まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

Denmarkにて2/2 (Copenhagen、Ribe)

ミーハーなので、有名なレストラン、Nomaへいく。2月末で別の場所に移るようだが、この日は営業していた。ランチの予約をキャンセル待ちでしていたのだが、残念ながら空きは出ず、外から眺めるだけだった。場所は橋のたもとの古い建物にひっそりとNomaとかいてあるだけで、何も知らない人がいたらあっさり通り過ぎてしまうかもしれない。近くにあるアパートがおしゃれだな、と思って眺めていたら、どうやら賞を取ったらしい。レンガのファサードでオーセンティックなイメージを出しながらも、今の雰囲気を醸し出している。

f:id:schol_e:20170215111457j:plain

f:id:schol_e:20170215112104j:plain

f:id:schol_e:20170215112040j:plain

繁華街に向かってぼんやり歩いているところ、正面から声をかけられる。驚いて意識をそちらに向けると、昨日少し話した方だった。たまたまOrdrupgaardへ行くバスの中で一緒になった方だ。基本的には旅先で同じ国のもの同士で話すのはあまり好みではないので距離を取るようにしている。ましてや向こうは3人なのでその必然性もなかった。とはいえ、それからフィンユール自邸の入口や出口でも会うので声をかけてみたら、一人は同じ業界の方だった。その方は近隣の国で仕事をしており、二人は日本で仕事をしているという。たまたま私が背負っているリュックが同じメーカーということもあったのか、すぐに打ち解けてしまった、にもかかわらず名前を聞いておくのを忘れていたのだ。連絡先は別に要らないので、名前だけでも聞いておけばよかったな、と昨日の夜それだけが後悔だった。
けれども、次の日また出くわすとは。「Your nameかよ」と思わずひとりごちる。互いのこれからの健闘を祈るとともに、名前を交わしてまたすぐに別れたけれども、近い仕事をしていればまたいずれどこかで出会うだろう。
 
***
西に向かう4時間ほどの長旅になる。 国鉄はあらかじめ席を予約していったほうが良い。今回サイレントシートという席を予約したが、静かに本を読んだり、眠ったりするには最適の空間だった。隣の人は静かに編み物をしており、傾いた日に照らされれながら黙々と毛糸に向かう姿を瞼のシャッターに焼き付けた。
 
乗り換えのためにBramminghamに降り立つと、直線に西に来ただけなのに、都心部では感じなかった肌寒さが襲う。マフラーをしっかりまく。霧が土から立ち込め、GPSがなければ霧とともに迷子になってしまっただろう。
 
***
Ribeにて
宿泊した場所はRibeの大聖堂の目の前のWise Stueという1600年代からある古い宿兼料理屋。床は斜めに傾いており、いまでいう欠陥住宅になってしまうのだろうが必要最小限の施設は整っており、比較的快適に過ごすことができた。この時期は夜に夜警の案内をしてくれるイベントがあるので、参加してきた。全編デンマーク語なので理解はできなかったがそれでも雰囲気だけは楽しむことができた。

f:id:schol_e:20170217093537j:plain

朝はホテル近くのパン屋pompei へ行ってパンを買う。昼間はひっそりしているのに、オープン直後は地元の人であふれかえっているパン屋だ。
ブラウンチャバタがとても香ばしくておいしかったので二日連続で食べた。
身支度して駅に向かう。これは賭けだった。前日宿の主人にタクシーの手配を頼んだが、そんなに早くは呼べないと断られてしまったのだった。ここが東京だったら朝8時にタクシーを捕まえるのはそれほど難しくないかもしれない。けれどここは田舎町だった。祈るような気持ちで駅前に向かうと、一台だけ止まっていた。目的地を告げると、「早起きは三文の得だね!」とにこやかに告げられる。私にとってもそうだった。コペンハーゲンでは晴天の日が続いたが、今日の天気は曇り、一時雨だという。天候が荒れたときは事前に連絡するとあったが、イベント主催者からは特に連絡はなかった。
 
