まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

近づきすぎると見えなくなるもの

最近グランドイリュージョンという映画を見た。

原題はnow you see me で多額の現金を銀行から引き出した手品師集団とそのトリックを暴き、彼らを捕まえようとする警察官との間での脱走劇。
 
手品のトリックとして多用されるのが観客に注意を一方に誘導させておき、もう一方では観客を驚かすための準備をする。
この映画では警察官が手品師の用意するトリックに何度となく引っかかる。
 
「目につきやすいものに囚われていれば別の所で起こっているものを見逃してしまう。」
 
何度も手品師側の繰りなすトリックにひっかかり、追い詰めても逃げられてしまう警察側だが、徐々にそのことに気づき、慎重に行動するようになる。
 
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「ヤバい経済学」は平易な文章で統計データが一見関連のなさそうな事柄に実は近い相関関係がある事例をいくつも紹介している。
目につきやすいものでありながらも、それが何が関係しているのか。
著者の一人である経済学者Steven D. Revittが興味を持っているのは日々の出来事や謎であるが、疑問を立てるときの秘訣についてこう書いている。
 
「疑問を立てるときの最初の秘訣は、立てた疑問がいい疑問かどうかをはっきりさせることだ。それまで問われたことのない疑問だからといって、いい疑問だとは限らない。これまで何世紀もの間、頭のいい人達が色々な疑問を考えてきた。だからこれまで問われなかった疑問には、ほとんどの場合、つまらない答えしか出ない
でも、もしもみんなが本当に気にしていることを疑問として立て、みんなが驚くような答えをみつけることができれば-つまり、通念をひっくり返すことができれば―いいことがあるかもしれない。」
  「ヤバい経済学」
 
この「通念」は1950年代に発刊されたガルブレイスの「ゆたかな社会」で提起されており、
いまにも十分通じるものの見方、といってもいいだろう。ガルブレイスは一章を割いてこの「通念」を説明している。

現代の経済生活、社会生活を理解するにあたって、先ず必要なことは、事実とそれを解釈する観念との間の関係をはっきりつかむことである・・・(略)
聴衆というものは一番好きなことを聞かされると拍手する。そして社会問題の議論においては、議論が正しいかどうかよりも、聴衆の賛成を得られるかどうかということの方がよほど論者を左右する。・・・(略)
経済・社会の動きは複雑で、その特性を理解するのは大変なことである。従って我々は、おぼれそうな人が筏にしがみつくように、最も理解しやすい観念にしがみつく
親しみやすいことが人気の重要なカギになっているので、人々に受け入れられる観念は大きな安定性を持っており、予知しやすい。
この観念を通念(conventional wisdom)と呼ぼう。
 
    「ゆたかな社会」
 
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分かりやすさ、が求められているのは、日本でも人気のある情報系記事について日本語版と原文とを比較して読んだ時に痛感した。原文では研究内容についてやリンクなど詳細に書かれているが、邦訳では内容にはあっさりとしか書かれておらず、同じ記事なのか疑問に思うほどだった。
 
また、最近多いなと感じるのが、話しことばの一端を取り上げて、「問題発言ではないか」、とする記事である。その話が誰に対してのものか、であったり、全体を通してみれば目くじらを立てるほどでもない事柄に重箱の隅をつつくように弄るのは報道する側の態度を疑いかねない。
 
しかし、分かりやすい記事が好まれているのもまた確か。煽り記事に振り回されずに真意はどこにあるかを見定めるには、情報の取捨選択が必要になるだろう。
 
例えば、事実と想像を分離して読む(空→雨→傘)であったり、同じ事件でも、報道する側による違いはないか(作為は含まれていないか。国内だけではなく、国外からはどう見られているか)など
 
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とにもかくにも、ガルブレイスのいうように分かりやすい、目につきやすいものが拡散されがちではあるけれども、その弱さ(簡単になびいてしまいがちな所)から踏みとどまって真偽を見定めるには自分の癖を知らないといけない。それはCritical Thinkingにも通じることだ。
 

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ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)