まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

walk in the line

最近観た映画と、そこからさらに気になってみた映画に偶然にも共通していたのが正義の在り方だった。
 
BvSは神のごとく完璧な力を持つsupermanとその強さにおびえる人間のbatmanと科学者はsupermanという外から来た強者よりも、人間が造ったものでこの世界を守ることを選ぼうとした。(batman911テロ後のアメリカのように描かれていたのは興味深かった)
Watchmenではより少しの犠牲があったとしても、ヒーローが濡れ衣を着せられても、世界が平和になるためにヒーロがいるという姿が描かれていた。
Sicario(邦題はボーダーライン)では法の下で裁きを受けるはずの麻薬カルテル組織を壊滅させるために、対立する組織の長を利用して秩序を取り戻す話だった。
Prisonersでは自分の子供が誘拐され、警察を信頼していない男が、実際の誘拐犯とは異なる人物を違法に拷問するシーンがあった。
Spotlightでは教会の悪事を暴く、一方的な話ではあったものの、過去に告発があったにもかかわらず、見て見ぬふりをしていた過去があったことが描かれていた。
 
言葉の上での対義語は善と悪ははっきりしているものの、現実はそれほどやわじゃない。一つの行為そのものを悪と言えても、視点を変えると、疑問が頭の中にもたげてくる。cross the  lineは一線を越えるとも訳されるけれども、これらの映画を見ながら一本の不安定な線を歩くような感覚だった。
 
Sicarioを見終えた後には独裁政権が崩壊して民主化に向かおうとしていたものの、長らく内戦が絶えない中東のある国を思い出さずにはいられなかった。Prisonersを見た時は、自分の子供を一刻でも早く見つける手がかりを得たい男の行動を非難しながらも彼をとめなかった彼の妻と友人の姿を「なぜとめなかったのか」という気持ちは沸かなかった。
 
アメコミ作品については良く知らなかったものの、今回のBvSをきっかけに映画の批評を聞いたり、元になった作品を見たりすると、必ずしも勧善懲悪ではなく、矛盾を抱えながらも、全体的な秩序を得るためのヒーローがおり、それは世界情勢が不安定な時期で起こっていたことも興味深い。(BvSの元になったDark kinght returnsやWatchmenは冷戦時が舞台)
もうすぐ公開されるcivil warもまた別の視点でこれについて考えるきっかけとなるだろうから楽しみでもある。
 
翻って最近の国内の出来事を遠目で見ている分には相変わらずの一方方向で善と悪がはっきりしているようにみえる。ますます近寄らないようにしていきたいところである。