つい2週間ほど前に新しくオープンしたばかりのvadehavscentret は、朝もやの中ひっそりと建っていた。

http://www.vadehavscentret.dk/

この一帯はほとんどなだらかな平地にあるとともに、遠浅の海が近くにあるので、自然環境を身近に触れることができる施設だ。世界遺産にも認定されているようだ。facebookですでに全体を見ていたものの、こうして間近に見てみると日本の家屋に近しいものを感じる。藁ぶきに覆われながらもその姿は海に向かってジャンプするクジラのような雄大な形と傾きをしている。この建物はDenmark出身の建築家が設計したようで、私たちになじみのある藁ぶきもこちらでも屋根材として利用しているのは興味深かった。(最近フィン・ユールに関する本を読んだら、彼が日本の建材がデンマークと共通しているものがあって興味を持って調べていたという記述があり、日本の北欧家具を好む理由もこのなじみやすさからきているのかもしれない)
奥に回ると屋外の待合所や離れの事務所がある。

f:id:schol_e:20170216160642j:plain

f:id:schol_e:20170216161233j:plain

f:id:schol_e:20170216161103j:plain

今日は潮干狩りならぬ、牡蠣狩りに来た。最初は地元の大学の地学の先生から牡蠣の生態について話があり、服装の準備をしてから車で現場に向かう。私は先導する先生の車に同乗させてもらった。質疑応答しながら現場に向かう。デンマークの牡蠣は日本に由来するものらしい。どおりで形が似ている。
 
ぬかるみに足を取られたり、目的地は先導する方しか知らない中でに向かった先は広大な牡蠣の養殖場だった。一日のほとんどを海の中にあるこの養殖場の潮が引く数時間を利用して、牡蠣狩りが定期的に行われている。とはいえどこからどこまでが養殖場なのか。目に見えている範囲すべてなのかもしれない。牡蠣は海藻の周りにへばりつくように育つ。最初は見分けがつかなかったが、そのうちだんだんとコツをつかんでとれるようになってくる。もちろん牡蠣はにげないので取り放題といえばそうなるのだが、食べられる以上のものを取ってはいけない。

f:id:schol_e:20170216185802j:plain

f:id:schol_e:20170216190204j:plain

f:id:schol_e:20170216191221j:plain

f:id:schol_e:20170216191903j:plain

※牡蠣の養殖場、一面海藻に覆われている(実際今回のイベントで行った場所はもう少し海藻が少ない処だった。この場所は本格的に売買されるための牡蠣が眠っている)
 
Esbjerg
ノルウェーに向かう前に経由する駅Esbjergに少しとどまった。ここは港街だが、駅は少し内陸にあるので、海岸線は見えない。駅の反対側には巨大なショッピングモールが建設中で、市内の中心部を歩くとシャッター通りに出くわす。国が違えど、日本と似たような街並みがあることに気づかされる。けれども、局所的ににぎわっている場所があって、例えばフィットネスクラブだったり、ビュッフェスタイルの食べ放題の店だったりは盛況だった。
 
駅前からバスに乗り、空港に向かう。ヘルシンキに入ったときにはEU外なので入国審査までの順番に時間を取られたが、これから行くノルウェーは同地域内なので保安検査のみで終わる。
フライトも1時間なので、日本だと東京から九州や北海道に行くくらいの距離に別の国がある。日本にいるとなかなか感じられないので新鮮である。
 
日が変わる手前にOslo空港近くの宿にチェックインするが、北に移動してきたためかより寒くなってきたと感じる。
 
次回に続く

デンマークにて

コペンハーゲンに向かうトランジットで保安検査の準備をしていたら手前でうっかり空きが出てしまった。いそいそとしていたら「Take your time」と声をかけられる。
海外旅行が久しぶりすぎて3年ほど空いてしまったが、時間に通りに滞りなく進むことが当たり前の東京モードになっていた私を優しく溶かしてくれる言葉がこの言葉だった。
 
ヘルシンキ(Transit)→コペンハーゲン→リーベ→オスロストックホルム(Transit)→ヘルシンキヘルシンキを起点に北欧を2週間弱で一周する予定を立てた。途中から息切れしてきてもう少しゆっくりしてもよいのではないかと少し後悔した部分もあったけれども、それでも、近くの国の違った町と人を見ることができて充実した時間だった。
 
***
 
コペンハーゲン中央駅は卒業旅行で訪れたアントワープを思い出す。アントワープといえば、世界で最もダイヤモンドの流通が多いらしいけれども、駅前の中央駅はがらんとしたロータリーで、これがアントワープなのか?と目を疑った。コペンハーゲンも駅前はロータリーで(それでも駅ナカにはいくつかの飲食店は入っているが)、縦に大通りが貫いている。日本の駅前の徒歩圏内に集中して繁栄している姿に慣れてしまったが、金沢に近い街並みであることにも気づいた。路面店など繁華街は駅から少し離れたところにある。
 
旅行に出かけるとその場所の地理を頭に叩き込むために徒歩で回ることが多いのだが、外はそれほど寒くない。少し前に仕事で北欧に行っていた方の話では、それほど寒くはない、とのことだった。現地について、日本から何か持ってくるものを忘れていたけど気づかなかったもの、帽子の存在を忘れていた。ただ、それがなくてもまだデンマークは過ごせたのだった。
 
コペンハーゲンでいくつかやるべきことをピックアップしていたのだが、最も重要だったのがアンティークの本棚を買うことだった。けれども配送料は現物の倍以上の料金がかかるという。It's too expensive、あきらめるしかなかった。.
 
