まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

みえぬものこそ

アメリカの大統領選が終わり、少しづつ日常に戻りつつある。正直なところ、接戦まではいくと予想していたものの、それでも6:4くらいで勝つと思われていた候補者が敗北する、(総数では勝っていたようだが)という光景に呆然と立ち尽くす以外なかった。
 
そもそも選挙権がないのにやきもきしてもどうしようもない。それでも相手の動きを気にする気質としては気にならないわけがなかった。刻々と流れるタイムラインには落胆をしながらも受け入れつつある人と、怒りを爆発させている人が入り混じっていて興味深かった。私はどちらかというと前者だったが、それでもタワーで会談したり、100日プランを聞いているときに胸騒ぎが静まらないことに気づき、理性的には受け入れつつも、ざわざわとした落ち着かない感情が腹の底にあったのだと知る。
 
自分の目に見えているものが全てではない、ことは街灯の中で探す鍵に例えられる。探し物は街灯の明かりが見える範囲でなく、明かりが見えていないところにあるのかもしれない。それはバイアスという言葉にも言い換えられる。
過去には人種の坩堝といわれ、もはやアメリカ人=白人ではないことは、今の大統領が2期選ばれたことからも明らかではあるが、一方で映画のキャストでwhitewashingが問題になったり、PC上の問題でこれまで当たり前のように言えていたMerry Christmasといえない窮屈さも発生していた。
 
有力候補者の劣勢が伝えられると隣国の移民情報がまことしやかに伝えられ、他の国に移ることを考えるつぶやきが流れてきたのを見ながら、動かない人のことを考えた。自由に動き回れることは誰にでもできるわけではなく、場所に属さない能力や潜在力を持った人が多いだろう。それに比べると動かない人は保守的な要素を兼ね備えているはずだ。
 
断絶や分断という言葉がまことしやかに伝えられているが、現実はどうだっただろうか。明るいところだけを見ていなかっただろうか。もし、断絶や分断という言葉を使うのであれば、それはその人自身が日が当たらない存在を断絶もしくは分断していたのかもしれない。
 
今回の結果はまだ多くのものが見通せないが、良い面としては、日が当たらない存在の代表者が選ばれた結果、その一挙手一投足にメディアを通じて注目が集まり、吟味されることだ。勝者側も、完全な勝利ではなく、薄氷のものだった故に、意見は無視できない。(上下院のねじれは解消しているが)
 彼の政策について色んな人があれこれ言っているが、気を付けなければならないのは、批判する立場の人が感情的に彼自身を嫌っているか、それとも、内容に対して批判が向けられているか、である。日本の専門学者の中でもこれは起こっているので意見を参考にするときには十分注意する必要がある。専門家であるならば、個人の感情をそのまま現状に向けてはならない。冷静な判断が出来なくなるからだ。(感情的な推測は原文の誤読につながる。一番いいのは言うまでもないが原文を読むこと)
 
 
だらだらと思うことを書いてみたが、最初にかいたように、自身ではどうすることもできない。けれど、川の上に浮かぶ木の葉のように翻弄されたくもない、となると、自分にできることはいざというときに動ける筋力をつけることだった。
 
今回の記事を書くきっかけになったもの