まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

7年後とその先の事

7年後の開催国になった。

 
別の国と予想していた私は、その結果をTwitterのタイムラインで確認した時、自分の予想が外れて残念だいう気持ちと同時に、数年前に生で体験したあの何とも言えない一体感を思いだしてそれを身近で味わえる機会ができたことへの嬉しさが入り混じっていた。
 
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5年前の2008年の夏に私は北京にいた。その目的は祭典に参加するのではなく、祭典に合わせて急速に発展している国に世界各国の有名な建築家が相次いで新しい建物を作り上げており、その建物を見に行くことが優先度が高かった。
 
その中で最も気になっていたのがメイン会場である鳥の巣と呼ばれる建物だった。
調べて行くうちにどうやら開催中はチケットを持っている人でないと入ることができないので、どうにかしてチケットを手に入れられないか画策していたところ、某SNSで譲ってくれる人を見つけ、参加することになったのだった。
 
10万人が入るというその会場に入ると、遠くに見える人はもはや米粒大にしか見えなかった。10万人が見つめる競技場では同時並行に様々な協議が行われており、初めて週刊マンガを手にした時にどこから見ればいいの分からなかったのと同じく、どこに目をやればよいのか分からなかった。選手も観衆にたがわず小指大位でしか確認できなかった。大げさかもしれないが、これほどの大人数が一つのスタジアムの中にいること自体が一つの奇跡のようなものだった。

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競技をしばらく目にやりつつも建物の中を歩き回っている時に、地鳴りのようの歓声がした。その時自分は競技場の間近にいた。残念ながら何の競技なのかは分からなかったものの、競技を見る観衆の一体感を文字通り肌で感じ取ることができた。
 
今日の朝、東京という文字を目にした時によみがえってきた記憶の中で一番真っ先に思い出したのがこの時の歓声だった。
 

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まだだいぶ先のことではあるけれど、あの時と同じ一体感が身近に感じられると思うと、わくわくする。
 
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ただ、その一方で解決しなければならない問題はたくさんある。目に見えないもの・いつ起こるか分からないものに対する不安はあるだろう。現在起きていることはもちろんだけども、もし開催中に天変事変が起きた時への対策も必要になってくる。
 
また、開催に向けた建設ラッシュが想定されるものの、現時点でも既に働き手が減少していることもあり、工事費が高くなると予想される。建設業の人員が減少している中で少しでも現場に駆り出す人間を多くしているが、それでもやりくりできない場合の人員の補充はどうするのか。外国からの労働者を受け入れるのか。
 
半世紀前の開催では特需を生み出し、経済成長に弾みをつけたけれど、今は緩やかに縮退しつつある
国の中でどのようなおもてなしを世界に見せられるのだろう。北京の時のようなお金をかけた派手さとは別の方法で世界に向けてこの国の魅力をアピールできればいいと思う。
 
7年後に訪れる祭典を通じてこの国に訪れる人と製造を通じて世界に発信されることがJudgeのようなもので、7年以降もこの国が世界から注目されるかどうかにかかっている。
 
 

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