まいにち。まいにち。

「誰からも頼まれもしない」ことを勝手にしよう(森博嗣)

「破壊しに、と彼女たちはいう」トーク 長谷川祐子×エリイ(Chim↑Pom)×スプツニ子!

キュレーターの長谷川祐子さんが最近出版した女性アーティストへの批評をまとめたトークショーに参加してきた。
 

破壊しに、と彼女たちは言う―柔らかに境界を横断する女性アーティストたち

ゲストはChim↑Pomのエリイさんとスプツニ子!さんだった。
 
トークショーなので、3人の対談形式で始まるのかと思いきや、長谷川さんが本を解説するという流れで進んだので、ある種講義のような緊迫感があったものの、途中からゲストの二人が茶々を入れることによって内容の雰囲気も変わってきた。
 
以下印象に残っているものを以下
 
●長谷川さん
 
・アーティストの性差による傾向
男性は時代精神を持ち、今の時代にどう反応しようかを考える傾向にあるため歴史という文脈で語られやすい。一方で女性は、時代精神よりも自己の内なる反応に正直である傾向があり、結果、時代を超越する存在になる傾向がある。
 
・リアリティという言葉の使われ方について(草間彌生
リアリティという言葉が誰にとっても共通するもののようにいわれているが、草間彌生にとってのリアリティはドットに覆われていることだった。自分にとってのリアリティが他人と同じであるとは限らない。
 
再春館製薬女子寮、21世紀美術館スイス連邦工科大学ローザンヌ校のプロジェクト(妹島和代)
妹島さんは嫌なものは嫌とはっきりいうタイプ。女子寮では朝起きたときにみんながひとつのエリアにしかないトイレに行く光景が嫌だったので分散させた。
21世紀美術館は開館前は様々な批判や懸念があった。「(このような先進的な美術館が金沢に生まれたのは)金沢は新しいものを受け入れる土壌があるのか」、という問いかけには、大部分が保守的であるが、当時の市長が危機感を感じており、このようなプランになることを受け止めてくれた。(買い物帰りのお母さんでも気軽に立ち寄れる美術館を、との依頼だった)
ローザンヌのプロジェクトでも、同じく同業者から批判が渦巻いたが、いざオープンしてみると、学校の関係者だけではなく、外部からも人が大勢訪れており、受け入れられている。建築としての正しさよりも建物として機能しているかに重きを置いている。
 
 
●エリイさん
ギリシャの展示から帰ってきた。ギリシャは政情不安なのは知っていた。今回一か月ほど現地に滞在したが、普通に生活する分には少し貧しい国だなとは感じたものの、政情不安さはわからなかった。けれども今回の展示場所が一日にしてもぬけの殻になったホテルで、時が止まったかのような感覚に陥った(カレンダーの日付はもちろんそのまま、朝食も用意されていたまま)。その場所に赴いて作品にかかわる過程でその国の両面について知ることができたのは貴重だった。
 
長谷川さんによるChim pomの解説で、「アイムボカン(セレブの慈悲事業で地雷撤去の補助を行うことにあこがれを抱き、自身のブランド品などをカンボジアの地雷で爆発させる。それらをオークションで売り、収益を現地に寄付する)」をセレブリティの「オマージュ」と書かれていたが、これはオマージュではないとして訂正を要求。
 
自身が最も好きなアーティスト、ルイズ・ブルジョワが本の中で言及されていないが、本に入れる入れないの取捨選択はどのように行ったのか。
→長谷川「この本は何作か続けようとしているが、まずはこれまで自分が書いてきた批評をもとにしている。次回に取り上げたい作家はあとがきで取り上げている(がルイズ・ブルジョワはなかった)」
 
「アーティストとして女性を意識することはあるか」、という問いには「私が何かその問いに答えられるとしたらChim↑Pomというユニットの存在がそうなのではないか。」
 
 
●スプツニ子!さん
 
ロンドンで活動していたときは当初音楽を作っていた。「生理マシーン、タカシの場合」は、長谷川さんのアシスタントがスプツニ子!さんの存在に気づき、長谷川さんやPaola Antonelli(Momaのシニアキュレーター)等からアプローチを受けたので思い出深い。けれどアプローチを受けた時はまだ作品は完成していなかった。
生理マシーンの動画が話題になってNASAから女性が宇宙に興味を持ってくれるようなアイデアを提供してほしいと依頼があり、ムーンウォークという作品を作った。火星探査機Curiosityの車輪にはJPL(Jet Propulsion Laboratory)という文字が埋め込まれているため、Curiosityの後にはJPLが火星の土に残るが、それを女性の象徴であるハイヒールにしようと試みをしようと企む話
 
 
 
MITは男性が多いが、自身が所属するメディアラボは女性が多い。MITの昇進システム(論文投稿で評価)は自身の成果とは異なるため、あまり長くここにはいられないかもしれないが、魔女集団としてやれることはやっていこうと思う。
 
ブルゾンちえみの「キャリア・ウーマン」について長谷川さんに批評してほしい(この場で見てもらう)。この動画を日本人の女性が見ると笑ってしまうが、いざ自分がこの動画のブルゾンちえみと同じことをやるととても気持ちが良いことに気付く。しかし、それを言い出せないために笑いでごまかしてしまう。
 

