まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

like a ちゃぶ台

この頃世間をにぎわすニュースといってもその多くを新聞に頼っているのだけれども、あらためて感じているのは、ニュースの拡散の速さと忘れ去られることの速さである。
目にする情報量が増えればその分、たとえ最初に目にした時からあまり時間がたっていなくとも、多くの情報を目にしていればその分忘れ去られてしまう。
また、所謂テレビのコメンテーターのようにそれとなくいいことを言う人の意見は黙っていても目に入ってくるので、自分の考えが生まれるよりも、それとなく納得してしまう。
そして忘れてしまう。新しい出来事を知っていてもそこに自分の考えはない。情報を右から左に流しているだけ。そんなこともあって、以前フォローするアカウントを大幅に整理した。
 
 
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アメリカの大統領選が本格化しているが、Trump氏の躍進について最初の頃はすぐに淘汰されるだろうと見ていたメディアだったたが、さすがに取り上げないわけにはいかなくなった。
最初はほとんど無視を決め込んでいたが、最近では彼の意見にも考慮するところはある、と姿勢を変えてきている。巧みな話術にはまっているのか、それともいわゆるエリート側に対するカウンターとして彼を支持しているのか、どちらもあるのだろうけれども、一過性の出来事ではないゆえに、たとえ本命候補が大統領になったとしても、不満を持つ層は一定数いるとの見方が出来る。
 
他の国で起こっているから冷静になって見えているだけで果たして自分の国に問題が起きてからどうしてこうなったのか、と言わざるを得ない出来事もあるので他国のことを一方的におかしいというのも変な話である。
 
ちなみに、クリントンが退任するときにブレアにしたアドバイスに、自分の次がブッシュ(子)になろうが、ゴアになろうが、どちらかに肩入れするような対応はとらないように、というのがあった。
こちらには選択権はないのだから、どうしようもない。どちらかというと楽観的にとらえてしまいがちなのは、最近見たズートピアやもうじき公開されるSnowdenのように、いくらアメリカが孤立主義だからといっても内部から反省や問題を提起する土壌があるからだ。一時的に片方に寄ったとしても、必ず揺れ戻しがある、長期的に見ると安定しているように見える。なんだかんだ言っても。
 
 
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それよりも気になっているのが自分が住んでいる国のほうで、問題が起きて、しきりに責任問題を追及するものの、たとえそれが辞任という形をとったとしても、それで問題が解決したことにはならないのだが、白紙という形で仕切り直したほうが良いと考えが多いようだ。(これは追究する側の問題でもある) これが続くと目の前の問題だけにとらわれて長期的な問題を解決することが出来なくなる。
どうやらこれは世界中で起こっている現象らしい。政治学者の細谷雄一先生のブログより。
 
これは、すべての先進民主主義諸国で見られる現象で、高学歴、高所得のエリートが既得権益をある意味で占有できた時代が終わることを意味します。これからは、低学歴、低所得、そして失業中の不幸と不満に直面する多くの人々が、そのような既得権益を破壊して、感情を発露するようになるのでしょう。そしてこれまでの制度や慣習がそれによって崩壊されて、先進民主主義諸国の経済状況も悪化して、国際秩序も不安定化する時代を、ある程度覚悟しないといけません。
 
大きなことは目立つしなかなか進まない。然し目立たない地道なものこそ後になって効いてくるのだろうと思う。そういうものを大事にしたい。