まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

正義という信念

毎年のことではあるが、終戦記念日が近くなると、戦争が引き起こした悲劇を目にすることが多くなる。特に今年は立法に関して「戦争」に対する考えを見聞きすることが多かった。
しかしながら、何が戦争を引き起こしたのかはほとんどといって語られていない。当然のことながら、一度始まってしまったものはすぐに止められるものではない。
けれども結果を引き起こした原因がわかれば、それを解消することで起こり得る可能性を回避することができる。
 
イラク戦争はアメリカとイギリスが先導して始めたものの、今となっては負の遺産になっている。
けれども当時の両国の首脳陣は戦争に突き進んでいった。現代に起きた故に、明らかにされていないこともいくつかあれども、当時のイギリスのブレア首相とアメリカのチェイニー副大統領に関する本を読むと、見えてくるものがある。
 
***
 
●イギリス
ブレア政権時の防衛政策を大きく分けると以下の二つになる。
1.欧州内でのリーダーシップをとる(国際主義)
2.欧州大陸の周縁部である中東やバルカン半島の不安定な地域の安定化に積極的に関与していく(介入主義)。
1.については単独主義とは別物であり、あくまで欧州諸国と協力して目的を実現する。2.については、イギリスの場所が地理的に戦争に巻き込まれにくい場所にあることで、あらかじめ危険な芽を摘んでおくことに重きを置いていたといえる。
ただし、単なる防衛政策だけではなく、外交政策、開発政策と共に総合的に活用して初めて課題に対応するとしていた。
 
 
●イギリスから見たアメリカ
イギリスの歴史家、アレックス・ダンチェフによると、イギリス人のアメリカのイメージは「ローマ帝国ギリシャ人」だった。
巨大なローマ帝国であるアメリカに、賢人であるギリシャ人(イギリス)が教育する、という啓蒙的存在だという。
けれども、実際にはアメリカはイギリスの主張を聞き入れることは多くなかった。
 
また、当時のブッシュ大統領との付き合い方について、クリントン大統領が退陣する際に「自分(クリントン)と同じように親密な関係を作ること」と伝えていた。
クリントン政権時代はブレア(兄)、クリントン(弟)であり、クリントンに対して啓蒙する立場であるブレアにとっては良い関係が保てていた。)
ブレアはクリントンの忠告を忠実に守ったが、皮肉なことにそのことが他のEUから孤立したことが原因の一つであるとしている。
 
 
●アメリカ
政権をとったときのブッシュはゴアとの大統領選が最後までもつれたため、柔和な態度があった。けれども、チェイニーはその後、選ばれたことははっきりしているため、着実に政策を進めると語っている。
 
ブッシュ政権でなぜチェイニーが圧倒的な力を持っていたのか。理由はいくつもあり、中にはわかりにくいものもあるが、実に単純明快な理由が一つある。副大統領は自分が何を求めているか承知していたのだ。多くのライバルと異なり、自ら仕える大統領とも異なりチェイニーは曖昧な状態でいることを滅多に自分に許さなかった。自分の中で方向性が定まってるか、さもなくばそれは重要でないとして関わるのをやめるか。チェイニーには、どちらかしかなかった。
 
 
チェイニーは組織に精通しており、誰にアプローチすれば自分の思い通りに事が進むか、を知っていた。憲法の解釈を判断する組織(法律顧問局)に急進的な考えをする人物を、大統領顧問にブッシュの友人を息のかかった人選をした。結果としてアメリカが戦争に突入した時に他の国と調和を図らずに単独で判断しているように見られた。
 
単独で動こうとしているアメリカに対し、それを避けたいブレアはEU諸国とアメリカとの間をつなぎとめる役割を果たそうとしていた。しかしながら、例えば当時のドイツの選挙でシュレーダー氏は単独行動で戦争に突入しようとするアメリカをナチス呼ばわりした結果、アメリカとの亀裂は一度に広がってしまった(しかし、シュレーダー氏にとってはアメリカを明確な敵とみなすことで自分に有利な選挙に進めることが出来た)
また、フランスのシラク大統領はブレアがようやく国連決議で戦争の正当性を持ち込んだにもかかわらず、戦争に同意することはなく、これもブレアの協調の意欲を対峙させるものだった。
 