1時間30分という限られた時間でこの3人の話を聞くには短すぎるだろうな、と最初は思っていたがまさにそうだった。
トークの最初に何らかの衝突が予想されたものの、実際はそのようなことはなく、けれども長谷川さんの冴えわたる分析をかき乱すようにゲストの二人が今感じていることを投げかけてくれたので願わくばもう少し長く見ていたかった。会場にはChim↑Pomの他のメンバーや、長谷川愛さんも参加していたようなので、別の会場で延長戦を聞きたかった。
ゲストの二人の存在を長谷川さんは広く知られる前から長く見ていて、頼もしさを感じているようだった。ゲストの二人は活躍の場はインターネット空間とその場と対極的な部分はあるものの、アーティストとして活動するためには他者を巻き込んでいく力強さが求められ、目に見える形で成果を出す以上その部分は共通している。
長谷川さんのいう時代精神性という枠で考えれば、スプツニ子!さんは時代性もさることながら女性であることを意識した作品が目につく。一方のChim↑Pomは女性らしさよりも時代精神性を押し出しているようにも見えるが、アイムボカンはエリイさんの個人的な願望がスタートにあり、区別してとらえることはできないように思う。
 
日本ではアートそのものより、アーティストの雰囲気に重きが置かれている(特に女性の場合)が、私の見ている範囲内では、外見のイメージにこだわり作品に重きを置いているアーティストは時間がたてばいずれ淘汰されていくものであり、さらに海外に出ると、自身の作品の必然性や社会との接続を語らざるをえないのだろう(パッと見だけでは勝負できない)。あっという間の二時間弱のイベントだった。
 
 

街を歩くと、物語が立ち上がる(多和田葉子 新作刊行イベント)

神楽坂で多和田葉子さんの新作「百年の散歩」の刊行記念イベントに参加してきた。
 
以下メモの書き起こし。
 
***
 
ドイツではハンブルクとベルリンに住んできた。
ハンブルグは生活感があるが、ベルリンは常に小さいイベントがあり、劇場のような場所のようだ。
 
●新作「百年の散歩」について
 
今回の作品はベルリン市内の通りを歩いてみて店並びや感じたことをその場で書き出したものがもとになっている。
実際の通りを歩いて書くのだから、取材になるのだけど、ドキュメンタリーではないので、その場でインスピレーションがわいたら物語を取り入れるようにして、
閉鎖的にならないように心掛けた。カメラのように目に見えるものをすべて書き出すことはできない。いつの間にか情報を取捨選択しているし、それがアイデンティティになる。
 
通りによっては近くに休めるところがなく、ベルリンの冬は厳しいので、そういう場所に行くのは長時間外にいても気にならない時期にして、冬は家の近所の通りを選んだ。
3か月に1回のペースで書き進めていったが、常にそこにいるわけではなく、かといってこの小説はベルリンにいないと書けないのでこのペースはぎりぎりだった。
 
どうしても入れたかったけど入れられなかった名前として、ベンヤミンがいる。
彼はパリのブティックが立ち並んできた様子を目にして、街をあてもなく彷徨う「散歩者」という文章を書いた。
ゲーテ通りはもともとたくさんあるので入れられなかった。
(新作を読んでいる途中ではあるけれども、作品全体として書こうとして書ききれなかったベンヤミンの気配がする仕上がりになっているような気がする)
 
●戦争の記憶(ベルリンと東京)
・ベルリンの通りにはすべて名前が付けられているが、ナチスに抵抗した人の名前が大通りにつけられていることが多い。
・道路には「躓きの石」と呼ばれる、亡くなったユダヤ人の名前が刻まれている場所がある。日本では踏みつける行為を侮辱ととらえるが、ドイツにはそのような意味はない。
・どれだけの人が亡くなったかを数で示されても漠然としてしまうが、名前を見るとそれだけでそこに確かにいた人を感じることができる。
・東京の街を歩くと、江戸を感じさせる場所はあるが、戦争があったことを感じさせる場所はあまりない。
 
●首都としてのベルリン
多くの首都は経済的に発展している場所と首都の位置が一致しているが、ベルリンはそうではない。かつて市長が「ベルリンは貧しいがセクシーだ」、といったように、東京に比べると物価や住宅費も安価である。ただし、最近は他国から投機目的で住宅を購入しているしている人もおり、全体的に上昇傾向にある。
 
ベルリンはロシアとフランスにとって重要な場所であり、ロシアという男がベルリンという少女をナチスから救った、という大きな像がある。また、フランスはベルリンの街を作った、という気概がある。
 
ドイツは最近移民の受け入れに積極的な姿勢を示したが、地方とは異なり、元々多くの移民がいるために、それほど見かける人の構成に大きな変化があったようには感じない。ただし、同じ場所に何世代も住んでいるという人はおらず、「常に変化の中心にいる」という感じがする。
 
街を歩いていると、躓きの石以外にも、地面に「引用文」が記されている。引用文に沿って歩くと車にひかれかねないのだが、「引用によって私の時間が切断される」
そういうところも「劇場」な街なのかもしれない。

