まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

みずのき美術館と凧揚げ

京都からJR山陰線で半時間ほど行ったところに亀岡駅がある。
そこから徒歩で10分ほど歩いた道と道が交差する、その場所にこの美術館がある。

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日曜なのである程度の人の入りは覚悟していたのだが、行ってみると私一人だった。係の方に美術館の説明を受け、早速見て回る。
1階には床から10㎝ほどのところに展示があり、床にも何やらチョークで描かれた何かがある。2階にいくには靴を脱いで行く。すると1階とはまた違って、凧の形になった作品が天井(といってもよくある美術館のように平らではなく、昔の住宅のように勾配の天井がある)に括り付けられている。また、1階の真ん中にある階段で降りた先には床に置かれた作品がある。
あまりの自由な展示に驚いてしまった。自由な、と思わず書いてしまったが、どのように展示するかはどうやってみられることを望んでいることにつながっているとするならば、ありきたりのものではなかった。しかしたいてい誰もこのようなことはしてこなかった。オスロムンク美術館では大作について1階と同じように床から数センチのところに展示していたが、それはやはり大作だからであって、何らかの別の意図をもっていたのではないだろうと思う。それでも展示にも自由があることに気付かされショックだった。
 
2階に上がると入口の道路側は正面から車が建物側に向かってくる。間違ってぶつかりはしないかと少しヒヤッとするのはそれほどこの場所が交差する場所にあるからだろう。普段なかなかこんな風景は目にしない。反対側は山並みや隣家の畑に育てられた果樹の木を眺めることができる。すぐ隣が普通の一軒家でベランダが見えてしまうのだが、住人のプライバシーには注意を払っているようだ。
 
入口には昔の理髪店を思わせる字面と理髪店のトレードマークである青と赤と白が来るぐるぐるまわっているポールがある。理髪店だったころの骨組みは残し、さらに鉄骨で補強しているため、新しい建物にもかかわらず、昔の建物の残像が確かに残っている。何より作品の保存と展示という目的に対して閉鎖的になりがちな美術館の展示空間が全面と後面の大きな開口部で筒抜けになっており、窓は開けてはいないのに、そこに身を置くだけで気持ちが良い。2階の凧が天井に浮いている姿は風が流れ込んでいるかのように錯覚した。どうやら京都の原風景である町屋の姿を骨組みで体現しているようだ。ふと隣地の環境を建物の内に取り込んだ青森県立美術館を思い出して、係の方に感想を伝えると、サイン計画に菊地敦己さんに、建築設計を乾久美子さんにお願いしたとのことだった。照明について、美術館でなかなか目にしない蛍光灯がぶら下がっているのも興味深いが、展示作品に適した照明として蛍光灯と色を乾さんが選択したようだ。
 
(乾さんによる解説)みずのき美術館 

http:// http://www.inuiuni.com/projects/1046/

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ちょうどこの日は凧揚げのイベントもあった。二部構成で前半は凧作り、後半は河川敷で凧揚げをする。私は後半だけの参加だった。おそらく前半は家族ずれがおおいのだろうと予想してはいたが、実際は家族連れできているのは3組だけで、後は大人だった。しかもすべて女性で彼らのたくましさを想った。
 
当日は晴天に恵まれ、大体徒歩で30分ほど歩いたかもしれない。ただ、途中で引率をしてくれた係の方が程よく街の説明をしてくれたので特に長いとは思わなかった。美術館とは反対側の山側には造成地があった。どうやらもうすぐサッカースタジアムや関連施設の建設が始まるらしい。初めて来た街並みはとても落ち着いており、そのままでもいいのではないかと思いつつも、現状は厳しいのだろう。歩いていると普段東京では見られない鳥にも遭遇するので、この自然は保たれていてほしいと思う。近くに川が流れているが、氾濫することがよくあり、スタジアムの造成が始まる前にもあったので、盛土をしたのちに始めるという。美術館からみられる山の景色も大きく変わることだろう。
 
目的地につくとさっそくみな荷物を置いて凧を上げ始めるのだが、なかなかうまくいかない。私も正月に数回やったくらいでもうだいぶそのころの間隔は忘れている。今回の展示を企画した菊地敦己さんと大原大次郎さんも自作の凧を作って河川敷に来ていた。私たち以外にも施設の方が凧揚げに参加しており、先生と呼ばれる凧を揚げるのがうまい方が順次凧を上げていく。前半の凧作りには参加していないので私は遠目から最初は見ていたものの、皆それぞれ微妙に凧の重さやバランスが異なるためか、すぐには揚げることはできず、最初の30分くらいは安定しない飛行だった。風にもよるが10mくらい揚げればあとは自然と揚がっていくようだった。1時間くらい経つとぽつぽつと揚がる人が出始め、揚がった人はまだ揚がっていな人に凧のつくりを教えていく。菊地さんや大原さんも名前を知らない人が見たら人のいい兄さんのような格好だったことがあったかもしれない。私も自然と揚がらない人の手伝いなどをしていた。

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いつの間にか予定の時刻が近づいてきて、大方の人は凧を揚げていた。休憩がてらテントに戻ったら母娘で参加していた方と話すことになった。話していくと6次の隔たりと感じさせるような共通点があることに驚くなどした。バランスが悪いのか凧が揚がらないので試してみてくれないかという誘いにのり、凧を揚げることになる。たしかにバランスが悪いのか上がっても滞空時間が持たない。菊地さんに見てもらったものの、形は悪くないようだ。夕方になると陸よりも川のほうが気温が高くなるから、川沿いに上昇気流が生まれ、凧は揚がりやすくなるだろう。その前に凪の時間が来る。
 
うまくいくとき、とそうでないときに何があったのかはわからない。今まで通り同じことを何度も繰り返してきたが、あきらめずに凧を持ってくれた母親は娘に自信をつけてあげたかったのだろう。何回目かは忘れてしまったがついに安定した高さで凧を上げることができた。揚がっている凧を持ってもらおうと呼びかけたが、彼らはそれをせず、ただ凧を見てはしゃいでいた。10分ほど空に滞留して撤収した。時計を見ると予定時刻を過ぎていたが、久しぶりに時間を忘れて外で遊ぶという体験をした。私以外の参加者の方も、係りの人が呼びかけなけらいつまでも凧に向き合っていたのでそれだけ熱中していたのだろう。最後に菊地さんから最後まで残っていた参加者の方に「仕事でつらいことがあったらまた凧を上げましょう」と締めの言葉をもらって解散となった。
 
日が落ちる空を歩きながらずっと見ていた。

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