まるで失恋したかのような気分で、外に出る。このままだとふてくされて暴食して終わってしまうので、少し都心から離れた旅に出ることにした。
地下鉄を乗り継いて、国鉄でKlampemborgへ。途中これまで一度も出会わなかった詐欺やジプシーに出会い、パリまでとはいわないが、いくら治安が悪くないからといって、ぼんやりしていてはだめだな、と身を引き締める。たぶんはた目にも弱って見えたのだろう。
 
無人駅を降りると、山の美術館に行く道と海へ行く道がある。バスはまだ来ない。海へ行くことにした。
 
海を見ると走り出してしまうのはなぜだろう、とおもいながらも、視界が開けた緩やかな坂道の先に広がるそれを見つけた瞬間、もう走り出していた。とはいえ、雪が残っているので、正確には小走りなのだけれども。

f:id:schol_e:20170214212726j:plain

 
Bellevue strandと名付けられてるその砂浜は、Bellevue(フランス語でいう美しい景色)そのままにとても良い景色だった。海岸線の向こうはスウェーデンの南側、ぼんやりと桜色を帯びていて、いつの間にか天空に来てしまったのかと錯覚するほどだった。冬の海を訪れる人は少なく、海岸線を犬を連れて歩いたり、ぼんやり歩いている人がいた。アルネ・ヤコブセンがデザインした灯台はシャキッとした姿で海のそばに立っていた。

f:id:schol_e:20170214212752j:plain

水の透明度は海であることを忘れるほど高く、時折灯台の下で裸で行水している姿をみかけたけれども、私の目には禊に近い光景に映った。太陽はまだ高い位置から私たちを照らしていて、砂浜をあちらこちら歩いているうちに少しずつ先ほどの感傷的な気分が薄れてきて元気が出てきた。まだ時間があるので、美術館へ向かう。
 
林の奥に見つけた美術館はブラックダイヤモンドの蛇のような姿を目の当たりにしたとき、なんでこんな姿にしたのかわからなかった。けれども、外周をまわって、てっぺんに映りこんだ木の陰だったり、ギラギラしたガラスに映りこんだ林の姿を眺めているうちに、不思議とこの建物がここにあってもいいのだな、としっくりきた。
 
 

f:id:schol_e:20170214221647j:plain

※先端はカフェになっている
 
平日にもかかわらず、美術館は盛況で、とはいえ大勢は年配の方だったけれども、熱気につつまれていた。Zahaが作った空間は企画展の部分で、常設のコレクションは昔の建物にある。企画展のギャラリーは二つに分かれており、最初の部分は長蛇の列ができていた。立ち止まって長い時間みることがなかなか難しかったけれども、ここまでの混雑さも彼女は予想できなかっただろう。
ギャラリー2は1に比べると空間が入り組んでいたが、その分、緩やかに構成を区分になっていたり、歩いていると、次へ次へと先に進みたくなるような洞窟のような作り(実際は一筆書きなのだが)になっていた。別の館の常設展にあったハンマースホイやピーターハンセンの絵に痺れた。カフェは混雑していて常に満員だったので入るのをあきらめた。日本に彼女の作った空間がは幻に終わり、政治の具にされてあっけない幕切れになったのは本当に残念としか言えなかった。

f:id:schol_e:20170214221445j:plain

 

f:id:schol_e:20170214153722j:plain

 

Ordrupgaardの近くにはデンマーク生まれのデザイナー、フィン・ユールの自邸がある。通常だと平日と休日のみ開館しているのだが、幸いなことに訪れた日に空いていたので、見る機会を得た。平屋でL字型の空間には天井が高いためかゆったりとした作りになっている。家具や建物は彼自身が造ったものばかりだが、ところどころ美術作品もあり、住人がいなくても居心地の良い空間になっている。どの部屋にも窓があり、部屋の中にいても常に外界の存在を確認できる。長い冬で外にあまり出られない時期にもこのような作りになっていると、外を眺める楽しみができるのだろう。

f:id:schol_e:20170301192737j:plain

※木の枝が窓を横切っているのがなんともにくい

f:id:schol_e:20170214154643j:plain

※誰もいないのにおしゃべりしているように見える椅子

  
次回へ続く

金沢の喫茶店で魔女に会う

金沢にはもう2度ほど訪れている。きっかけは北陸新幹線の開業だった。けれども、その後、新幹線の盛況により航空機の乗客率が下がっており、割安になっているというニュースを目にして、夏休みに金沢を訪れてからその魅力にとりつかれて、2014年の夏休みに金沢を訪れた。
 
