まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

米が米であるために

アメリカの大統領選がにわかに活気づいてきたので、読もうと思いつつその長さから読むのをためらっていた本「ライス回顧録」を読んだ。
コンドリーザ・ライス氏(以下愛称のンディと表記)がブッシュ(子)大統領の側近として8年間を過ごした頃のことを振り返って書いている。
期間としては2001年から2009年までの8年間で、その間911金融危機もあった。(後者はほとんど触れられていない)
全体的に重苦しい雰囲気が漂う中、それでも彼女の強い信念が支えになり、務めを全うした内容が書かれている。
 
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●仕事の進め方
ブッシュ政権の1期目は国家安全保障担当大統領補佐官として働く。上司はブッシュ大統領ただ一人ではあるが、過去の上司であるドン(ラムズフェルド国防長官)やコリン(パウエル国務長官)との間に立って仕事を進めることが多かった。二人の考え方の違いは真逆であり、ドンは急進的な考え方の持ち主で自分が物事の決定者であることにこだわり、部下だけで仕事を進められないようにしていた。一方でコリンは慎重かつ気が効くタイプだった。
 
※二期目でンディ自身が国務長官を務めることになった時、周りの部下を決めるときにはこの苦い経験から、自分に最終判断を仰がなくても物事が決められるような信頼関係を持った人物と仕事を進めることになった。
”国務次官をめぐるこれらの人事により、主体的に問題に対処して決定を下せる人材を集め優秀なチームが完成し、あらゆる問題がトップの私の決断を求めて上がってくることの無いようにした。”
 
 
 
911とその後
911と戦争に突き進むまでの道程も描かれているが、大統領の近くでその一挙手一投足を見つめていたンディとって、ニュースなどで見聞きしていた大統領の姿とはまた別のものが見える。例えば、戦争には最後まで回避できる手段がないかを検討していたり、アメリカの良き友人であるイギリスのブレア首相がアメリカに賛同してイラクに派兵するか否かを決めるときに、例え否決されて退陣することになっても、彼のことを見下さないとの電話を入れていたりしていた。短気な気性は予想通りであったけれども。
 
一番身近な側近でさえ、大統領が孤独であるという事実を変えることはできない。
最高司令官として自国の男女を戦場に送る命令を出したときほど、その事実を実感する瞬間はない。
開戦決定の全責任を負うことの重みを大統領自身がかみしめているときに、その心情に土足で踏み込もうとは露ほどにも思わなかった。
 
戦争に至った決定的な証拠はその後存在しなかったことになるが、突き進んでしまったへの若干の悔みも言葉少なげに書かれている(。国防省や副大統領の戦争の意欲に最終的には大統領が押されてしまったように見える)
 
私は情報機関からの断片的な情報を引用すること、とりわけ大統領がそれを引用することを認めるべきではなかった。
 
戦争に突入してそれほど時間がたたないうちに、イラクは独裁政権から解放される。しかし、イラク人による統治はなかなか進まなかった。
原因としてはアメリカ軍がイラクを解放してやった、という奢りも含まれているように思われる描写もあった。(解放後の米軍空母に「任務完遂」という垂れ幕が下げられたり、がれきの山に米国旗が掲げられたり(直ぐに注意され取り外されたが)した。
 
 
二期目も継続して側近として働くことになった。すでに補佐官として働いていて、もどかしさを抱いていた縦割りな仕事ではなく、関連省庁との緊密な連携が必要だと考え、周りに配属する部下の選定に心を配った。(部下を選ぶ場面ではとりわけ細かく書いているのだけれども、それだけ優秀な人材が周りにおり、彼女もその人となりをよく知っているのだろうことがよくわかる)
 
”同じ閣僚となるヘンリー・ポールソンが財務長官に就任した時、彼には大統領と二人きりで過ごす時間を取るようにアドバイスした。閣僚は大きな組織を抱えて忙しく、極めて多くのことに時間を取られる。だが、使える上司はただ一人、大統領だけだ。そのため、大統領にお互いの認識の違いを内密かつ早めに伝える時間を確保する必要がある。そうやって二人の間に共通の判断基準を確立して初めて、閣僚は政府の代表として自由に政策を実行できるのだ。”
 
優秀な部下を周りに配置し、ンディは国務長官として世界中を訪問することになる。
 
特に中東などの問題に加えて、イスラエル北朝鮮、ロシア、アフリカに重きを置いて書かれている。
 
個人的には上記の国々よりも割かれているページは少ないものの、インドとベトナムは現在の経済成長を予見させる内容になっている。
インドは隣国のパキスタンと競争のように核実験を行い、原子力の技術支援を受けることを禁止されていたが、民主的な政治へとかじを切り、原子力の有効利用のために奔走する場面であったり、ベトナムは若い国民の強い好奇心とといきいきとして働く人々の姿が印象的だと綴られている。
 
 
●生活のスタイル
700ページある内でプライベートな時間のことに触れているのはわずかではあるが、世界中を飛び回るンディが大切にしていたものは仕事から離れる瞬間とできる限り規則正しい生活
だった。
国際政治を学ぶ前はピアニストを志望していたンディはピアノに触れる時間をできるだけ持ち、仕事から離れられる時間を大切にしていた。
 
