まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

淡々と過ごす

もう遠くないその日に向けて準備を進めている。
 
試験までの残りXX日の間、何ができるだろうか、と日々勉強日誌のようなものをつけながらも、週に一度は振り返っている。
それは、今まで歩いてきた道を振り返っているようでもあり、また、今まで積み上げたものをレンガに見立ててどれくらい積み上がっているだろうか、と想像する作業に似ている。
 
過去問を解く時間はそのレンガが堅牢に積みあがっているか(適切に覚えられているか)を確認する良い指標になる。ひっかけ問題はレンガを槍で突っつくようなものである。ひっかけ問題の間違いに引っかかるのはレンガがまだヤワだということになる。
 
そして、その日までにやらないといけないことをあげていくと、あれも、これも、と数えだすと、やっていないことへの不安につぶされそうになる。
 
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試験に合格することは山を越えることにも例えられることもあるが、自分の中では合格という列車に乗り込むようなものだと思っている。
 
毎日電車で通勤していると、自分がホームに到着した時に余裕を持って電車に乗ることもあるし、一方でほんの少しの差で乗り遅れることもある。
 
乗れる時と乗れない時の差はなんだろう。
 
以前ある人に自分のことを「ゴールが見えているにもかかわらず、安心してなのか、つまらないところでミスをする」といわれたことがある。
 
上記で例えるならば、「近づいてくる電車の音から、今くらいの速度で歩いていれば問題なくその電車に乗り込めるだろう、と安心して歩く速度を緩めた結果、その電車に乗り遅れる」ということだろう。慢心さというべきなのか。
 
かといって、足の速度を速めすぎると、かえって足をくじくことになる。
「雨だれ石をうがつ」との諺があるように、例え短期間に集中して長時間勉強したとしても、毎日続かなかったら、忘却と共に電車までの距離は遠のいてしまうのだろう。
 
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最近読んだ本にミヒャエル・エンデの「モモ」から「掃除夫ヘッポの言葉」の一節が引用されていた。
 
”一度に道路ぜんぶの事を考えてはいかん
 
つぎの一歩の事だけ、
つぎのひと呼吸のことだけ、
次のひと掃きのことだけを考えるんだ。
 
すると楽しくなってくる。
これが大事なんだな。”
 
 
やらないといけない不安に押しつぶされるよりも、まず淡々と目の前のことをやる。
それを当日まで続ければ合格という列車にも間に合うはずだ。