2015年には年末に金沢を訪れたあとに、加賀温泉駅へ行き、山代温泉の古湯の静かで熱い湯の虜になって、2016年にも同時コースを行く予定だった。
 
そんな時に午前四時さんのつぶやきでローレンスという喫茶店を知った。

 

ローレンスという店の名は作家のD.H.ロレンスから取ってるそうだ。どうやら店主の女性がおしゃべりで、その風貌から魔女と呼ばれているらしい。喫茶店も片町という金沢の繁華街(路面店などがある)の近くだという。事前情報が多すぎると楽しみがなくなるので、あまり散策するのはやめにした。
 
どうやら開店は二時くらいだが、私が行った時はまだ空いていなかった。そこで、また周囲を散策した夕方に訪れると、今度は満席で入れなかった。雪は降っていなかったものの、12月の金沢の外は寒いので近くのおでん屋で暖をとった後に、閉店の三十分前にもう一度訪れると、店主が覚えていてくれて中に入ることができた。

f:id:schol_e:20161229191712j:plain

 
 
すでに客は私以外に2組おり、雑談に興じていた。喫茶室は仕切りがあるものの、それは隔離されたものではないので、話し声はすべて筒抜けで聞こえてくる。
 
その時の話題は好きな食べ物で、店主はクワイや百合根が好みのようだ。(すでに色々なところで語られているように、こちらから聞かなくてもいくらでも話してくれる)
また、もともと生まれは金沢ではなかったが、大学は金沢美大を卒業しているようで、私は以前読んだ東村アキコの自伝的作品「かくかく、しかじか」を思い出した。東村さんは店主の後輩にあたり、大学時代は課題よりも遊ぶことに夢中ではちゃめちゃな生活をしていたシーンがあった。おしゃべりな魔女は大学時代からこんな感じだったのだろうか。
 
私の机にはメニューが置かれていたが、「コーヒーでいいかしら?」と声がする。
選択の余地はなかった。

f:id:schol_e:20161229192746j:plain

断る理由もなかった。
 
隣の客との話題は好きな画家の話になり、Juan Sánchez CotánやGiuseppe Arcimboldo(果実で人物画)、クラナッハ藤田嗣治の名前が出たが、私がかろうじて知っているのは藤田くらいだった。
 
やがて閉店が近づき、私の隣にいた客が別れを告げ、がらんとした喫茶店に店主と私が残された。
ようやくそこでマッチ箱の質問をした。
 
店主は快く答えてくれた。

 

マッチ箱の作者について尋ねると、店主は少しの間記憶を巡り、作者は男性で、店主の大学時代の先輩で最初から最後まで一貫して優秀な成績を修め、博報堂に内定していた。けれども直前になって家業の大黒柱が亡くなり、米屋を継ぐことになったという。

この作品はおそらくその人の最初で最後の商業作品だったようで、店主ももう片手で数えるくらいしか持っていないという。四時さんはこのマッチ箱は掃除している時に見つかったもののようだけども、忘れられていたようだ。
(お店を出た後思わずTwitterにこの話を書いてしまおうかと思ったものの、個人的な思い出のいいとこ取りをしてしまうのも悪いいので、四時さんが直接聞くまで封印することにした)
 
その後、話題は藤田嗣治に移り、府中市美術館と川村美術館でみた彼の作風の変化について話をした。店主はちょうど藤田の研究をしている林洋子さんの本を持っているのを見せてくれた。(この後実家に戻ると母親がおない本を持っており、驚く)
 
次に、店内の空間に話題は移る。せっかくの機会なのでがらんとした店内を許可を得て撮影させてもらった。元々は居住空間だったものを今の店主が引き継いでドライフラワーがあふれる店内になったという。
 
