まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

授業の記憶

一斉講義は全て忘れ去られる運命にあるという。

確かに学生時代に受けてきた授業を振り返ってみると、この授業はこんな感じで進んでいたな、と思い出せるものはほとんどない。

強いてあげるならば、体育や美術など、自ら体を動かしてその時間を過ごしていたことだろうか。体育であれば、息を切らしながら冬場の校庭を何週も走っていたこと、美術であれば、モデルの横顔を見ながら必死にデッサンしていた時間の事を思い出す。

では、座学の授業で忘れられない記憶ってなんだろう。

それは、雑談だった。

授業とはほとんどといっていいくらい関係のないことだったけれど、

教師が何かの拍子に雑談を始めて、その話とその教師にもっている印象が緩やかに結びついている。

例を挙げればきりがないのだけれど、

とても真面目に授業をしているのに、毎回のように途中で雑談が入った数学教師(その中今でも覚えているのは、「木曜日の午後は一週間で最も集中力が無くなる日です」という言葉)だったり、

英語の教師なのに脳の話を始める教師だったり(実は脳科学が専門)

自らの浪人時代の鬱屈とした生活を語る地学教師だったりする。

どういう授業を受けていたのかを思い出すと、雑談をしている時の彼らの表情が、そのまま今の彼らの印象として残っている。

そして彼らの雑談を通常の授業よりも目を開けて聞いている自分を思い出して少し懐かしい気持ちになっている。