まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

道すがら

 

オーストラリアにある町の場所がAppleのMapと実際の場所では、ずいぶんかけ離れた場所(75km)にあったため、AppleMapを信頼してそのポイントに向かうと、そこは広大な公園の中で水と食料もなく路頭に迷う人たちが出るという問題が多数発生した。それを重くみた警察が正確な位置をピンで表して注意を呼び掛けている。
 
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このニュースが決め手になったのかは分からないが、今ではAppleiPhone向けにGoogle mapをでダウンロードできるようになっている。
 
このニュースを読んだとき、ドライバーは道路標識よりもAppleMapの方を信頼してしまうのかしら、と疑問がでたのだけれども、つい先日自分も同じような間違いをした。
 
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某大学で開催されるイベントへ参加した時のこと、セミナーの案内では地図(Google map)には丁寧にピンでその会場場所らしき所が記されていた。当日そのピンで示された場所に向かったのだが、その場所は目的の会場ではなかった。あわてて案内文を確認するとA門の入口近くにあると書いてあった。実際にはそれが正しかったのだけれど、自分の行動を振り返ってみると何の疑いもなくピンで示されたポイントに向かってしまったのだった。
 
今では初めての場所に行くときには当たり前のように地図を使っている。
 初めて海外に行った時はまだGoogleMapはまだなかったので、イラストで描かれていた地図を現実の街並みと補正しながら目的地へと向かっていたはずだけれど、今では周りを見渡すよりもまず携帯でチェックをしてしまう。今年の夏に行ったロンドンでは事前に作成していたMymapがとても役に立った。
 
 一方で地図を信頼しすぎることへの弊害もある。例えば某カフェをMap上で検索して向かったのはいいけれど、行ってみると既に閉店していて別の店になっていた。ということがあった。こういう場合は先ずカフェのサイトから探せば間違いはないのだけれど、Map上で探すのが手早い故にこんなこともおこる。
地図に情報が載れば載るほど便利にはなるけれど、それよりも増してそこに何があるか、という更新が重要になってくるのだろう。(特にスクラッブビルドの日本では)
 
目的地にスムーズに到着できるのは迷子になる心配もないため、はじめて訪れる場所では不安の軽減につながる。
その一方で目的地につくことに意識が向かいすぎて、他のことに注意が向いていないのもなんとなくさみしい。
 
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イベントの目的地を間違えた事に気づいたとき、ようやく自分の目で辺りをきょろきょろした。銀杏の木が囲む小さな広場でイチョウの落ち葉にまみれながら子供達が遊んでいた。肌寒いけれどよく晴れた静かな休日の午後だった。