ある部屋に大根が一本置かれていたことに驚き、誰かの忘れ物なのかを尋ねたが、これも店主の意向で朽ちていく様子を観察するために置いてある。
 

f:id:schol_e:20161229195004j:plain

※ネタではない。
 
店主は今年で66歳と私の倍ちかくの時間を生きているが、目はキラキラしていて、老いを感じさせなかった。それはおそらく彼女自身が好奇心を持ち続けながらこの喫茶店を守っているからなのだろう。新聞も読んでいるようだった。

f:id:schol_e:20161229195305j:plain

随分と長居をしてしまったことを詫びて、帰ろうとしたところ下の階段まで送ってくれた。門を閉める少し手前で思わず握手を求めたのは自然な成り行きだった。
 
一度訪れた場所ですぐに好きになる空間はそれほど多くはないが、この喫茶店は多くの人に愛されているようだ。毎日訪れることはできないが、また金沢にきた時にはここにくるだろう。
 
昨年で50周年だったようだ。
 

Do not go gentle into that good night

年があけてしまったが、2016年を振り返って、思うころを考えてみたい。
 
●想定外(?)の状況
英国がEUから離脱したり、アメリカの大統領にトランプ氏が選ばれた。また、東京都知事が変わり、オリンピックや豊洲市場などの都内の大きなイベントが混沌とした。これらはどれも予想していなかった。結果が明らかになった今では何を理由にしても間違いはないように思えてしまう。けれども、この状況はいかに自分が見えている世界が、j実はほんの一部分であることを意味する。幸いにして、英国は次期首相がすんなりと決まったり、アメリカの行方は未知数な部分も多いが、その分これまでよりも一層メディアによる監視が高まるため、大きな間違いは起きにくいだろうと期待したい。
けれども都知事については自分が選んだ候補者が当選したものの、ここまで自分本位な仕事ぶりに徹底するとは思わなかったし、一都民としてこれまでの職務には失望している。
数年前から当たり前のように使われる言葉として政治家が使うのが「民意」と「ファースト」であるが、これらの言葉は自分自身の仕事ぶりを肯定するための文句として用いられているので、自分の国の文化をクールと言ってしまうくらいうぬぼれた言葉だと思っている。今思い返せば、任期中に重要な仕事になるのはすでに〆切が決まっているオリンピックや行先が決まっている豊洲市場など、バトンを次につなぐタイプの候補者であったかもしれない。昨年読んだ回顧録(ガイトナー、ポールソン、そして緒方貞子)には自らの部下に不信感を持ちながら、危機に対応したものはいなかったし、世論やメディアからの追求(道徳に反する救済)があったとしても、実務者を信頼したうえで任務を全うする上司の存在は大きかったが、こうも違うものなのだろうか。
 
●専門家の死
2015年に引き続き、正当なプロセスを経て決まってきたものが政治の具にされ、覆水が盆に返ってしまった状況になった。
強健な体制に反発する姿は聞こえが良いし、例えば一昨年の安保論争が具体的な内容が追及されぬまま、盛り上がった。その純粋な訴えは見るものをひきつける。だが、一方で、体制が変わったとしても、誰かが火中の栗を拾わなければならない。仮にゼロに戻したのであればまた新たに積み上げなければならない。その際に、これまで積み上げたプロセスに費やした人や金をこのままゴミ箱に突っ込んでもよいのか、という想像力と、新たに栗を拾い上げることになる無名な実務者の仕事ぶりに敬意と信頼を置かなければ、遅かれ早かれ誰もが責任を恐れて逃げ出すだろう。粗さがしはするが、手を動かす人はいなくなった結果、存続できなくなる企業も出てくるかもしれない。
 
長時間労働と生産性
某広告代理店への強制捜査書類送検は見せしめのように行われているが、長時間労働がどのような理由で行われるようになったのかに踏み込まなければ、誰かが長時間の労働をしなければならないだろう。効率性の問題であれば、それを上げられるように、新しい技術を導入しなければならないだろうし、煩雑な事務仕事で本来の仕事の進捗に影響を与えているならば、全体を把握したうえで過不足ない手続きに変える必要があるだろう。国が営利企業の在り方にできる口出しは限られているだろうし、新しく作った規制で新たに必要な手続きが増えた結果、企業の生産性を下げることになっては本末転倒である。
そのため、各企業が横並びで対策をとるよりも、その会社の風土に合ったやり方で生産性を上げる努力が必要になってくるだろう。
 
