まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

オスロにて

オスロ空港のホテルで洗濯をしながら、さて、ここでは何をしようか、と考える。
ノルウェーの4泊5日の時点ですでにやりたいことをやりつくした感があり、オスロではムンクを見る以外のことを考えていなかった。
 
初めて海外旅行をしたときは大学の卒業旅行だったけれども、それでも高速列車で3か国を大陸横断したのだった。まだgooglemapもあってないようなものだったけれども
それでもフランスの詐欺のパターンを頭に入れて、終わりのほうではあえて引っかかってから撃退するという無茶なことをやったりしたけれども、あの経験があったから
それから何度か旅行していても変なものに引っかからないでいられるのだな、と思う。それでも、体の調子に合わせて行動しないと体を崩してしまう。
 
以前あるミュージシャンが、しばらく活動休止すると発表した後のインタビューで、あらかじめ予定を入れて休むのではなく、朝起きて今日は何をしようかな、という休みのほうが贅沢な休み、と言っていたのを思い出す。最低限押さえておきたいところだけにして、後は身にまかせよう。
 
チェックアウトまでに調べ物をして、旅行者用の交通パスを買おうとしたが、クレジットカードで決済できない。原因がわからず、別の会社で試してみてもうまくいかない。
不正利用されて止められたのかと思って慌ててカードの利用残高を確かめてみても特に問題はない。これまで10か国近くで使っても使えなかったことなかったんだけどなと思い、決済するシステムを検索してみたら、どうやら日本で作ったカードはこのシステムでは使えないという。しかし、昨日空港で使用したときは問題なく利用できた。ということは、インターネットの決済に気を付ければよいのだった。けれども、カードがあれば貨幣はいらないに比べると、何かと不都合ではある。
 
 
空港近くのホテルの外に出ると、デンマークよりも明らかに寒い。雪は降っていないけれど、何日か前に降った雪は東京の雪のそれとは違い、さらさらして固められない。なんだか空気も乾燥しているので、風邪には注意しなければ。バスを待っていると、日本人の方に声をかけられる。国際結婚をしてしばらく日本に住んでいたが、こちらに戻ってきたのだという。老犬を連れていたが、犬はめったに見ない雪をみて少しばかり瞳がキラキラしていたので実家の犬もこんな感じだったなと少しばかり感傷に浸っていた。
 
空港に到着して交通パスを買う。世話好きの方で、何かとアドバイスしてもらった。中央駅に着いて荷物を預けたのち、外に出てみると、デンマークのそれとは全く別物だった。幾分ごちゃごちゃとしているが、人の動きは活発で、後で周辺を歩いてみようと決めた。以下訪れた美術館の感想
 
ムンク美術館
地下鉄から外に出ると、中央駅の景色とは一変して雪だった。近くの斜面では子供たちがそり滑りを楽しんでいる。近所ではあまり目にしない光景を久々に見てしばし見入ってしまう。
ムンクの作品は大きく分けてこの美術館とナショナルギャラリーにあるのだが、後者のほうが大作の「叫び」などがあるものの、ムンクの名を冠しているために、さぞ重厚なアーカイブ美術館なのだろう、と予想していたもののそれは良い意味で裏切られる。
中に入ると、ムンクの人生のテーマとともに、現代の映像作家が制作した映像が同じ空間にある。絵のキャプションは数字だけが絵の存在を妨げない場所に移動されて、気になったものは館内で見られる冊子の説明を読む。日本だと作品の解説もオーディオギャラリーの貸し出しも行っているし、理解を深められるのでそれも一つの見方だと思うが、あまりにも一度に入る情報が多すぎて、終わりのほうには疲弊してくることがある。なので私は、ほとんどキャプションを読まずに、絵を見ることにまず集中して、気になったものだけ後で調べるようにしていた。この美術館の展示方法は作品そのものに見るものを集中させる作りになっていた。また、ムンクの作品はかなり大きいものもあり、床から15㎝くらいしか離れていないものもあったが、そういう作品の近くにはソファが置かれており、車いすで鑑賞する人が誤って作品を傷つけないように、さりげない配慮がされていた。また、ともすればアーカイブとしての美術館となりがちなものに、今の作家の血を入れることで、これまでになかった切り口で作品が楽しめるようになっている。人生は短し、芸術は長し、とはいうが、作家本人がなくなったとしても残された作品に別の切り口を入れて見るものに提供することで、名前だけの作家にならず、これからも生き続けられるのだろう。
ムンクは同じモチーフで複数の作品を作っているけれども、大作の習作であっても心を打つ作品は多数あり、カメラをロッカーに預けてきたことが悔やまれた。
 