いとしいものにさよならをいう

思えば5年ほど前のクリスマスに当時好きだった人に啖呵を切ったことが始まりだった。言葉に出せば、その通りになるものだ。
その啖呵が自分のこれまでを決定付けたのかもしれない。
 
漠然ながらこの国を出る、ということを決めていたのは、自分が空気というものに敏感に反応しやすいからだったのかもしれない。
ぼんやりとした境界がはっきりとした輪郭になったのは、やはりここ2年ほどの混迷が大きい。見えないものが大きい割合を占める時ほど、決断力が試されているはずなのだけれど。多くの人の意見を聞かねばならない時ほどその決断は重要になる。そして、その決断は上にあるものがしなくてはならない。
 
組織に出来ること、と個人にできることは圧倒的に組織で出来るものの方が大きい。当然ながら、それを変えようと思ったら、組織そのものを変えるよりも、自分に合う水を探すことの方が容易い。当然動かないことは楽ではあるし、水を変えるのは負荷がかかるし、ことあるごとに自分の声を聞く。年をとれば保守的になり、変化への対応力が鈍くなるのは目に見えている。けれどそれすらも自覚的ではないと動けない。
 
チャンスはいつ来るかわからない。けれども来た時に手を伸ばす張力は鍛えておけなければならない。経験値という筋力強化が得られたのはよい機会だった。
思わぬところから降ってきたボールを振り切ってけったらあっけなくゴールが決まってしまった。夢というものが現実になった高揚感が過ぎたあと、単にスタート地点に立ったにすぎないのだった、と気づく。
 
置かれた場所で咲きなさい、とはいうものの、自ら死を選んだあとにはもう動けない。
楽な道に希望はない。
 
もうこの国の企業では働くことはないだろう。
 
少し遠いところからこの国の行く末を静かに見守っている。

ストックホルムとヘルシンキにて

オスロから1時間足らずでストックホルムへ。ここには3時間くらいのトランジットがある。
3時間で市内観光などほとんど難しいだろうな、とあきらめていたが、中央駅と空港を30分弱で結んでいる特急列車Arlanda Expressがある。
 
ストックホルムで訪れたい場所は2か所あって、一つ目が@suzunaさんがおすすめしていたKonditori Valand、もう一つはNaturkompaniet(アウトドア用品店)だった。
Konditoriはスウェーデン語でcafeのこと。
 
 
Valandはドイツから来たオーナー夫妻が始めたものでスウェーデンの環境変化によって、営業時間に変更は出たものの、今は息子さんが主体となって継続している。
 
平日の昼過ぎに降り立った中央駅は静寂に包まれていて、降り立ったレーンがあまりに静かだったので人通り少ないのかな、と一瞬不安になったがなんてことはない、
特急列車と在来線は分かれており、中心部に行くにしたがって人の流れは増えていった。駅でチケットを買うのにカードが使えなくて困ったが、隣の人がそっち壊れてるからこっち使いなよ、と声をかけてくれて助かった。さすがにノルウェーの二の舞はこりごりだ。
 
スウェーデンデンマークと同じく、どちらかというと人種は少ないほうなのかな、と思いきや、周りを見る限りでは多様な人がいる。

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ようやく訪れたValandは静かな空間だったけれども、大方の席は埋まっていた。奥の席から店内を見渡すと、静かにおしゃべりしたり、パソコンで作業したり、子供連れの人がいたりと多くの人に好かれている店なのだな、とすぐにわかったし、私もそのうちの一人になった。壁の色と赤色の照明のコントラストが空間に落ち着きを与えていて、オーナーさんが手がけた家具も違和感なくそこに収まっている。いつまでもここにいられるな、と思いながらも、いられる時間は限られている。(とはいえ、30分ほどぼーっとこのカフェにいた)
 
 
名残惜し見ながらも外に出て、すぐ近くの Naturkompaniet へ行く。
もう少しで旅も終わりだが、寒さに備えて帽子をようやく買い、セールにはなっていたけどあったかそうなソックスを買った。カードで決済すると、店員の方が「レシートはいるかい?」と聞く。日本では当たり前のようにもらえるレシートも、こちらでは受け取らない人が多いのだろうか。「もちろん」と答えると、「お守りだからね」と気の利いた言葉で返される。そういうニュアンスも好きなところだ。
 
帰りも特急列車を使ってあっという間に空港に戻ってきた。次回はちゃんといろんなところを回ってみたい。
 
***
ストックホルムからまた1時間ほど空を飛び、ヘルシンキにやってきた。しかし、ここでlost baggageしてしまう。おそらくトランジットの間でどこかへ行ってしまったのだろう。仕方なく手続きをして宿へ向かう。6時間以内に荷物が戻ってきたら補償は効かないが、もう夜なので朝になっても連絡がなかったら身の回りの最低限の品を買うしかない。降り立ったヘルシンキはこれまでのどの国よりも寒かったけれども、宿に着いた後は倒れるようにして眠った。(荷物は無事次の日の夜に戻ってきた)
 