●キュレーションと弱い紐帯
人々のニーズが多様化した結果、Amazonのような無数の商品を扱う企業が台頭し、品ぞろえの少ない街の本屋は姿を消しつつある。一方で、人々は情報に飢えており、昨日までは全くの無名だったものが、途端に表舞台に立ってもてはやされるようになることもある。一過性がありつつも持続性はあまりない。とはいえ、毎度毎度ヒットの打てるものを提供できる人は限られているため、21世紀はキュレーションの時代になる、とずいぶん前に某雑誌の副編集長の方から話を伺った。検索結果の表示順を利用した名ばかりキュレーションサイトの炎上はこのことを思い出したが、おそらく彼が言いたかったのはこういうことではないだろう。
口コミサイトは今や当たり前だが、その人の好みを全く知らないまま盲目的に信頼することを安易にできるかというとそうでもない。だからこそ点数の高さが重要になってくるのだろうが、その点数も某口コミサイトのように操作されていることもあって、参考程度にとどめたい。となると、買い物をすべて一つの店で買うのではなく、肉ならこの肉屋、野菜ならこの八百屋など、特定の分野でヒットを打てる人を知っておく必要があるのだろう、と思う。一方で、自分の足を使って探しだす行為も必要で、自分のアンテナに反応した店に出くわしたら検索しなくても飛び込む勇気も必要かもしれない。そこに飛び込んでみるとまた知らなかったことを知れるようになるし、新たな出会いが生まれる。
 
***
 
 
便利になればなるほど、自分の目で確かめることが大切なのだなと改めて感じた1年だった。安易なものに身をゆだねるな。Do not go gentle into that good night.

2016年に読んだ本のこと

2016年も色々な本を読んできた。特に印象に残ったものを紹介する。
 
昨年はこちら。
 
1.ガイトナー回顧録
昨年はイラク戦争がなぜ検証されずに、間違った方向に進んだのかについていくつかの本を読んだが、今年は金融危機についての回顧録(ポールソンおよびガイトナーバーナンキは未読)を読んだ。金融危機については既に市民側についての本は「誰がアメリカンドリームを奪ったのか?」や映画マネー・ショートで解説されているものの、中枢の政策側が何を考えて動いていたのかはほとんど知らなかった。何故一部の金融機関は救いながらも、リーマンブラザーズは救わなかったのか。中でもガイトナー回顧録は著者自身が考えるアメリカとEUの危機に対する考えの違いを解説していて興味深い。ガイトナーはEU側は旧約聖書的考え(約束を守らないものは罰を与える)が主だが(別の考察ではEUといっても南欧は比較的緩やかに考えているようだが)故に、投資家を安心させることが出来ないために、動きがいつまでも安定しないのだという。恐らく大部分の人が賛成するだろう道徳にのっとった行為、というのが市場にとっては逆効果というのは感情的に相いれないものの、信用という目に見えないものを扱うには別の方法をとることになる。(くしくも、ギリシャに対する緊縮政策に対する強硬的なEUの姿勢が上手くいかないことによって証明されてしまった)イラク戦争についてはイギリスの当時のブレア政権のアメリカへの協力姿勢の動きを追った「倫理的な戦争」で批判されていた、ー側近だけの意見に限られたことが問題の一つとして提起されていた。
けれども金融危機においては、財務長官をはじめとするチームが大統領からの信頼のもとに一丸となって進められたことが震源地ではありつつも、早く回復したことの要因(とはいえ、詳細は議会や党内でもめ、途中で政権交代もあったものの)の一つ(アメリカの力強さ)といえる。

 

ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相

ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相

 

 

2.石油の帝国
世界最大のエネルギー企業エクソン・モービルがどのような企業なのかを2人のCEO(レイモンドおよびティラソン(トランプ政権下国務長官予定)体制での出来事を紹介している。エネルギー企業は日本における東京電力の事故の大きさでもわかるように、あまりにも生活の身近にあるために普段は気付かないが、事故が起きた時のやり玉にあがったり(本書では原油流出事故を取り上げている)、温暖化の主原因として非難を浴びたり、発展途上国では不安定の政府よりも堅固なセキュリティを有するなど目立つがゆえに、様々な方面に対応する能力が求められる。特にそのトップとなれば対国との交渉も必要となる。その範囲は国境を越えて帝国といっても間違いはないだろう。2人のCEOの違いも面白く、レイモンドは典型的な専制君主だったが、ティラソンは自身がボーイスカウト出身だからか、周りのやる気をどのように高めるかに主軸をおいているようにみえる。温暖化対策についても、徹底的に対抗していたレイモンドに対し、ティラソンは世論を注視しながら柔軟な対応をしている。次期トランプ政権の国務長官として名前が挙がっており(とはいえ議会の承認がないと正式には認められないが)実務経験はないとされているが、選ばれた暁にはその石油の帝国でみせた手腕をいかんなく発揮することは想像に難くない。

 

