まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

「まなざし」

 以前読んだ新聞のコラムにこんな内容があった。(木内昇「創作される運命」より)
日頃よく訪れるスーパーに買い物に行った時、書いている小説に登場する人物に似た人を見つけた。
それからというもの、そのスーパーに行く度にその人が目についた。しかし、小説を書き終えた後でスーパーに行くと、その人を見かけなくなっていた。
何故だろう。
小説を書いている間は登場人物のことばかりを考えていたので、自然とその登場人物に似ている人を探していたのだろう。
 
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 見えていても見えていないものはいくつもある。例えば朝起きてから夜寝るまでに見たものを書き出してみる。電車に乗った時に、たまたま乗り合わせた車内にどんな服装の人がいたのか、を書きだそうとしても思い出せない。目に入っているはずなのに印象に残らなかったものはどんどん忘れていく。
 (けれども、マナーの悪い客がいたりすると、それが印象に残って覚えていることはある。)
 
「まなざし」は筆者が日々体験した出来事から得た様々な気付きが書かれている。
 
それは決して特別な体験ではない。けれど、あまりに当たり前すぎて普段は不要な情報として記憶に残らないまま過ぎているものが多いことに気付かされる。
 
 本書の中で取り上げられている例でいえば、紙の重さを感じることは少ないだろうし、平積みにされた雑誌を買う時に、何となく一番上から選ぶのは避けたい。借り物の本に書きこみがあったら、「嫌だな」という感情は芽生えるかもしれないが、何故そのような気持ちになったのかを考えることはないのかもしれない。
 
 けれども、それはごく当たり前に起こることだ。
「私たちは、あまりにゆっくりとした変化や小さな変化を知覚することができないし、コピー用紙一枚分の重さのようなわずかなものをいちいち意識していたらきりがないので、普段は無視して過ごしている。そのため、日々刻々と起こっている小さな変化にもなかなか気づくことができない」 (5.紙には重さがある)
 
それを認めたうえで、
 
「違いはどこにも存在するし、誰もがその違いを感じることができる。だから私達がすべきなのは、既に存在している「違い」を丁寧に観察して、自分だけが持っている「違い」の本質をよく理解することなのだと思う」
(8.生々しさの残る本)
と筆者は言う。
 
私たちに日々訪れる違和感や驚きは、新しい発見につながる兆しだ。そして、その兆しをとらえるために、わずかな変化、見えない情報を認識しようと試みる行為のことを、私たちは、「想像力」と名付けている。(5.紙には重さがある)
 
 
 
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 人間の知覚の約8割は視覚に依存しているといわれている。以前映画化もされたジョセ・サラマーゴの「白の闇」(映画のタイトルはブラインドネス)は突然視力が失われる病気が蔓延した世界を描いている。パニック映画とも受け取られているが、盲目という設定は比喩にすぎない。サラマーゴは「人間が理性の使用法を見失ったとき、たがいに持つべき尊重の念を失った時、何が起こるかを見たのだ。それはこの世界が実際に味わている悲劇なのだ」と語る。物語の中には登場人物の一人だけ、病気にかからず、何が起こったのかを全て見ている。
 
 
「私たちは目が見えなくなったんじゃない。私たちは目が見えないのよ。」
「目が見えないのに見ていると?」
「目が見える、目の見えない人々。でも見ていない。」
(白い闇)
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「まなざし」は見えているのに見えていない状態から、少しだけ見えるように切り替えるスイッチが詰まっている。
 

まなざし

 

 

白の闇 新装版