まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

いとしいものにさよならをいう

思えば5年ほど前のクリスマスに当時好きだった人に啖呵を切ったことが始まりだった。言葉に出せば、その通りになるものだ。
その啖呵が自分のこれまでを決定付けたのかもしれない。
 
漠然ながらこの国を出る、ということを決めていたのは、自分が空気というものに敏感に反応しやすいからだったのかもしれない。
ぼんやりとした境界がはっきりとした輪郭になったのは、やはりここ2年ほどの混迷が大きい。見えないものが大きい割合を占める時ほど、決断力が試されているはずなのだけれど。多くの人の意見を聞かねばならない時ほどその決断は重要になる。そして、その決断は上にあるものがしなくてはならない。
 
組織に出来ること、と個人にできることは圧倒的に組織で出来るものの方が大きい。当然ながら、それを変えようと思ったら、組織そのものを変えるよりも、自分に合う水を探すことの方が容易い。当然動かないことは楽ではあるし、水を変えるのは負荷がかかるし、ことあるごとに自分の声を聞く。年をとれば保守的になり、変化への対応力が鈍くなるのは目に見えている。けれどそれすらも自覚的ではないと動けない。
 
チャンスはいつ来るかわからない。けれども来た時に手を伸ばす張力は鍛えておけなければならない。経験値という筋力強化が得られたのはよい機会だった。
思わぬところから降ってきたボールを振り切ってけったらあっけなくゴールが決まってしまった。夢というものが現実になった高揚感が過ぎたあと、単にスタート地点に立ったにすぎないのだった、と気づく。
 
置かれた場所で咲きなさい、とはいうものの、自ら死を選んだあとにはもう動けない。
楽な道に希望はない。
 
もうこの国の企業では働くことはないだろう。
 
少し遠いところからこの国の行く末を静かに見守っている。