石油の帝国---エクソンモービルとアメリカのスーパーパワー

石油の帝国---エクソンモービルとアメリカのスーパーパワー

 

 

3.ポーランドのボクサー
硬い本が続いたので、後は小説を紹介する。とはいえ、この本の背景は今の世相を表している。作者の祖父はアウシュビッツで生き残った。彼自身は戦争を経験してはいないが、祖父の言葉を通じて彼のオリジンが経験してきたことを疑似体験しており、また現在にも残る民族間の迫害について何を感じたかを書いている。また、ジプシーというnamelessな存在への憧れもみられる。日本にいると、特定の民族に属しているだけで迫害を受けたり、既に生まれた国がない人ものの、昔あった国への思いは強く持っているなど、身近に考える機会がないゆえにただただ目の前の悲劇に翻弄されることが多いが、すでに半世紀以上経過した戦争が遺したものは引きずられて今に至ることがよくわかる。決して終わってなどはいないのである。
また、作者はジャズマニアらしくいくつかの小作品の順番を並び替えても読むことが出来るように作っており、日本版は原文とは違う構成になっていてそれも興味深い。(文の流れも音楽のように感じるところもある)

 

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

 

 

4.春にして君を離れ
ミステリーの女王、アガサ・クリスティーが別名義で出した本で、新聞でこの本を知るのだが、今年は結果的にこの本の内容に近いものを、テーマは違うが何冊か読むことになった。例えば絲山秋子「薄情」では内なる自分との対話は行っており、自身が外の人間に対して薄情な態度をとることに自覚的である(けれどもそれを変えられない)し、木内昇「光炎の人」では好奇心旺盛の技術者が自分の得意な技術を実用化したいあまりに、時代に飲み込まれてしまう話だ。このアガサ・クリスティの本も、献身的な妻として長年家族をサポートしてきた主人公が実は他の家族や友人からは正反対に受け止められている。自身との対話の中で自分が正しいと思うあまりに周りの意見に耳を傾けないで生きてきたことは本人にとっては問題ないのかもしれないが、西川美和永い言い訳」で書かれているように人生は他者であり、社会的な存在として生きるためには他者の存在が不可欠だということを痛烈に感じさせるものだった。誰も死なないが、形を変えたミステリー小説といっていいと思う。

 

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

5.ペップ・グアルディオラ 君にすべてを語ろう
現在はイングランドプレミアリーグマンチェスターシティの監督を務めているが、この本はバルセロナからバイエルン・ミュンヘンに移った時の1年間に監督に密着して書かれた本である。新たなチームに移った時に求められることはいうまでもなく勝利することだが、選手はもちろんチームによって異なるし、対戦相手も異なる。前日本代表のザッケローニ氏に通訳として連帯した矢野大輔「監督日記」では、監督の意向と選手の考えとの対話が最後まで浸透しなかった印象が残ったが、この本の中ではグアルディオラが選手のほとんどから信頼を受けている様子が見られる。おそらくそれは彼の勝利への執念への行動が選手を動かしたのだろうし、また、リーグ内で優勝が決まった後に、あっけなく連敗してしまうし、彼自身も気の緩みがあったという、組織的なスポーツが持つ繊細さと一人のスターで勝ち続けることの困難さについて教えられる一冊だった。

 

ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう

ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう

 

 

 

みえぬものこそ

アメリカの大統領選が終わり、少しづつ日常に戻りつつある。正直なところ、接戦まではいくと予想していたものの、それでも6:4くらいで勝つと思われていた候補者が敗北する、(総数では勝っていたようだが)という光景に呆然と立ち尽くす以外なかった。
 
そもそも選挙権がないのにやきもきしてもどうしようもない。それでも相手の動きを気にする気質としては気にならないわけがなかった。刻々と流れるタイムラインには落胆をしながらも受け入れつつある人と、怒りを爆発させている人が入り混じっていて興味深かった。私はどちらかというと前者だったが、それでもタワーで会談したり、100日プランを聞いているときに胸騒ぎが静まらないことに気づき、理性的には受け入れつつも、ざわざわとした落ち着かない感情が腹の底にあったのだと知る。
 
自分の目に見えているものが全てではない、ことは街灯の中で探す鍵に例えられる。探し物は街灯の明かりが見える範囲でなく、明かりが見えていないところにあるのかもしれない。それはバイアスという言葉にも言い換えられる。
過去には人種の坩堝といわれ、もはやアメリカ人=白人ではないことは、今の大統領が2期選ばれたことからも明らかではあるが、一方で映画のキャストでwhitewashingが問題になったり、PC上の問題でこれまで当たり前のように言えていたMerry Christmasといえない窮屈さも発生していた。
 