アメリカの単独主義を説明した論文と大きな影響を与えたのが、ネオコンの理論的支柱だったロバート・ケーガンが2002年に発表した「Power and Weakness」だった。
その中で、アメリカとヨーロッパの違いの本質として、アメリカにはホッブス的な世界観をもつ「強さ」があり、ヨーロッパにはカント的な世界観の「弱さ」がある。
ホッブス的な世界観で国際政治を眺め、十分な軍事力を持つ「戦争の神(Mars)」であるアメリカは、カント的な平和の世界に閉じこもるヨーロッパからの協力が得られなかったとしても単独でも行動する必要がある、と主張した。出版当時は多くの批判にさらされたものの、この考えはアメリカの単独主義の正当性を後押しするものとなった。
 
 
●チェイニー、ブレアに共通していたこと
・強い信念
チェイニーは今の評価(支持率)よりも歴史が彼をどう評価するかに興味があった。そのため、大統領の支持率が低くとも、ダースベーダ―と言われても、気に留めなかった。また、チェイニーの片腕となって行動した法律顧問も彼同様強い信念を持って行動していた。
 
ブレアはアメリカを単独で行き過ぎた行動を避け、多国間主義の取り組みに導くことが重要であり、それがアメリカの利益であると認識させる必要があった。またブッシュとの個人的な信頼関係を悪化させないことにも重きを置いていた。
 
・閉鎖的な決定
 
ブレア政権内では最期まで戦争に法的根拠が認められないと反論していた外相がいた。(議会の決議の後、彼は抗議の意味を込めて辞任を表明する)
また、軍事攻撃の参加が合法に可能であるかは法務長官から確認していたものの、外務省の法律顧問は反対であり、一枚岩とは言えなかった。
 
一方のブッシュは操り人形ではなかったものの(いうまでもなく最終決定者はブッシュにあった。けれどもブッシュは部下の間での意見の不一致があるのを好まず、助言を求めた。それゆえここぞというタイミングで提案をするのが大事だった非常に大事だった、と分析されている)、結果として好戦的なラムズフェルドやチェイニーの言い分を採用した。
 
●反省と修正
 
イラク戦争後、一向にイラクの情勢が不安定なのを踏まえて、ブッシュはラムズフェルドをチェイニーのもう反対にもかかわらず解任する。そして、ライス側の意見を取り入れるようになり、結果としてチェイニーの力も弱まった。
 
ブレアは2003年のイラク戦争以後、大規模な軍事介入を決断することはなかった。その代わりに、アフリカ貧困問題や環境問題への対応に注力した。
 
***
 
モーゲンソーの国際政治学:権力と平和)によると、世界は「人間性に内在する力」によって生み出されたという。
その力とは、恐怖、利己心、名誉欲であるという。
ブレアとチェイニーに限って言うと、おおむね的を得ている。対国との戦争ではなく、テロという形で常に何らかの恐怖にさらされる。
利己心は自らの私腹を凝らすという目的のために動くことはなかったが、外野の意見に耳を傾けることがおろそかになっていた。
名誉欲については、チェイニーは現在ではなく、歴史が判断することを好み、ブレアはブッシュとの個人的な信頼関係を重視した。
 
 
過ちから10数年たった今年は新たな脅威としてISが台頭した。今回はアメリカとイギリスのみならず他の欧州諸国も足並みをそろえてテロとの戦いに対抗する姿勢を見せている。しかし前回とは違うのは対国との戦いではなく、国を持たない組織であり、それに武力を使って賛同する者もおり、単に武力行使で解決する問題ではない。
強力なリーダーシップ周囲を熱狂に巻き込むが、その一方で少し離れた場所で冷静に状況を判断することも必要であることを教えてくれる。
 
政府においても、その他の分野においても、何をすべきかはっきりわからず、自分がどう考えているのかもはっきり把握していないことのほうが、その逆よりはずっと普通だ。ゆえに自分が何をすべきか確信していて自信があって、自信のない人に対して自らの確信と自信のほどを説得力のある形で表現できる人というのは、物事の展開に不相応な影響力を発揮しがちだ
ホワイトハウスの副法律顧問のチェイニー評

 

 

策謀家チェイニー 副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」 (朝日選書)

 

倫理的な戦争