失敗と成長
失敗しないと成長しない。だから失敗はたくさんするべきだ。
という話を聞く。その人によると、教育の本に書いてあるらしい。
本で読んだわけではないけれど、似たようなニュアンスは何度も聞いたことがある。
その背景には、「自分が身を持って体験したことは忘れないものだ」、という 前提がある。
一方で、他人から聞いた失敗談にはあまり気に留めないという。それはその話を聞いたときに、まさかそんな失敗はするはずはないだろう、とどこか自分に楽観的な期待があるのかもしれないし、 自分が直接体験したものではないので、意識に残りにくいのかもしれない。
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そんな話を聞いた後に、もやもやしが残っていた。
例えば、自分がある仕事で失敗した経験があり、その仕事を引き継ぐなどで教える立場になったときに、自分の失敗談を相手に伝えるだろうか。
いわゆる流れは教える。伝えるよりも、実際に経験してみないとわからないものだ(自転車を乗れるようになったときのように)。
だから先ずやってみて、という人が大半なんだと思っている。
私がもやもやした気分になるのは、流れだけを説明して、自分が体験した失敗や間違いの経験が蓄積されていないところだ。
道を歩いていたら目の前に落とし穴があることに気づいた。運よく落ちなくてすんだ。後から来る人が落ちないように注意書きをしておこう。それとも、自分は気づいたのだから後から来る人も気づくだろう、と何もしないのだろうか。
失敗した経験は恥ずかしい。それを人の目に晒すのはもっと恥ずかしいだろう。だけど、それをしないことで、後の人がまたその穴に落ちるくらいなら、最初から注意書きをしておく。というのが私が教える立場になった時に気をつけていることの1つだ。
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仕事をするようになって、前任者からの引継ぎをいくつか経験したけれど、仕事の流れを文章化せずに口頭で伝えて終わるだけ、という人にでくわす。なぜ文章化(マニュアル化)していないんですか?と訊ねると、大抵「忙しいから」という返事が返ってくる。
だけど、文章でまとめておいた方が 言葉で説明するよりも、 説明に漏れがないし、なにより、何度も口頭で説明する必要がない。定期的に見直してアップデートしていけばいい。
だから私は大抵新しい事を始める時には時間を見つけて作業の手順書を作っている。
明文化されない項目はもちろんある。けれど、文章化できないほど複雑なものはそれほど多くはない。
「他人に言葉で伝達できないノウハウは技術とは呼べない (森博嗣) 」 のだから。
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冒頭の一文を私のやり方で修正するならば、
失敗しないと成長しない。だけど私(や仕事をしてきた人)が失敗してきた事を頭に入れておけば、いくらかの予想できる落とし穴を回避できるはずです。それでも失敗することはあるだろうけれど、私よりも早く成長できるはずです。