まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

服を着た豚

最近寒くなってきたし、冬に向けて新たな服を眺めてみようと外に出た。

服を買う時には大方どのようなものを買うのかは決めているけれど、あまり決めすぎてもいけないと思っている。「買わなきゃ」と思って選ぶとなんだか妥協しているように思えるし、別の所で「あーもっといい服があったのに」と後悔することもない。それに売り子の放つ殺し文句「残りは今出ているものだけなんです」とか「今ならいつもよりも多くポイントお付けしますよ」に心が揺らぐことはない。

 

「あくまで欲しいものを買う」、のだ。

 

コートが欲しいなと思うと、自然と通りを歩いている人に目が行く。するとなかなかどうしてなんだか同じ色の物をよく見かける。ファッションで自己主張するつもりもないけれど、似たような色を選ぶのは少し抵抗がある。

 

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今年のGWを利用してモードの先端と呼ばれるミラノを訪れた。予想はしていたものの、きれいな人ばかり目についてしまい、自分のみすぼらしい姿に恥ずかしくなった。気温は少し肌寒く、服のバリエーションも少なかったので現地の服を購入することにした。

 いざ街に出てみると、服を買う前と後で恥ずかしさはなくなった。そして別のことに気づく。実はそんなにお洒落な服を着ている人ばかりではない。

服ではないけれど現地で見たZARA HOMEよりも無印良品の方が圧倒的にいい品ぞろえをしている

さらに、新しい服を着ているせいかそれまで絡まれなかった現地の人に声をかけられるようになってしまった。服を着る前と着た後で景色が変わったわけじゃないけれども、心理的なものが変わるはずだった。けれども変わらなかった。

キルラキルの中に「服を着た豚」という表現が出てくるけれど、物語の中に出てくる意味とは少し違うものの、服に着られてしまっている状態がその時の私だった。いい服を着ていることで周りからの視線に対しての無言の圧力は弱くなった。けれども、服の中にいる私はまだ服の中から怯えている。

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「ご冗談でしょう、ファインマンさん」は物理学者のファインマンが自身の生活の中で体験した事柄を平易に書いた知れた名著だ。ファインマンさんは高名な研究者でもありながらも、その活動ぶりはとてものびのびとしている。そんな彼が相手が誰だろうが同じ態度をとる理由についてこう語っている(この本自体の著者はファインマンではなく、彼が語ったものをまとめたものだ。)

僕のおやじは制服を扱う商売をやっていたから、僕はおかげで制服を着ている人間と来ていない人間との違いを嫌というほど知らされているのだ。つまり、中身はみな同じだということだ。こうして親父は息子の僕を身分や権威などにびっくりしない人間として育ててくれたし、僕自身勿体ぶった肩書き等ひけらかす連中を、いつも冷やかしてきていたのだ。この気持ちは僕の心に深く刻みつけられていた。
 
「ご冗談でしょう、ファインマンさん(下)」
「人は人、服は服だ」というセリフがキルラキルの中に出てくる。
服ではなく人を見よ。

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いくつか店を回ったけれども、欲しいものは見つからなかった。
諦めて帰ろうと思った時に、歩きながら横眼でちらりと視線を向けた時、こちらを見ているような服があった。
「私に着られたい?」
ここで袖を通してしまったらこのまま家に持ち帰ってしまうだろう。
衝動買いはネットよりもリアル店舗の方が多いと昨日目にしたばかりだ。 
今の私は冷静さを欠いている。
「次の週まで君を覚えているのなら、買いに行くよ」
そう心の中で唱えてから少し足を速めて店を離れた。

 

キルラキル 脚本全集 (アニメ関係単行本)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)