北欧といえども日の出時間は東京と変わらないか少し遅いくらいだ。白夜のイメージがあったけれどもそれは夏だった。荷物がなくなって、かなり気分は落ち込んでいたけれども、せっかく旅行に来たのに楽しまないと意味はないなと考えを変えた。近くのマックを食べながら、行き先を検討した。その結果、Aaltoの建物を見る一日となった。
 
Studio Aalto
一日に1回だけガイドツアーを開催するこの家は以前Aaltoの事務所があった場所だ。今でもここで働いている方々がいて、ちょうど昼休みの時を利用してガイドツアーが開かれている。
Artekを立ち上げる前に検討していた曲木の組み合わせの検討やレンガの意匠だったり、実現はしなかった都市計画の模型などが展示されていた。事務所としての機能がメインゆえに白でほとんどが統一されていたが、共用スペースは居心地がよさそうな木を前面に押し出していた。個人的には自邸よりも好みだ。
 

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Aalto house(自邸)
ひとつ前の事務所は3人しかいなかったのでここもあまり人は来ないのだろうか、と思っていたがそんなことはなく、10人ほどに増えた。事務所とは異なり、Aaltoが普段生活をしている空間は彼の興味分野が前面に押し出された空間だった。日本のすだれをイメージしたカーテンであったり、大量生産できなかったプロトタイプだったり、ヴェネチアで買ってきたダイニングチェアなど、フィン・ユールの自邸に比べると明らかに統一感はないけれども、それでも自分の好きなものを集めました、というプライベートな空間にあふれていてその人となりを垣間見える気がした。
外に抜けられる隠し扉があったが、ガイドの方も設置した目的なのかはわからないようだった。冷戦の時期でもあったから、優秀な頭脳を持つ彼は拉致の危険を感じていたのだろうか。
 

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Finlandia Hall
会議とホールの両方の目的を兼ね備えた施設。45分の予定なのに、2倍近くの時間をかけて説明してくれた。大ホールや小ホール、カンファレンスルームなど多様な目的に対応した施設で、どこを見ても素晴らしい以外の言葉が見つからなかった。冷戦のさなかで完成したこの建物は、ロシアと欧州の中立国として対応し、そのため、監視できる施設も整っていた(今はその名残が残っている)大ホールでは機材の調整をしており、いつかここで生演奏を聴いてみたいという気持ちになった。空間のスケールは普段見慣れているスケールでないとその感覚を肌で感じるのは慣れが必要だな、とも思った。
 

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Kampii Chapel
オランダのゴッホ美術館を彷彿とさせる楕円形の小さな教会。遠くから見るとスピーカーのようにも見える。天井や壁の緩やかな勾配が訪れるものを優しく包み込む
 

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Temppeliaukion Church
岩で囲まれた教会は気づかなければ見逃してしまいそうだ。上の岩山は公園にもなっている。中に入っても切り立った山脈のような上層席だったり、光を取り入れるためのコンクリートのスリットだったりと、都会にいながらも山(自然)に囲まれた環境が体験できる。
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日本に帰る間際にArtekによってDomus chairを買う。日本人の方がいて、丁寧に対応してもらえた。
 
 
書ききれなかったことはまた別の日記としますが、北欧の治安はおおむね安全で、長距離電車でなければジプシーに出会うこともなかったので久しぶりの海外だったけれども充実した2週間だった。
飛行機は6回乗った。北欧とひとくくりにしてしまいがちだけども、その国ごとにカラーはやはり異なり、次回の旅ではもう少し掘り下げてみたい。

オスロにて

オスロ空港のホテルで洗濯をしながら、さて、ここでは何をしようか、と考える。
ノルウェーの4泊5日の時点ですでにやりたいことをやりつくした感があり、オスロではムンクを見る以外のことを考えていなかった。
 
初めて海外旅行をしたときは大学の卒業旅行だったけれども、それでも高速列車で3か国を大陸横断したのだった。まだgooglemapもあってないようなものだったけれども
それでもフランスの詐欺のパターンを頭に入れて、終わりのほうではあえて引っかかってから撃退するという無茶なことをやったりしたけれども、あの経験があったから
それから何度か旅行していても変なものに引っかからないでいられるのだな、と思う。それでも、体の調子に合わせて行動しないと体を崩してしまう。
 
以前あるミュージシャンが、しばらく活動休止すると発表した後のインタビューで、あらかじめ予定を入れて休むのではなく、朝起きて今日は何をしようかな、という休みのほうが贅沢な休み、と言っていたのを思い出す。最低限押さえておきたいところだけにして、後は身にまかせよう。
 
チェックアウトまでに調べ物をして、旅行者用の交通パスを買おうとしたが、クレジットカードで決済できない。原因がわからず、別の会社で試してみてもうまくいかない。
不正利用されて止められたのかと思って慌ててカードの利用残高を確かめてみても特に問題はない。これまで10か国近くで使っても使えなかったことなかったんだけどなと思い、決済するシステムを検索してみたら、どうやら日本で作ったカードはこのシステムでは使えないという。しかし、昨日空港で使用したときは問題なく利用できた。ということは、インターネットの決済に気を付ければよいのだった。けれども、カードがあれば貨幣はいらないに比べると、何かと不都合ではある。
 
