まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

時の感覚

2014年も終わろうとしているのに全く実感がない。一年が400日くらいあって、一日が週になり、そして月になる。それが積み重なって年となる。
外に出ればクリスマスのイルミネーション、スーパーで買い物をすれば正月の鏡餅が目に入る。だけど体が追い付いていないこの感覚は何だろう。
 
振り返ればここ数年、季節の切れ目がはっきりしない。夏はいつまでも暑く、いつから秋、そして冬になったのだろう。
とはいえ、無意識のうちに衣替えはしているし、冬用の電化製品をひっぱり出してきて寒さをしのいでいる。電気料金の推移をみると、どうやら私の冬は11月のうちに来ていたようである。
 
俳人の方だと季節が立つと前の季節の歳時記をしまい、新しい歳時記に入れ替えて、新しい季節を探しに外へ出るという。いわば季節の先取り。季節の変化を主に寒暖の変化でしか感じ取れなくなっている自分を振り返ると退化しているのではないか、と少しだけ焦りを覚えている。
 
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けれども、時間の概念を感じ取るセンサーというものはヒトを含めた動物や植物を含めては見つかっていない、という。あくまでも時というものは便宜上作っているにすぎないのだとも。
 
差し迫った状態では時間の流れが早く感じ、退屈な時には遅く感じる。
こんな経験も間違いではなかった。秒針は確実に一秒を刻み続けるけれども。
 
また、ある本では各々の生物が持っている時の概念は環世界と呼ばれ、例えばある種の蚤は生物が発する乳酸に反応するまでその場を動かない、という一節に出合い、時の感覚は絶対的なものではなく、どうやら相対的なものらしい。(一部の拷問ではそれを利用したものもあるという)
 
 
手帳を開いてみると10月から立て続けにやってくる仕事に追われていたためか、時の流れを早く感じていたようだ。一日一ページで区切られている手帳を開くと、ほとんど何にも書いていない日が続いていた。
 
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暦の上では明日22日が冬至らしい。一年で一番夜が長い日。まだまだ冬はこれからが本番。これ以上寒くなってほしくないのだけれど、春が来るまで体には気をつけたい。

生物から見た世界 (岩波文庫)