まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

シル

「知っている」

 
時に知らない言葉に出合っても、検索窓でクリックして眺めていけば大抵の疑問は解消する。
Wikipedianaverまとめでは見知らぬ誰かが編集したり、まとめてくれたものを読むことができるし、口コミサイトでまだ見ぬ映画や料理店の評判にアクセスすることだってできる。
そして、「知らない」、から「知る」になる。
 
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野崎まどの「know」(SF)は2081年の日本が舞台になっている。その世界では電子葉と呼ばれる共有化された情報に瞬時にアクセスできる人造の知能を埋め込んでいる世界が描かれている。
その世界では「知る」という概念はこんな形で描かれていた。
 
電子葉の一般化に連れて言葉の意味は曖昧になってきている。
例えば誰かにパンダの学名を質問されたとしよう。最初から知っている人はその質問に答えるだろう。だけど知らなかった人が電子葉でネットワークを検索した結果を答えたとしても、返答の時間にそれほどのラグはない。それに昔はネットワークに接続できない場所がまだ多くあったそうだが、今はそれもほとんど駆逐されてしまった。情報材と電子葉の登場以降、「最初から知っている」と「調べて知る」事の差異はどんどん縮まっている。
 だから今40歳くらいの20歳以降に電子葉を備えた人は「今調べたけど」等と枕をつけて話すことが多い。逆にさっきの修学旅行生のように幼少のころから電子葉に慣れ親しんだ世代は、ネットで調べられることはすべて「知っている」という。ネットで調べられないことだけを「知らない」という。大人はそんな子供の態度が生意気だと感じ、子供は大人の話は回りくどいという。真ん中の僕(*主人公のこと)はやれやれと思う
                        「know」 野崎まど
なにも、電子葉を持たなくても私たちはすでに手持ちのスマートフォンで調べれば瞬時に「知る」ことはできる。ただ、それが実際に自分でできるか、というとまた別問題になる。例えば、カロリーの高いものを食べれば太ることを知っている。そして、適度に運動したり、食事の量を減らせば痩せることは分かっている。けれど続かない。手軽に痩せられるダイエット特集、というタイトルが出れば真っ先に飛びつくものの、何かと理由をつけて後回しにしてしまう。などなど。例を挙げればきりがない。
 
当たり前のようにインターネットを使うようになってから、その万能さゆえに「インターネットで検索すれば何でも答えを教えてくれるから、家の中に引きこもる人が増えるんじゃないか」、という意見を目にしたけれど、そのような人は一定数いるとは思うものの、人々はアクティブに外に出て、映画を見たり、食事をしたり、ショッピングを楽しんだりしている。
 
ただ、見知らぬ所へ行く時には、検索するのが当たり前になっている。特にはじめていく場所だったり、お店だったりは検索をして事前知識を入れておくことが当たり前になっている。
ただ、最近読んだ本では以下の文に出合ったことで、自分の店選びを振り返るいい機会になった。
 
 
最近じゃ、食べ物を食べる前からその食べ物に以上に詳しいということが当たり前で、情報を受け取ったときから食べ始めちゃってるようなもので、実際にその食事と対峙するときには答え合わせの追体験でしかないなんて、そんな不干渉グルメがあふれている気がする。既視感にまみれていては心が老ける老ける。
 
「そっち系ね」とか「なるほどね」とか、分かった気になるのはもうやめたい。店の前でスマホをいじらない。入店の決断は自分の心にゆだねたい。食べログは便利だけど、ちょっと人との交流がスマートになってちょっとうまいものが食べられることと引き換えに重大な感動を置き去りにしてしまうんだ。
 
「生まれた時からアルデンテ」 平野紗希子
 
週に一度は外食するというマイルールを作ってから、いわゆる口コミサイト(食べログやRettyなど)を利用して、事前知識を入れておくことが当たり前になっていた私だったけれど、確かに行き当たりで店に入ってみることはしなくなった。(店の前まで来て、何となく入りにくそうだと思って止めたことはあるが)
そのかわり、味の答え合わせを避けるために、メニューを見ておいしそうだな、というものを選んだり、
一定の予算内でのおまかせをお願いすることで、自分の好みとは違った角度からの食べ物やお酒に出合うことができる。
 
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検索して「知る」ことは橋桁から落ちる(最悪なものを避ける)という担保にはなるけれども、予期せぬ出合いには少しの未知は必要だ。小説のあらすじを知っていても、本を読むことは止めることはない。お気に入りの一節に出会うかはその人にかかっている。
 
ここまで書いてきた「知る」は知識として知っている、というよりも「聞いたことがある」の意味で書いてきた。
知識を得ることの重要性についてはまた別の機会に書こうと思う。

know (ハヤカワ文庫JA)

 

生まれた時からアルデンテ