 
空港近くのホテルの外に出ると、デンマークよりも明らかに寒い。雪は降っていないけれど、何日か前に降った雪は東京の雪のそれとは違い、さらさらして固められない。なんだか空気も乾燥しているので、風邪には注意しなければ。バスを待っていると、日本人の方に声をかけられる。国際結婚をしてしばらく日本に住んでいたが、こちらに戻ってきたのだという。老犬を連れていたが、犬はめったに見ない雪をみて少しばかり瞳がキラキラしていたので実家の犬もこんな感じだったなと少しばかり感傷に浸っていた。
 
空港に到着して交通パスを買う。世話好きの方で、何かとアドバイスしてもらった。中央駅に着いて荷物を預けたのち、外に出てみると、デンマークのそれとは全く別物だった。幾分ごちゃごちゃとしているが、人の動きは活発で、後で周辺を歩いてみようと決めた。以下訪れた美術館の感想
 
ムンク美術館
地下鉄から外に出ると、中央駅の景色とは一変して雪だった。近くの斜面では子供たちがそり滑りを楽しんでいる。近所ではあまり目にしない光景を久々に見てしばし見入ってしまう。
ムンクの作品は大きく分けてこの美術館とナショナルギャラリーにあるのだが、後者のほうが大作の「叫び」などがあるものの、ムンクの名を冠しているために、さぞ重厚なアーカイブ美術館なのだろう、と予想していたもののそれは良い意味で裏切られる。
中に入ると、ムンクの人生のテーマとともに、現代の映像作家が制作した映像が同じ空間にある。絵のキャプションは数字だけが絵の存在を妨げない場所に移動されて、気になったものは館内で見られる冊子の説明を読む。日本だと作品の解説もオーディオギャラリーの貸し出しも行っているし、理解を深められるのでそれも一つの見方だと思うが、あまりにも一度に入る情報が多すぎて、終わりのほうには疲弊してくることがある。なので私は、ほとんどキャプションを読まずに、絵を見ることにまず集中して、気になったものだけ後で調べるようにしていた。この美術館の展示方法は作品そのものに見るものを集中させる作りになっていた。また、ムンクの作品はかなり大きいものもあり、床から15㎝くらいしか離れていないものもあったが、そういう作品の近くにはソファが置かれており、車いすで鑑賞する人が誤って作品を傷つけないように、さりげない配慮がされていた。また、ともすればアーカイブとしての美術館となりがちなものに、今の作家の血を入れることで、これまでになかった切り口で作品が楽しめるようになっている。人生は短し、芸術は長し、とはいうが、作家本人がなくなったとしても残された作品に別の切り口を入れて見るものに提供することで、名前だけの作家にならず、これからも生き続けられるのだろう。
ムンクは同じモチーフで複数の作品を作っているけれども、大作の習作であっても心を打つ作品は多数あり、カメラをロッカーに預けてきたことが悔やまれた。
 
National Gallery
ムンクの大作が収められている美術館だが、美術館としては古代から現代までの幅広いアーカイブ美術館。順番に見ていくと次第に現代に近づいてゆくが、ムンクだけは特別に一番良い中央の部屋に展示されている。以前ロンドンオリンピックが開かれた年にTate modernで開催されたムンク展で見た作品も久しぶりに見直すことができた。
展示されているものは多いので一つ一つじっくり見てくことはできなかったけれども、エル・グレコやハーマンスホイの作品を見ることができたし、ドガとカミーユ・クローデルの彫刻には特に感銘を受けた。ドガの作品はひなたぼっこをしているものと、踊り子の2つがあったが、天井からはそれぞれ別々にライトが当てられ、この彫刻がどの時を表しているのかを把握するのに気を配ったライティングがされていた。カミーユ・クローデルは少女の頭部の作品だが、成人にはなり切れていないけれども子供ではない微妙な年齢の女性を、少し顔に張り詰めたものを感じさせる(近寄るなサイン)ので、ロダンがその才能に嫉妬したのも納得である(結果カミーユは精神を病み、ロダンの下敷きになってしまった)。ちなみに、カミーユの作品と向き合うようにしてロダンの彫刻があるのだが、これも力強い作品で、これ以上近づけたら火花が散るだろうから少し遠ざけたのだろうと買いかぶってしまいそうな絶妙な距離にあった。
順番の終わりのほうにあるムンクの部屋でようやく何度も見た「叫び」と対面するが、すでにムンク美術館で見ていた展覧会を通して表現されていたdepressionと目の前の作品を比べるとどうしても割り引いてみてしまうところがある。けれどもそれでいいのかもしれない。「叫び」よりも倫理の教科書で見た思春期の不安を表した作品であったり、まもなく訪れるであろう死を陰で表したりと、どうしても影のイメージが強いものの、それでもTate modernでみた陰と陽の関係は常に作家自体のなかにあったのだろうと思わせるし、まだまだいろんなキュレーターが解釈したムンクの展示を見てみたいと強く思ったのだった。
 