私は常に運動すること、少しばかりの休暇を取る機会を見つけること、すこしばかりの休暇を取る機会を見つけることを忘れないようにしていた。911以降は夜遅くまで仕事に追われる日が30日あまり続き、全く休みが取れないためにかなりの負担を感じた。
独身者は、目が覚めている全ての時間が仕事に取られないように注意する必要がある。私には、時間を割き、気を配らなければならないような配偶者や子供はいない。だが、したいことはたくさんあったし、数年前、私は仕事中毒にはなるまいと自分に言い聞かせていた。どれほど時間がなくても、仕事から離れることが大事だった。私は日曜の午後に時折ピアノに向かう時間を楽しみにしていた。 
 
”22時30分就寝、4時30分起床 エクササイズをし、6時30分にはデスクに着く
海外では夕食は9時30分までに終わらせるように伝えておく。
私がわずか4時間の睡眠でアメリカの名の下に決断を下すなんて勘弁して欲しいでしょう?」といえばOKだった。
 
 
●自由で民主国家であること
 
国務長官として世界中をまわりながら世界の民主化を促してきたンディであるが、彼女がなぜそのような信念を持っていたのだろうか。
パレスチナイスラエルの和平を結ぶために奔走した彼女が自らの出処を挙げて説明している場面がある。
 
”実はパレスチナイスラエルの人々のことは、私も実感として分かる部分があります。私は子供時代をアラバマ州バーミンガムで育ちました。黒人にとってはひどい時代でした。だからこそ、パレスチナ母親が子供に向かって「私たちはパレスチナ人だから、あの道路を通ることはできないのよ」と話す時の気持ちが、その怒りや屈辱が分かる気がするのです。
私の母も同じだったはずです。というのも、私は黒人で、当時この肌の色だけを理由に、行くことを禁止されていた場所がいくつもあったのです。一方、イスラエルの母親が、「寝ている間に爆弾が落ちてきて殺されるかもしれない」と心配しながら子供を寝かしつける気持ちもわかります。1963年、バーミンガムの教会で私は友達を殺されました。両親は私を慰めなければなりませんでした。私自身の身の安全も完全に保証されているわけではないことを、両親は知っていたはずです。
人間はこのような生活を強いられてはいけません。だからこそ、私たちはパレスチナ国家樹立を実現し、ユダヤ人の国イスラエルと平和で安全に共存できるようにする必要があるのです。政治のためではない。パレスチナイスラエル。そこで暮らす人々の生活を変えるために、です」”
 
まだ偏見が残った州で育ちながらも高い能力を獲得したからこそ、国家に必要とされる仕事ができるようになった。また、彼女がここまでの仕事ができるようになったのはアメリカという土地だからこそかもしれない。
 
シンガポールの建国の父であるリー・クアンユーに、かつて質問されたことがある。なぜアメリカは常に偉大なのか、わかるかね、と。
「どうしてでしょう?」 「差異に対して寛容だからだ」彼は言った。
「差異に対して寛容だから、優秀な若者はだれもがアメリカに行きたがる。移民したからといって、ドイツ人や中国人や日本人にはなれない。だが、アメリカ人にはなれる」
※ブレア首相が黒人で女性のンディが大統領の側近であるのを初めて知った時、自分の国ではまだここまではできない、と語っている記述もあった。任期中はブッシュ大統領ともども二人は良好な関係を築いていた。
 
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大統領選が近くなるとアメリカでは建国の父祖(Founding Fathers)達に係る歴史書が多数出版され、新たな史実や解釈が提出されるという。
アメリカは自由であるけれどもこの確実に建国の起原に戻れることが強みになっている。次々と予期せぬ困難に立ち向かう時にンディも彼らの伝記を読んでいた。
 
民主主義の力を信じて世界に民主化を促してきたライス氏の仕事はブッシュ大統領の任期満了とともにその役目を終えた。
オバマ政権が発足して中東にアラブの春が訪れた。ライス氏の望み通りの結果にはなったものの、混沌とした状況が続いている。
 
 
”自由と民主主義は互いに支え合う関係にあるが、同じものではない。民主主義は自由を守るための統治のプロセスであり、システムである。このプロセスはまず選挙から始まる。選挙こそが、安定した民主主義のへの第一歩なのだ。より難しい課題は、個人の権利突国家の権威の関係を定める制度を構築し、それを維持することである。
自由から出発し、安定した民主主義へと至るまでには、長い道のりが横たわっている。そしてその仕事は決して完了することはない。アメリカはどの国よりましてそのことを理解しておかなければならない。『建国の父が我ら人民は』、といったとき、そこで言われる人民に私は含まれていなかった。私の祖先はこの国を建設するときの協定で男性一人の5分の3と数えられた。私の父は1952年のアラバマで黒人であるが故に嫌がらせを受けて有権者登録できなかった。
他方でアメリカは、正義の実現にとって制度が重要であることを示す実例でもある。キング牧師にしても、ローザ・パークスにしても、現状を変えようとしたときに、アメリカという国そのものが持つ原理に直接訴えかけることができた。アメリカを、アメリカ自身が掲げる理想像に近づけるだけでよかった。これこそが民主的制度が有する価値なのだ”
21世紀初めのアメリカと世界情勢を知る上でも、ンディという卓越した行動力の持ち主の仕事の進め方を知る上でもとてもよい本だった。
もう少し早く知っていたら外交官という仕事も選択していたのかもしれない。
 
 

ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日