて、これは現実なのか見まがうものがある。しかし、地球のどこかでリアルで起きていた事が切り取られている、という事実を写真を通じて知るのである。
 
それゆえ、目をそむけたいとは思う写真でも、きちんと見て目に焼き付けておかなくては、といつのまにか会場を何度も往復している自分がいる。
 
今回の展示で最も印象に残った写真はこれだった。
 
報道写真展はいくつかのテーマに分かれており、自然やスポーツの分野があるので、これがなければ見る物にとっては重たいものになるところを、このテーマがあるおかげで少しだけ気休めになる。
 
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昨年あたりから、写真の構図が綺麗に決まりすぎではないだろうか、と思うことがある。
例えば、昨年の大賞はミケランジェロのピエタ像を想起するものだったし、今年の大賞もドラマチックで、まるで映画のようだ。私が今回印象に残ったとさきほど取り上げた写真も、なんだかうまく決まりすぎているのである。
 
平野啓一郎さんも違和感を感じていたようだ。
写美の地下では、毎年やってる世界報道写真展。大賞のガザ地区の写真もそうだけど、世界各地の惨劇を、あそこまでスタイリッシュに、ドラマチックに撮られると、ほとんど新古典主義的な印象。そこで永遠化される「歴史」は負の歴史だけど。受け容れがたいものがある。
 
しかし、ここで報道写真とはこういうものだ、といいはじめたところで、前線にいる報道カメラマンに代わって写真を撮れるわけではない。
私にできる要望といえば、これからも世界で起こっている知らないことを見せてほしい。
 
それだけなのだ。