Astrup Fearnley museum
目の前が海の美術館で村上隆の展覧会が始まっていたので見る。展示の内容は森美術館横浜美術館を組み合わせて小ぶりにした内容ではあったけれども、展示空間を活かした内容だった。スカンジナビア諸国では初めての展示だという。オスロでの知名度はほとんど未知数だったけれども、大勢の人が足を運んでいた。彫刻も複数の時期にわたって作られたものが展示されていたが、初期には自立できなかったものが、今では重心が考慮されてつくられている。楠を素材にしてB-Boyのダンスの動きを彫刻にしている小畑多丘さんが以前ラジオに出演していた時に作品が自立することの重要性を語っていた。自立させることで見る者に、そこにみえないがあたりまえにあるはずの重心を意識させる、と。胸とおしりを突き出してポーズをとっている女性はあるアニメのキャラクターのようだけれども、上半身と下半身の体のバランスがとれていなさそうに見えても、彫刻ではうまくバランスが取れて安定している。いくら大きい胸であっても皮膚は人間のそれとは別物である一方、足にまとわりついたタイツとリボンが皮膚を圧迫しており、その部分だけがやけにリアルに見えた。足の表現に特に気を配ったわけではないだろうが、「視覚が注意を払うのは差異の部分」とあるデザイナーの方が話していたのを思い出し、なるほどこれが差異なのかもな、などとひとりごちた。
美術館は二艘の船のような形をしており、企画展の隣に常設展のコレクションがある。
 
***
 
オスロを歩いていると、ある程度時間の経過した(30年ほど?)建物がある一方で、比較的新しい建物もほとんど違和感なく生まれている。
駅の近くにはオペラハウスがあり、その近辺には各々名の知れたであろう建築家が設計したと思われる(MVRDVの銀行だけはわかった)、箱詰めされたチョコレートのように整然と並んでいる。
湾岸地域は着実に再開発が進んでいる。ムンク美術館の新館も現在進行中で2018年開館を予定しているという。
故郷は遠きにありて思うもの、ということで、TOKYOを少し思い出してみた。TOKYOが世界の注目を集めるのは新陳代謝良く古いものが新しいものに変わっていく飽きがこないぶぶんにあるとはおもうものの、その周辺に住む者にとっては、新しいものよりも、古いけれども新しく使い方を変えたものが目を引く。それほおそらく良い朽ち方をしているからなのだろう。さて、オスロはどう変わっていくのだろうか。人種の多様さからもデンマークのそれとは違って、もっとよく知りたいという気持ちになった。まずは海外口座でクレジットを作るところから始めないといけないが。
 

Denmarkにて2/2 (Copenhagen、Ribe)

ミーハーなので、有名なレストラン、Nomaへいく。2月末で別の場所に移るようだが、この日は営業していた。ランチの予約をキャンセル待ちでしていたのだが、残念ながら空きは出ず、外から眺めるだけだった。場所は橋のたもとの古い建物にひっそりとNomaとかいてあるだけで、何も知らない人がいたらあっさり通り過ぎてしまうかもしれない。近くにあるアパートがおしゃれだな、と思って眺めていたら、どうやら賞を取ったらしい。レンガのファサードでオーセンティックなイメージを出しながらも、今の雰囲気を醸し出している。

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繁華街に向かってぼんやり歩いているところ、正面から声をかけられる。驚いて意識をそちらに向けると、昨日少し話した方だった。たまたまOrdrupgaardへ行くバスの中で一緒になった方だ。基本的には旅先で同じ国のもの同士で話すのはあまり好みではないので距離を取るようにしている。ましてや向こうは3人なのでその必然性もなかった。とはいえ、それからフィンユール自邸の入口や出口でも会うので声をかけてみたら、一人は同じ業界の方だった。その方は近隣の国で仕事をしており、二人は日本で仕事をしているという。たまたま私が背負っているリュックが同じメーカーということもあったのか、すぐに打ち解けてしまった、にもかかわらず名前を聞いておくのを忘れていたのだ。連絡先は別に要らないので、名前だけでも聞いておけばよかったな、と昨日の夜それだけが後悔だった。
けれども、次の日また出くわすとは。「Your nameかよ」と思わずひとりごちる。互いのこれからの健闘を祈るとともに、名前を交わしてまたすぐに別れたけれども、近い仕事をしていればまたいずれどこかで出会うだろう。
 
***
西に向かう4時間ほどの長旅になる。 国鉄はあらかじめ席を予約していったほうが良い。今回サイレントシートという席を予約したが、静かに本を読んだり、眠ったりするには最適の空間だった。隣の人は静かに編み物をしており、傾いた日に照らされれながら黙々と毛糸に向かう姿を瞼のシャッターに焼き付けた。
 
乗り換えのためにBramminghamに降り立つと、直線に西に来ただけなのに、都心部では感じなかった肌寒さが襲う。マフラーをしっかりまく。霧が土から立ち込め、GPSがなければ霧とともに迷子になってしまっただろう。
 