有力候補者の劣勢が伝えられると隣国の移民情報がまことしやかに伝えられ、他の国に移ることを考えるつぶやきが流れてきたのを見ながら、動かない人のことを考えた。自由に動き回れることは誰にでもできるわけではなく、場所に属さない能力や潜在力を持った人が多いだろう。それに比べると動かない人は保守的な要素を兼ね備えているはずだ。
 
断絶や分断という言葉がまことしやかに伝えられているが、現実はどうだっただろうか。明るいところだけを見ていなかっただろうか。もし、断絶や分断という言葉を使うのであれば、それはその人自身が日が当たらない存在を断絶もしくは分断していたのかもしれない。
 
今回の結果はまだ多くのものが見通せないが、良い面としては、日が当たらない存在の代表者が選ばれた結果、その一挙手一投足にメディアを通じて注目が集まり、吟味されることだ。勝者側も、完全な勝利ではなく、薄氷のものだった故に、意見は無視できない。(上下院のねじれは解消しているが)
 彼の政策について色んな人があれこれ言っているが、気を付けなければならないのは、批判する立場の人が感情的に彼自身を嫌っているか、それとも、内容に対して批判が向けられているか、である。日本の専門学者の中でもこれは起こっているので意見を参考にするときには十分注意する必要がある。専門家であるならば、個人の感情をそのまま現状に向けてはならない。冷静な判断が出来なくなるからだ。(感情的な推測は原文の誤読につながる。一番いいのは言うまでもないが原文を読むこと)
 
 
だらだらと思うことを書いてみたが、最初にかいたように、自身ではどうすることもできない。けれど、川の上に浮かぶ木の葉のように翻弄されたくもない、となると、自分にできることはいざというときに動ける筋力をつけることだった。
 
今回の記事を書くきっかけになったもの

引き出しにしまうもの

少し前に読んだ金原ひとみの「持たざる者」の中にこんなセリフがでてきた。
人生の中で何か、強烈な感動を一度でも体験した人って、その時の記憶だけで生きていけるんじゃないかって気がするの。
例えばグランドキャニオンとか、マチュピチュとかに行ってすごい景色を見たりとか、そういう瞬間的な感動。そういう一瞬の記憶がそのあとの人生の糧になることってあると思うの。」
 
マチュピチュやグランドキャニオンへ入ったことがないけれども、旅行に訪れた先で瞬間的に覚えた感動はいくつもある。私の場合それは特に旅行に限らず、絵に描かれたものについても同様だった。
最近見たものだと鈴木其一の「風神雷神図襖」に描かれた墨は紙の上に描かれているのに、あたかも水に垂らした墨汁をそのまま閉じ込めたように見えたし、速水御舟の「翠苔緑芝」の紫陽花の花弁はいつまでも揺れ動いているようにみえる。これらの絵を見た時に感じた強い印象は多分強烈な体験、と感じるものはあくまで個人によってかわってくるのだろうし、時によっても変わってくる。ある本を時間をおいて再び読んだ時に、以前読んだ部分と異なる場所が印象に残ったときのように。
 
***
 
食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのだ、と頭で考えている私にとって、Foodie(食べるのが好きな人)のことは自分とはまた別の次元に生きているようにおもっていた。とはいえ、最近は何かを食べるときの選択肢を考える手間を省くために調理をしなくてもすぐに手に入るものを選択していた。何かを食べればおなかは膨らむけれども、いつもと違うものを食べたいという欲求が沸き上がっていた。おなかが膨れるものを食べても、おいしいものを食べたい。食欲の満足度が食べられる量から違う尺度に変わりつつあるようだ。
 
最近ある食の化身のアカウントをフォローしたところ、見事なくらいに四六時中食べ物についての話題を話している。当然ながら現実には食べるだけで生きているわけではないのだろうけれども、こういうときにこの食材をこうして食べたい、と感情あらわにつぶやいているのを見かけて見ているこちらも自然と「本当にこの人は食べるのが好きなのだな」と感じる。
 
私の場合は、目で楽しむ何かだったけれども、その人にとっては味と香りなのだろう。違いはあろうが、そこに優劣はない。
 
昔使っていた引き出しには手あたり次第持っておきたいものを突っ込んでは机の中がぐちゃくちゃになって後で整理する羽目になっていた。
嗜好の引き出しは見えない分たくさんのものが入れられる。雑多なものがあればあるほどその引き出しは豊かになる。