National Gallery
ムンクの大作が収められている美術館だが、美術館としては古代から現代までの幅広いアーカイブ美術館。順番に見ていくと次第に現代に近づいてゆくが、ムンクだけは特別に一番良い中央の部屋に展示されている。以前ロンドンオリンピックが開かれた年にTate modernで開催されたムンク展で見た作品も久しぶりに見直すことができた。
展示されているものは多いので一つ一つじっくり見てくことはできなかったけれども、エル・グレコやハーマンスホイの作品を見ることができたし、ドガとカミーユ・クローデルの彫刻には特に感銘を受けた。ドガの作品はひなたぼっこをしているものと、踊り子の2つがあったが、天井からはそれぞれ別々にライトが当てられ、この彫刻がどの時を表しているのかを把握するのに気を配ったライティングがされていた。カミーユ・クローデルは少女の頭部の作品だが、成人にはなり切れていないけれども子供ではない微妙な年齢の女性を、少し顔に張り詰めたものを感じさせる(近寄るなサイン)ので、ロダンがその才能に嫉妬したのも納得である(結果カミーユは精神を病み、ロダンの下敷きになってしまった)。ちなみに、カミーユの作品と向き合うようにしてロダンの彫刻があるのだが、これも力強い作品で、これ以上近づけたら火花が散るだろうから少し遠ざけたのだろうと買いかぶってしまいそうな絶妙な距離にあった。
順番の終わりのほうにあるムンクの部屋でようやく何度も見た「叫び」と対面するが、すでにムンク美術館で見ていた展覧会を通して表現されていたdepressionと目の前の作品を比べるとどうしても割り引いてみてしまうところがある。けれどもそれでいいのかもしれない。「叫び」よりも倫理の教科書で見た思春期の不安を表した作品であったり、まもなく訪れるであろう死を陰で表したりと、どうしても影のイメージが強いものの、それでもTate modernでみた陰と陽の関係は常に作家自体のなかにあったのだろうと思わせるし、まだまだいろんなキュレーターが解釈したムンクの展示を見てみたいと強く思ったのだった。
 
Astrup Fearnley museum
目の前が海の美術館で村上隆の展覧会が始まっていたので見る。展示の内容は森美術館横浜美術館を組み合わせて小ぶりにした内容ではあったけれども、展示空間を活かした内容だった。スカンジナビア諸国では初めての展示だという。オスロでの知名度はほとんど未知数だったけれども、大勢の人が足を運んでいた。彫刻も複数の時期にわたって作られたものが展示されていたが、初期には自立できなかったものが、今では重心が考慮されてつくられている。楠を素材にしてB-Boyのダンスの動きを彫刻にしている小畑多丘さんが以前ラジオに出演していた時に作品が自立することの重要性を語っていた。自立させることで見る者に、そこにみえないがあたりまえにあるはずの重心を意識させる、と。胸とおしりを突き出してポーズをとっている女性はあるアニメのキャラクターのようだけれども、上半身と下半身の体のバランスがとれていなさそうに見えても、彫刻ではうまくバランスが取れて安定している。いくら大きい胸であっても皮膚は人間のそれとは別物である一方、足にまとわりついたタイツとリボンが皮膚を圧迫しており、その部分だけがやけにリアルに見えた。足の表現に特に気を配ったわけではないだろうが、「視覚が注意を払うのは差異の部分」とあるデザイナーの方が話していたのを思い出し、なるほどこれが差異なのかもな、などとひとりごちた。
美術館は二艘の船のような形をしており、企画展の隣に常設展のコレクションがある。
 
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オスロを歩いていると、ある程度時間の経過した(30年ほど?)建物がある一方で、比較的新しい建物もほとんど違和感なく生まれている。
駅の近くにはオペラハウスがあり、その近辺には各々名の知れたであろう建築家が設計したと思われる(MVRDVの銀行だけはわかった)、箱詰めされたチョコレートのように整然と並んでいる。
湾岸地域は着実に再開発が進んでいる。ムンク美術館の新館も現在進行中で2018年開館を予定しているという。
故郷は遠きにありて思うもの、ということで、TOKYOを少し思い出してみた。TOKYOが世界の注目を集めるのは新陳代謝良く古いものが新しいものに変わっていく飽きがこないぶぶんにあるとはおもうものの、その周辺に住む者にとっては、新しいものよりも、古いけれども新しく使い方を変えたものが目を引く。それほおそらく良い朽ち方をしているからなのだろう。さて、オスロはどう変わっていくのだろうか。人種の多様さからもデンマークのそれとは違って、もっとよく知りたいという気持ちになった。まずは海外口座でクレジットを作るところから始めないといけないが。