***
Ribeにて
宿泊した場所はRibeの大聖堂の目の前のWise Stueという1600年代からある古い宿兼料理屋。床は斜めに傾いており、いまでいう欠陥住宅になってしまうのだろうが必要最小限の施設は整っており、比較的快適に過ごすことができた。この時期は夜に夜警の案内をしてくれるイベントがあるので、参加してきた。全編デンマーク語なので理解はできなかったがそれでも雰囲気だけは楽しむことができた。

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朝はホテル近くのパン屋pompei へ行ってパンを買う。昼間はひっそりしているのに、オープン直後は地元の人であふれかえっているパン屋だ。
ブラウンチャバタがとても香ばしくておいしかったので二日連続で食べた。
身支度して駅に向かう。これは賭けだった。前日宿の主人にタクシーの手配を頼んだが、そんなに早くは呼べないと断られてしまったのだった。ここが東京だったら朝8時にタクシーを捕まえるのはそれほど難しくないかもしれない。けれどここは田舎町だった。祈るような気持ちで駅前に向かうと、一台だけ止まっていた。目的地を告げると、「早起きは三文の得だね!」とにこやかに告げられる。私にとってもそうだった。コペンハーゲンでは晴天の日が続いたが、今日の天気は曇り、一時雨だという。天候が荒れたときは事前に連絡するとあったが、イベント主催者からは特に連絡はなかった。
 
つい2週間ほど前に新しくオープンしたばかりのvadehavscentret は、朝もやの中ひっそりと建っていた。

http://www.vadehavscentret.dk/

この一帯はほとんどなだらかな平地にあるとともに、遠浅の海が近くにあるので、自然環境を身近に触れることができる施設だ。世界遺産にも認定されているようだ。facebookですでに全体を見ていたものの、こうして間近に見てみると日本の家屋に近しいものを感じる。藁ぶきに覆われながらもその姿は海に向かってジャンプするクジラのような雄大な形と傾きをしている。この建物はDenmark出身の建築家が設計したようで、私たちになじみのある藁ぶきもこちらでも屋根材として利用しているのは興味深かった。(最近フィン・ユールに関する本を読んだら、彼が日本の建材がデンマークと共通しているものがあって興味を持って調べていたという記述があり、日本の北欧家具を好む理由もこのなじみやすさからきているのかもしれない)
奥に回ると屋外の待合所や離れの事務所がある。

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今日は潮干狩りならぬ、牡蠣狩りに来た。最初は地元の大学の地学の先生から牡蠣の生態について話があり、服装の準備をしてから車で現場に向かう。私は先導する先生の車に同乗させてもらった。質疑応答しながら現場に向かう。デンマークの牡蠣は日本に由来するものらしい。どおりで形が似ている。
 
ぬかるみに足を取られたり、目的地は先導する方しか知らない中でに向かった先は広大な牡蠣の養殖場だった。一日のほとんどを海の中にあるこの養殖場の潮が引く数時間を利用して、牡蠣狩りが定期的に行われている。とはいえどこからどこまでが養殖場なのか。目に見えている範囲すべてなのかもしれない。牡蠣は海藻の周りにへばりつくように育つ。最初は見分けがつかなかったが、そのうちだんだんとコツをつかんでとれるようになってくる。もちろん牡蠣はにげないので取り放題といえばそうなるのだが、食べられる以上のものを取ってはいけない。

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※牡蠣の養殖場、一面海藻に覆われている(実際今回のイベントで行った場所はもう少し海藻が少ない処だった。この場所は本格的に売買されるための牡蠣が眠っている)
 
Esbjerg
ノルウェーに向かう前に経由する駅Esbjergに少しとどまった。ここは港街だが、駅は少し内陸にあるので、海岸線は見えない。駅の反対側には巨大なショッピングモールが建設中で、市内の中心部を歩くとシャッター通りに出くわす。国が違えど、日本と似たような街並みがあることに気づかされる。けれども、局所的ににぎわっている場所があって、例えばフィットネスクラブだったり、ビュッフェスタイルの食べ放題の店だったりは盛況だった。
 
駅前からバスに乗り、空港に向かう。ヘルシンキに入ったときにはEU外なので入国審査までの順番に時間を取られたが、これから行くノルウェーは同地域内なので保安検査のみで終わる。
フライトも1時間なので、日本だと東京から九州や北海道に行くくらいの距離に別の国がある。日本にいるとなかなか感じられないので新鮮である。
 
日が変わる手前にOslo空港近くの宿にチェックインするが、北に移動してきたためかより寒くなってきたと感じる。
 
次回に続く

デンマークにて

コペンハーゲンに向かうトランジットで保安検査の準備をしていたら手前でうっかり空きが出てしまった。いそいそとしていたら「Take your time」と声をかけられる。
海外旅行が久しぶりすぎて3年ほど空いてしまったが、時間に通りに滞りなく進むことが当たり前の東京モードになっていた私を優しく溶かしてくれる言葉がこの言葉だった。
 
ヘルシンキ(Transit)→コペンハーゲン→リーベ→オスロストックホルム(Transit)→ヘルシンキヘルシンキを起点に北欧を2週間弱で一周する予定を立てた。途中から息切れしてきてもう少しゆっくりしてもよいのではないかと少し後悔した部分もあったけれども、それでも、近くの国の違った町と人を見ることができて充実した時間だった。
 
