まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

閾値

閾値(いきち、しきいち):境界、一定の範囲のこと
 
 

最近発売された新型のiPhoneに関連した画像で気になったものがあった。

それは、「おそらく新しいiPhoneを使って何をしたいですか?」という問いに対し、その体つきの良いサングラスをかけた男性は「おばあちゃんに電話します」と答えていた
 
その画像を目にした時に少し驚きを覚えたのは、その人がまだスマートフォンを電話として見ているからだった。確かに初めて手にした携帯電話なら普段あまり連絡をとっていない人に電話をかけてみるのかもしれない。しかし、携帯電話は既に持つことが当たり前になっている。そのうえ、スマートフォンは一応形式的には「電話」と名前がついてはいるけれども、電話以外にできることはたくさんある。
 
 電話よりもメッセージ、電話よりもインターネットの情報収集。コミュニケーションの道具としては変わってはいないものの、新しい電話を買うという意識ではないのではないだろうか。
 
そのことを特に感じたのは端末の値段だった。通信費を値下げしてはいるものの、本体価格を見るとタブレットを買うのとそれほど変わらない金額(ものによってはそれ以上)だった。
 
新しい電話として買いかえるのは高すぎるし、パソコンとして買いかえるには安いかもしれないが、画面が小さい。宙ぶらりんの状態で。発表当初は新鮮味に欠けるとして市場のアップルの評価はあまり良くなかったようだが、それでも最新型を手に入れたい人は一定数いて、週末に訪れた某電気量販店の売場は熱気に満ちていたし、購入を待ち望む人たちの行列ができていた。
 
行列に並んでいる人達は新型のiPhoneを新しい電話として購入しようとしているのか、それとも・・・
 
ちなみに、私がその家電量販店を訪れたのはスマートフォンのSDカードを新しく買い替えるためだった。これまで3年使ってきて1GBのmicroSDカードを使ってきたが、容量が足りなくなってフリーズすることもしばしばだった。意外にも容量の大きいSDカードはそれほど高くはなかったが、もはや私のスマートフォンは電話ではなく情報収集のために使っているのだな、と意識せざるを得なかった。
 
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お金を払って購入するものは誰しも購入してもよい値段の範囲を持っていると思う。例えば一人暮らしで自炊をしている人なら、普段購入する野菜の値段は大体これくらいの範囲で、それを超えると高い(もしくは安い)ととらえる感覚である。これを電話という機能に対する閾値を考えるとどれくらいの範囲になるのだろうか。考えてみてほしい。