***
 
コペンハーゲン中央駅は卒業旅行で訪れたアントワープを思い出す。アントワープといえば、世界で最もダイヤモンドの流通が多いらしいけれども、駅前の中央駅はがらんとしたロータリーで、これがアントワープなのか?と目を疑った。コペンハーゲンも駅前はロータリーで(それでも駅ナカにはいくつかの飲食店は入っているが)、縦に大通りが貫いている。日本の駅前の徒歩圏内に集中して繁栄している姿に慣れてしまったが、金沢に近い街並みであることにも気づいた。路面店など繁華街は駅から少し離れたところにある。
 
旅行に出かけるとその場所の地理を頭に叩き込むために徒歩で回ることが多いのだが、外はそれほど寒くない。少し前に仕事で北欧に行っていた方の話では、それほど寒くはない、とのことだった。現地について、日本から何か持ってくるものを忘れていたけど気づかなかったもの、帽子の存在を忘れていた。ただ、それがなくてもまだデンマークは過ごせたのだった。
 
コペンハーゲンでいくつかやるべきことをピックアップしていたのだが、最も重要だったのがアンティークの本棚を買うことだった。けれども配送料は現物の倍以上の料金がかかるという。It's too expensive、あきらめるしかなかった。.
 
まるで失恋したかのような気分で、外に出る。このままだとふてくされて暴食して終わってしまうので、少し都心から離れた旅に出ることにした。
地下鉄を乗り継いて、国鉄でKlampemborgへ。途中これまで一度も出会わなかった詐欺やジプシーに出会い、パリまでとはいわないが、いくら治安が悪くないからといって、ぼんやりしていてはだめだな、と身を引き締める。たぶんはた目にも弱って見えたのだろう。
 
無人駅を降りると、山の美術館に行く道と海へ行く道がある。バスはまだ来ない。海へ行くことにした。
 
海を見ると走り出してしまうのはなぜだろう、とおもいながらも、視界が開けた緩やかな坂道の先に広がるそれを見つけた瞬間、もう走り出していた。とはいえ、雪が残っているので、正確には小走りなのだけれども。

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Bellevue strandと名付けられてるその砂浜は、Bellevue(フランス語でいう美しい景色)そのままにとても良い景色だった。海岸線の向こうはスウェーデンの南側、ぼんやりと桜色を帯びていて、いつの間にか天空に来てしまったのかと錯覚するほどだった。冬の海を訪れる人は少なく、海岸線を犬を連れて歩いたり、ぼんやり歩いている人がいた。アルネ・ヤコブセンがデザインした灯台はシャキッとした姿で海のそばに立っていた。

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水の透明度は海であることを忘れるほど高く、時折灯台の下で裸で行水している姿をみかけたけれども、私の目には禊に近い光景に映った。太陽はまだ高い位置から私たちを照らしていて、砂浜をあちらこちら歩いているうちに少しずつ先ほどの感傷的な気分が薄れてきて元気が出てきた。まだ時間があるので、美術館へ向かう。
 
林の奥に見つけた美術館はブラックダイヤモンドの蛇のような姿を目の当たりにしたとき、なんでこんな姿にしたのかわからなかった。けれども、外周をまわって、てっぺんに映りこんだ木の陰だったり、ギラギラしたガラスに映りこんだ林の姿を眺めているうちに、不思議とこの建物がここにあってもいいのだな、としっくりきた。
 
 

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※先端はカフェになっている
 
平日にもかかわらず、美術館は盛況で、とはいえ大勢は年配の方だったけれども、熱気につつまれていた。Zahaが作った空間は企画展の部分で、常設のコレクションは昔の建物にある。企画展のギャラリーは二つに分かれており、最初の部分は長蛇の列ができていた。立ち止まって長い時間みることがなかなか難しかったけれども、ここまでの混雑さも彼女は予想できなかっただろう。
ギャラリー2は1に比べると空間が入り組んでいたが、その分、緩やかに構成を区分になっていたり、歩いていると、次へ次へと先に進みたくなるような洞窟のような作り(実際は一筆書きなのだが)になっていた。別の館の常設展にあったハンマースホイやピーターハンセンの絵に痺れた。カフェは混雑していて常に満員だったので入るのをあきらめた。日本に彼女の作った空間がは幻に終わり、政治の具にされてあっけない幕切れになったのは本当に残念としか言えなかった。

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Ordrupgaardの近くにはデンマーク生まれのデザイナー、フィン・ユールの自邸がある。通常だと平日と休日のみ開館しているのだが、幸いなことに訪れた日に空いていたので、見る機会を得た。平屋でL字型の空間には天井が高いためかゆったりとした作りになっている。家具や建物は彼自身が造ったものばかりだが、ところどころ美術作品もあり、住人がいなくても居心地の良い空間になっている。どの部屋にも窓があり、部屋の中にいても常に外界の存在を確認できる。長い冬で外にあまり出られない時期にもこのような作りになっていると、外を眺める楽しみができるのだろう。

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※木の枝が窓を横切っているのがなんともにくい

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※誰もいないのにおしゃべりしているように見える椅子

  
次回へ続く